"100万回生きた猫"は、世界のすべてが嫌いだった。

王様の飼い猫になっても、船乗りの飼い猫になっても、サーカスの手品つかいの飼い猫になっても、ずっと飼い主が嫌いで、だからどんなに自分の死に飼い主が泣いても、涙は流さなかった。死ぬことなんて悲しくもなんともなかった。

直木(佐藤健)もずっと"100万回生きた猫"だったのかもしれない。『100万回 言えばよかった』第3話は、悠依(井上真央)さえ知らない直木の過去が明かされた回だった。

直木が料理にこめた「喜んでる人の顔が見たい」という想い

親が、自分のことを「我が子」として見ていなかったら、弟の「骨髄ドナー」としてしか見ていなかったら、どんな気持ちになるだろう。特に直木のように、それがまだ子どもの頃ならなおのこと。

自分は何のために生まれてきたのか。自分は誰のために生きているのか。わからなくなってもしょうがない。本来なら惜しみない愛を与えてくれるはずの母・佳織(長野里美)は難病を患う弟・拓海(幼少期:森田湊斗)にばかり愛情を注ぎ、父・幸彦(相島一之)は精神的なバランスを失いつつある佳織に目を背け、鬱積した思いを暴力という形で自分に向けるようになった。

親のいる直木がなぜ里親を頼ることになったのか。その理由がよくわかったし、料理が得意なのも、こういう家庭に生まれたからなのかもしれない、と思った。

中学時代までの直木は、母親の偏った愛情を目の当たりにしながらも、それでも家族を信じていた。乞われれば、骨髄だって提供した。骨髄採取には一定のリスクが伴う。大人だって足踏みする人もいるくらいだ。まだ子どもの直木には恐怖もあっただろう。

それでも、一度ならず二度も弟のために体を差し出した。家族のためなら、犠牲を厭わなかった。そういう優しい子どもだったのは、直木は。

きっと人が喜んでくれることがうれしかったんだと思う。自分に向けられる愛情の量が弟よりも少ない自覚があったからこそ、人のためになることで直木は自分の存在意義を見出していた。

料理もまた食べてくれる人のために振る舞うものだ。悠依と再会したとき、直木自身が言っていた。「喜んでくれる人の顔が直接見られるでしょ」と。あのシンプルな志望動機が、生い立ちを知ると、なんだか全然違う言葉のように重く響く。自分がいることを喜んでほしい。そう願いながら、でも誰も喜んでくれないあの家で生きてきた直木の孤独がそこには背中合わせのように貼り付けになっている。

里親の家で初めて直木のハンバーグを食べたとき、悠依はおいしいと思わず頬を綻ばせた。あんな顔が見たくて、でも家では誰もあんな顔を見せてくれなくて、だから直木は誰かのために料理をつくり続けていた気がする。

見えないから言える言葉がある。見えないから流せる涙がある

それにしてもつくづく親というのは恐ろしい。すべての親が子どもにとって救いの存在ではないのが現実だ。一見すると、暴力をふるう幸彦との板挟みになりながらも、直木を案じていたように見えた佳織だけど、いちばん歪んでいるのはこの母親の方で、父の暴力から逃れるために児童相談所の手を借りたいと言う息子に対し、「あなたには、いてもらわないと困る」と迫る顔は、完全に直木を骨髄ドナーとしか見ていなかった。

幸彦とは距離を置きながら、それでも自分には連絡先を教えてくれていたと母の顔をして語っていたけど、連絡をしたのは、弟が再発したときの1回だけ。直木が家を出て十何年も経っているのに、そのたった1回だけ。それがどんなに狂っていることか、佳織自身が気づいていないことが恐ろしかった。自分は弟が生き続けるための生贄でしかないとわかっていながら、それでも母に連絡先を教え続けた直木の気持ちに、佳織は一度たりとも寄り添おうとはしなかった。それが、何より腹立たしかった。

手がかかる分、病弱な拓海につきっきりになるのはしょうがないかもしれないし、過保護になるのも想像できる。だけど、理解はしたくない。また、演じる長野里美の表情があまりに真に迫っているから、悠依じゃなくても、怒りに震えてしまった。直木の胸の内を思うと、今すぐ抱きしめてあげたかった。直木がどんな気持ちで「ハチドリ」で子ども食堂をやっていたのか。考えるだけで、胸が潰れそうになる。

だからこそ、悠依が見えない直木に向けて好きだと繰り返し伝えたくなったのもわかるし、そんな悠依の気持ちを受け止めて大泣きする直木にも瞼が熱くなるものがあった。

理屈じゃない。理由なんかいらない。ただあなたがそこにいる。そのことがうれしい。こんなにまっすぐな肯定の言葉をもらえることなんて、なかなかない。これが、直木が見えていたら、そうはいかなかっただろう。こんなストレートな言葉、目を見ては話せないし、意地っ張りの直木は、悠依の前であんなに素直には泣けやしない。

見えないから言える言葉がある。見えないから流せる涙がある。抱きしめることも、キスすることもできない二人だけど。でも、見えないからこそできることがある。そんなこのドラマならではの愛のあるシーンだった。

きっと悠依と出会うまでの直木は、死ぬことなんて怖くない"100万回生きた猫"だった。だって、自分の存在に何の価値も感じられなかったから。でも、悠依と出会って、誰かをいとおしいと思うことで、直木は変わった。

悠依もまた同じなのかもしれない。なぜ悠依が里親のもとで暮らすことになったのか。どんな逆境にも負けない、ひたむきそうな悠依の抱えているものが見えたとき、二人が出会ったことの意味を僕たちは知るのかもしれない。

直木には、クールな佐藤健のキュートな面がつまっている

ミステリーとしては、莉桜(香里奈)が「石岡美也子」という通名で、資産家の清治郎(長谷川初範)の内縁の妻として暮らしていたこと。直木が涼香(近藤千尋)のマンションを訪ねたのち、莉桜もマンションへやってきていたことが判明した。悠依に接触を図る目的など、莉桜の意図はまだ不明な点が多い。莉桜と涼香の間に何があったのかが、事件の鍵となりそうだ。

また、夏英(シム・ウンギョン)の夫が、譲(松山ケンイチ)と瓜二つだったことも判明。夏英が本筋にどう絡んでくるかは、まだ見えない部分が多い。愛する人を失った者として、悠依の灯台となるのか。あるいは、実は事件に何かしら関与しているのか。わざわざ『新聞記者』のシム・ウンギョンをキャスティングした以上、もうひと展開くらいはあると見ていいだろう。

そして、ぐっと泣かせるポイントをつくりつつ、悠依、直木、譲の関係性がさらに膨らんできたのも今回の見どころ。直木が壁や扉をくぐり抜けられるようになった証拠として、実験をしている3人が妙に愛らしかったし、そのあとの料理シーンもほのぼのとしていて気持ちが弾んだ。

「めっちゃ可愛い」と小声で呟くところだったり、なんとか憑依しようとして譲を何度も通過する直木がとても可愛かった。『G線上のあなたと私』の理人(中川大志)しかり、『おかえりモネ』の菅波先生(坂口健太郎)しかり、安達奈緒子という脚本家は男の可愛らしさを描くのに長けている作家だと思う。直木が憑依したふりをする譲を見て、本気で注意する直木なんてとってもチャーミングだ。ぜひ安達奈緒子には佐藤健のまだ見ぬ愛らしさをどんどん引き出して、さらに魅力を爆発させてほしい。

(文:横川良明/イラスト:月野くみ)

【第4話(2月3日[金]放送)あらすじ】

悠依(井上真央)の独白とも言える直木(佐藤健)への思いを聞いた譲(松山ケンイチ)は、力になりたいと考えるも、今の自分に何ができるか思い悩んでいた。

そんな中、河川から直木の携帯電話が発見される。依然、殺人事件の容疑者にされたままの直木は、自分の遺体が見つかっていないことを不審に思い、行方不明の自分の身体を捜し始める。

一方、悠依の元に英介(荒川良々)から、こども食堂に来ていた子の一人が行方不明だという電話が。直木も協力し、とある山間部に子どもを捜しに行くが、そこにはさらなる衝撃が待ち受けていて・・・!?

◆放送情報
『100万回 言えばよかった』
毎週金曜深22:00よりTBS系で放送。
地上波放送後に動画配信サービス「Paravi」で配信中。