ポイ捨てされた53本のタバコは、まるで『スイミー』みたいだった。みんなで集まり大きな魚のふりをすることで大きなマグロを撃退する、弱くて小さな魚のお話。綿郎(さだまさし)も言っていた、「弱くて小さな魚はいっぱい集まっても弱いのかな」と。

あのとき、御子神(田中哲司)は「集団になろうが弱い人間は弱いままでしょ」と歯牙にもかけなかった。でも時代の寵児は、ポイ捨てという「そんなコトで訴えます?」という軽微な罪で足元をすくわれた。

弱者には弱者なりの戦い方があるのだということを『石子と羽男』は描いていた。

声を上げることこそが、弱くて小さな人たちの戦い方

ネットリンチという言葉がある。不倫をした芸能人を第三者がいつまでもしつこく叩き続けたり、恋愛リアリティショーの出演者が誹謗中傷にさらされたり。今やネットの集団性はマイナスの面で語られることの方が多い。

けれど、1万人ものオンラインサロンの会員を抱える御子神が、ネットの逆風により失墜したように、時にインターネットは声の小さい人たちの拡声器になることもある。「#検察庁法改正案に抗議します」に代表されるツイッターデモや、「#MeToo」による被害者たちの連帯もその一例だ。インターネットがあるからこそ、声を上げられた人はきっとたくさんいる。

だから、声を上げることの大切さを一貫して訴え続けてきた『石子と羽男』が最後にこういう形で法では裁けない悪に制裁を与えるのはすごく『石子と羽男』らしかったし、そのきっかけとなったのがポイ捨てというのも、カフェで充電をしたら訴えられたというごくごく日常的なエピソードから始まった『石子と羽男』らしい締めくくりだった。

「彼らは誰にも迷惑をかけず、かけられることもなく、ただ普通に日常を送りたいと願う人たちです。そして、そういう人たちこそがこの社会を支えているんです」

そんな羽男(中村倫也)の台詞と共にオーバーラップする各話のゲストの姿は、なんだか胸を熱くさせるものがあった。そこに、他でもない自分自身の生活を重ねたからだろう。弱くても真面目に生きている人たちのために、法と法律家がいる。だったら、僕たちこの社会をまだもう少しは信じていいのかもしれない。

『石子と羽男』は、世界を少し信じてみたくなるドラマだった。

足元のカットが表した『石子と羽男』の幹となるもの

物語は、事故を目撃したことによりトラウマを抱えた石子(有村架純)が、渡れなかったあの横断歩道をついに渡るところで幕を閉じた。印象的だったのは足元のカットだ。思えば、このドラマではよく足元のカットが用いられていた。

たとえば、第1話。揉めている沢村(小関裕太)と矢野(丸山智己)に向かって、石子が踏み出し、「みなさん、なぜ声を上げないんですか」と問いかけた。第2話で子どもたちの前で居直る深瀬(富田望生)に「確かに人生スタートラインで差がついてるのは否めませんよね」と声をかけたときも、石子は一歩前に踏み出していた。

この繰り返される足元のカットは、ラストシーンのこのために積み重ねてきたものだったのだ。『石子と羽男』は、理不尽によって前に進めなくなってしまった石子が一歩踏み出すためのドラマだった。そして、あらゆる悩みやトラブルによって動けなくなっている人々が前に向かって歩き出すためのドラマでもあった。

それを監督の塚原あゆ子は、さり気なく足元を切り取り続けることで表現した。実に見事な演出だったと思う。

しかも第1話では、動けなくなった羽男に代わって、石子が前に踏み出した。でも最終話では、御子神に何も言えず引き下がった石子に代わり、今度は羽男が踏み出した。足元のカットだけで、互いに支え合う石子と羽男の関係性を完璧に表現しているところにも舌を巻いてしまった。

踏み出すという行動は、この作品のテーマである「声を上げる」にリンクするものがあるし、足元の画は「地に足をつける」という言葉を想起させ、それはこのドラマの中心にある「真面目に生きる人々」のイメージにもつながる。繰り返してきた「傘」というモチーフが、フラッシュバックに苦しむ石子の「盾」になったように、あらゆる要素が溶け合い、ひとつの画を炙り出していく演出にはただただ唸らされるばかりだ。

『石子と羽男』を名作たらしめたのは、こうした高いスタッフワークの賜物だろう。

有村架純、中村倫也、赤楚衛二による爽快な三重奏

キャストたちもそれぞれに良かった。最終回の有村架純の演技で光っていたのは、訴えを取り下げようとした綾(山本未來)にかけた言葉。

「奥様を無責任に批判する人は、奥様を救ってはくれません」

台詞もさることながら、このときの有村架純のトーンが素晴らしかった。一切の押し付けがましさはなく、あくまで綾の心に寄り添いながら、だけどちゃんと説得力がある。有村架純の魅力は神秘性だと常々思っているけれど、そこに母性なるものも感じられて。だから彼女の演じるキャラクターはいつも多面的な魅力を放っているのだと思う。

中村倫也は最後までキレキレだった。大庭(赤楚衛二)への「頑張ってください」のアントニオ猪木感や、刀根(坪倉由幸)と榊原(森本のぶ)の接点が見つかって張り切るときの狂言師感など、随所に遊び心がたっぷり。それでいて、司法試験に向かう石子を見守る表情は温かくもカッコよく、こんな人がいたら絶対好きになってしまうなあと確信できるほど魅力的だった。

この強力な2人の前では、ともすると立ち位置が難しくなる大庭という役を見事にこなした赤楚衛二のバランス感覚も讃えたい。一歩間違えれば邪魔者になりかねない大庭が好感を持って受け入れられたのは、赤楚衛二のまっすぐさによるところが大きいと思う。最終話でも「はい、無職です!」という台詞がなんともユーモラスに響くのは、そこに"てらい"や"ひねり"がまるでないから。石子との関係はもちろん、「告発です!」「ラーメン屋か」のやりとりなど、羽男との相性も良かった。ストレートを投げる赤楚に対し、中村の緩いチェンジアップが映える。この2人もなかなかの名コンビだったと思う。

出番は限られていたが、MEGUMIの歯切れのいい台詞回しと嫌味のないキャラクターが、このドラマの軽快感をさらに高めていたことも忘れずに付記しておきたい。

ドラマ界に燦然と輝く、新井×塚原ブランド

そして、石子と羽男にまったく恋愛要素を絡ませなかったのも、このドラマの美点のひとつだった。おそらくこのあたりはプロデューサーの新井順子のこだわりだと思うのだけど、プロデューサーに必要な時代の空気を読む嗅覚が、新井には備わっている。今、何を描くべきで、何を描くことはナンセンスなのか。新井の歴代の作品を見ると、そのジャッジが非常に的確で気持ちいい。新井順子の作品に多くの人が安心して没入できるのは、新井のセンスを信じているからだ。

折りしも『石子と羽男』の最終回当日に、新井×塚原が手がけた前作『最愛』(TBS系)が「2022年日本民間放送連盟賞 番組部門 テレビドラマ最優秀賞」を受賞したことが発表された。名実ともにドラマ界のトップクリエイターに名を連ねた2人だが、『最愛』からわずか2クールのインターバルを経て、こんなにもハイレベルな作品をまた生み出したことに、もはや畏敬の念すら湧いてしまう。

こうなってくると、次はこの2人がどんな新作を世に送り出すのか今から待ち遠しくてしょうがないし、できるなら『石子と羽男』の続編も望みたい。だが、すでに『アンナチュラル』『MIU404』とシリーズ化が期待される作品をいくつも抱える2人だ。シーズン2を望むだけで、どれだけ順番待ちになるだろう。過度なプレッシャーをかけるのも忍びないけど、どうかこの2人には早くまた新しい作品に取りかかってほしい。

そんなはやる気持ちも本音だけど、最終回が終わったばかりで次の話をするのも無粋というもの。今はひとまず『石子と羽男』に対する感謝の言葉を贈りたい。最終回を終えて湧き上がるこの気持ちを言葉にするなら、もうこのフレーズしかないので、それを本稿の結びの言葉としたい。すべてのキャスト・スタッフに愛を込めて。

ソノコンテント!

(文・横川良明/イラスト・まつもとりえこ)

◆放送情報
『石子と羽男−そんなコトで訴えます?−』
動画配信サービス「Paravi」で全話配信中。
また、Paraviでは出演者のセリフだけでは表現しきれない「ト書き」や情景描写などをナレーションで説明した解説放送版、Paraviオリジナルストーリー「塩介と甘実―蕎麦ができるまで探偵―」も配信中。