「私が白いねこだったら、100万回泣いてくれるのはうれしいけど、死んでほしくない。100万回泣いたら、その後は元気にピンピン生きてってほしい」

かつて悠依(井上真央)はそう言っていた。最後に直木(佐藤健)がいなくなった海辺をひとり歩きはじめた悠依は、まさにそんな言葉通りの姿だった。

まだ頬は涙で濡れている。でもこの優しい汐風が、涙ごと乾かしてくれるだろう。そして、いつかまたこの海を訪れたときは、きっと笑顔で直木のことを思い出せる。

『100万回 言えばよかった』が最後に描いたのは、悲しい別れではなく、どこまでも温かい別れのときだった。

最後の1日があったから聞けた、家族からの「ごめん」と「ありがとう」

最後の「思い残し」を果たすべく、一時的に実体を手に入れた直木。いつか終わりが来るアディショナルタイムで直木がしたことは、今までずっと照れくさくて言えなかったことを、全部伝えることだった。

洋服屋さんで悠依からどっちがいいと聞かれても、生きてる頃の直木ならそっけなくかわすだけだったかもしれない。悠依の洋服を「似合ってる、それ」なんて目を見て褒めることも、恥ずかしくてできなかったに違いない。

でも、そういうことも全部やる。これが最後だから。もう自分たちに「また今度」はないのだから。僕たちはいつもこれが最後だと知って、初めて自分が手にしていたものの大切さに気づく。

そして、直木が言いたかったことをすべて伝えるためのアディショナルタイムは、直木を失った人たちにとっても、直木に言いたかったことを伝えるための時間になった。

母・佳織(長野里美)は、直木を亡くしたことでようやく思い出した、直木が生まれたその日のことを。どれだけうれしかったか。どれだけいとしかったか。なのに、その気持ちを忘れてしまった。かけがえのない子どもを、大切にすることができなかった。

その後悔は決して消えない。佳織も幸彦(相島一之)も親として未熟すぎた自分を悔いながらこの先の人生を生きていくだろう。でも、最後に直木が、自分はちゃんと愛されていたのだと聞くことができてよかったと思った。天国に持っていく荷物は、できるだけ悲しみが少ない方がいい。「思い残し」を消化する時間とはつまり、現世で背負った憎しみや悲しみといった負の感情を、できるだけ地上に置いていく時間と言えるのかもしれない。

最終話でついに登場した弟・拓海(青木柚)が思ったよりもずっと周りをちゃんと見ることができる、健やかで、優しい男の子だったことは、なんだかほっとするものがあった。拓海は拓海で、自分の存在が家族のバランスを狂わせてしまったと負い目を抱えていた。彼がまだ直木の死を知らないことはちょっと胸が痛い。いつか兄の死を知ったとき、きっと拓海はたくさん涙を流すだろう。

だからこそ、何も知らない拓海が、直木に「ありがとう」と言えたことは救いだったと思う。もし直接言えないまま別れることになっていたら、きっと拓海は苦しんだはずだ。自分は兄によってこうして生かされているのに、その兄に対し何もできなかったと。

兄弟愛なんて単純な言葉でこの2人を括ることはできない。でも、直木の骨髄によって命をつないだ拓海は、消えてしまった直木の命のかけらを今も体に残しているたった1人の人物だ。そうやって命はつながれていく。直木の境遇はあまりにも過酷だったけど、今はそのことにほんの少しだけ感謝したい気持ちになっている。

ドラマを支えた、魚住という名キャラクター

魚住(松山ケンイチ)は最後の最後までいい人だった。朝、ファミレスに呼び出されたときも、やってくるなり「不安ですか? 辛いですか? 僕、何しましょうか?」とめちゃくちゃ甲斐甲斐しい。さすが尽くすタイプと自認するだけある。魚住の優しさには見返りがないのだ。

悠依への恋心は認めたものの、結局最後まで2人の間に割って入るようなことはしなかった。三角関係になりそうでならないというのは昨今のドラマのトレンドだけど、この『100万回 言えばよかった』もそうだった。

確かに悠依のことは好きだ。でも、直木も同じくらい大好きで、何より悠依と直木が一緒にいるところが大大大好き。この感覚がわかる人は意外に多い気がする。脚本の安達奈緒子は『G線上のあなたと私』の幸恵(松下由樹)や『おかえりモネ』の森林組合など、定期的に主人公カップルの恋の行方を見守るキャラクターを配置するけど、今回は魚住がその役割。魚住の絶妙なポジションが、このドラマの魅力の一つだった。

直木と魚住の別れも丁寧に描かれた。「あのとき、魚住さんに会えてよかった。あなたに救われた」と直木は魚住の目をまっすぐに見つめて伝える。ドラマ内で生前の直木の交友関係はほとんど明かされなかったけど、性格的にも境遇的にもあまり人と深く関わり合ってこなかったと想像できる。

そんな直木にとって、こんなにも常に行動を共にする相手は、悠依を除けば魚住が初めてだったんじゃないかな。最初は、幽霊になった自分のことが見えるのが魚住しかいないから、一緒にいざるを得なかった。けど、いつしか直木にとって魚住は居心地のいい相手になっていた。直木に同性の友達ができたことは、幽霊となったこの不思議な時間がくれた大きな幸せの一つだ。

それもこれも面倒見が良くて巻き込まれ体質で頼りになるけどちょっとヘタレな魚住というキャラクターがあってこそ。子どもみたいに目を潤ませて、直木とハグをしようと両手を広げるところなんて、最高にチャーミングだ。魚住は、松山ケンイチの素朴でとぼけた魅力が爆発した役だった。

悠依と直木の背中を見送る魚住の表情もすごく良かった。直木の「じゃあな」に対し、魚住は言葉を返さない。何か言ったら本当に別れになってしまう。幸せそうな魚住の笑みが、最後に一瞬胸が引き裂かれるみたいに泣き出しそうになる。その瞬間、このアディショナルタイムは魚住のためでもあったのだと気づく。

奇妙な運命の引き合わせでできた不思議な友人を、魚住は失おうとしている。魚住には魚住の寂しさや辛さがあるはずだ。だけど、それを口には出さない。なぜなら、自分よりもっと寂しくて辛い人が目の前にいるから。どこまでも他人のために尽くす魚住にふさわしい、愛と優しさに溢れたラストカットだった。

最後の最後まで変わらない、悠依の強さと直木の優しさ

そして物語は、悠依と直木の2人きりの時間へ。直木は、悠依と出会ってからのことを振り返る。そのときの直木の穏やかな表情は今まで見たことのないものだった。あんなに何度も怒っているように見える顔だとイジられていた直木が、優しい目をして微笑んでいる。すごく近くにいるはずなのに、まるで遠くの光を見るように悠依を見ている。でもきっとそういうことなんだろう。悠依は、自分の人生を照らしてくれた光だ。でもその光にはもう手が届かない。

最後は結局照れくさくなって、海を見ながら「愛してる」と繰り返すところも直木らしかった。直木はぶっきらぼうで、愛情表現が下手くそな、いい意味で昔気質な日本男児。近年、この手の男性像は日本のドラマでは減少傾向にある気がするけど、その無骨さがよかったし、何より佐藤健に合っていた。

直木は不器用だけど、不器用ということはつまりまっすぐということでもある。絶対に容易く「愛してる」なんて言わない直木だから、最後に何度も「愛してる」と繰り返すことに意味があった。あの「愛してる」は、一生分の「愛してる」だった。

悠依の強さも光っていた。直木が、魚住に悠依を託そうとすると、「やめて、怒るよ」ときっぱり自分の意志を表明し、自分の幻影に悠依が縛られてしまうことを恐れ、「俺がやろうとしてたこと、やんなきゃとかよくない」と直木が注意したときも、「私がやりたいならいいでしょ?」と自分の考えを貫き通した。

英介(荒川良々)のことを最後まで許せないところも人間らしくてよかったと思う。ドラマだと、こういうとき、憎しみにいつまでも縛られていては良くないという方向に話を持っていきがちだけど、そう簡単に心の整理なんてつくわけない。憎みたかったら憎めばいいのだ。自分の心の救済は自分で決める。

確かに、直木の無念をよく知る魚住が、これからも悠依を支え続ける方が物語としては美しい。1人で生きるより、誰かと一緒に生きる未来の方がハッピーエンドと呼びたくなるだろう。

でも、そんな誰かの理想に従ったりしなくていい。自分の幸せを決めるのは自分なんだという意志が悠依には常にあった。そこが、悠依の魅力だったと思うし、その強さが井上真央の持つ強さとマッチしていた。

そんな悠依だから、100万回泣いた後は、元気にピンピン生きていけると僕たちも信じられる。大好きな白猫を失って、"100万回生きたねこ"は悲しみの中、死んでいった。でも、悠依はそうならない。たった一度の人生を生きていく、直木の大好きだった明るい笑顔で。

時々、立ち止まりたくなったら空を見上げたりするかもしれない。聴こえてくるのは、直木の下手くそな口笛。サビのいちばんいいフレーズが、高くなる。きっとそれに「平井堅じゃん」と思い出し笑いして、また歩きはじめる。生きるとはそういうことなんだと、『100万回 言えばよかった』を観て思った。

(文:横川良明/イラスト:月野くみ)

◆放送情報
『100万回 言えばよかった』
動画配信サービス「Paravi」で全話配信中。
2023年3月30日(木)からディレクターズカット版も配信予定。