気づいたら38になっていた。驚くことに、もう僕が生まれて38年も経ったということだ。毎日膨大なto doに追われ、今日が何月何日かさえ瞬時に答えられない日々を送っていると、どうしてもいちばん大切なことを忘れてしまう。

こんな僕でも、この世に生を受け、産声をあげたそのときに、喜んでくれた人がいたことを。何のために生きているのかわからなくなるような人生で、別に何かの役になんて立たなくても、ただ生まれて、生きているだけで、人はじゅうぶんに尊いのだということを。

『コウノドリ』(TBS系)はそんな命のまばゆさを思い出させてくれるドラマだ。

『コウノドリ』を観ると、とても美しいものを見た気持ちになる

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主人公は、産科医・鴻鳥サクラ(綾野剛)。サクラの勤めるペルソナ総合医療センターには、日夜さまざまな妊婦たちが運びこまれてくる。妊婦の喫煙、中学生の妊娠、高齢出産など、抱える悩みや問題は妊婦の数だけある。そうやって多彩な切り口から「命を宿すこと」に迫りながら、母と子の命を守るために全力を尽くす人々の姿を描いたのが、この『コウノドリ』だ。

僕は『コウノドリ』を観るたびに、とても美しいものを見た気持ちになる。それは造形的な美しさではなくて。たとえば、誰も知らない森の奥深くで小さな湧水に出くわしたときのような、雪に埋もれた野の隅に硬く青い新芽を見つけたときのような、そういう類の感動で。心が洗われるようでもあるし、厳かにもなる。

たぶんそれは命というものが、どれだけ医療が発達しても、最終的には人の力の及ばぬところにあって。その営みの中で起きる奇跡と呼ぶしかできない出来事に、ただ祈るような気持ちになるからだろう。

自分たちの力だけではどうしようもないことがあると知りながら、それでも目の前の命のために最善を尽くす医師や助産師、看護師の懸命さに、ぎゅっと心臓が引き絞られるからだろう。

元気に生まれた命も、そうではない命も、それぞれ光を放っている


どの回も胸に迫るものがあるけれど、とりわけ今も忘れられない回がある。それが、2015年に放送されたシーズン1の第9話。23週で切迫早産した小泉明子(酒井美紀)と大介(吉沢悠)夫婦の物語だ。低出生体重児として生まれたその赤ちゃんは、保育器の中で人工呼吸器につながれ、脳室内出血の危機にさらされていた。我が子との対面を待ちわびていた明子と大介は、あまりにも小さなその体に顔色を変え言葉を失う。自分を責める明子と、やり場のない混乱を新生児科医の新井恵美(山口紗弥加)にぶつける大介。この小さな命を何とか守りたい。新井の孤独な戦いが、そこから始まる。

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寝食を忘れ、「陽介」と名づけられた新生児につきっきりとなる新井。けれど、新井の努力も虚しく、陽介の容体は急変。脳室内出血を起こし、死に瀕する。出血がおさまるのを待ち、新井は手術に望みをかけようとする。だが、徐々に陽介の心拍は低下していく。もう手術はできない。そう判断した新生児科部長の今橋貴之(大森南朋)は、最後に両親に「陽介くんを抱っこしてあげませんか」と進言する。

それまでずっと大介は、我が子が低出生体重児として生まれた現実から目を背けていた。明子が陽介と名づけたことにも拒否反応を示し、NICUにも足を運ばなかった。新井に向かって「なんで助けたんですか」と声を荒げたのも、死ぬかもしれないのに生まれてくることの意味を受け入れられなかったからだ。過酷な運命を背負わされた我が子が痛ましくて、その痛みを一緒に背負うと自分の心まで潰れてしまいそうで、ただ大介は逃げていた。

そんな大介が、小さな小さな我が子にふれ、初めて「陽介」と名前を呼ぶ。その瞬間、大介はやっと父親になれた。確かにほんのひとときの命かもしれない。人から見たら可哀相なのかもしれない。でも、決してそうじゃないんだと。この子は自分たち夫婦のあいだに生まれてくれた、愛しい我が子なんだと、最後の最後で大介は気づけた。僕は今でも再生しただけで条件反射で涙が溢れるくらい、このシーンでボロボロと泣いてしまった。

命の誕生は、確かに美しい。でもそこにはきらきら眩しい光ばかりではなくて、胸の塞がるような現実もある。でもそれを影とは呼びたくない。元気に生まれてくることのできなかった命も、短い生涯で終わった命も、みなそれぞれの光を放っている。そう感じられるから『コウノドリ』を観ると、命のまばゆさに瞼が焼かれてしまうのだ。

過酷な環境と重すぎる使命感に、追いつめられる医療従事者もいる

そしてその光は、親たちだけではなく、医師や助産師の姿も鮮烈に照射する。僕がこの第9話のことをいつまでも忘れられないのは、新井の姿がずっと焼きついているからだ。普段は感情を表に出さず、ドライに物事を判断する新井は周囲から「鉄の女」と呼ばれていた。だけど、新井は決して「鉄の女」なんかじゃない。生まれてきた新生児の命を守りたいと誰よりも強く願っている慈愛と熱意の持ち主だ。

しかし、新井は陽介の命を救えなかったことから深い喪失感を負い、バーンアウトしてしまう。たぶん新井がもっとドライな人だったら、こんなことはよくあることのひとつだと忘れられたのかもしれない。医師は万能ではなく、医療には限界がある。救えない命があったとしても自分を責める必要などない、と割り切れたのかもしれない。

でも、新井は「鉄の女」ではなかったから。病院から緊急のコールが入れば、プロポーズの途中でさえ駆けつけてしまうくらい、仕事熱心で真面目な人だったから、もう続けることはできなかった。人間にはそれぞれ容器があり、みんなそれぞれ容量がいっぱいにならないように、うまく吐き出したり整理したりしている。でもそれができないと、ある日突然、本当にふとしたことがきっかけで容器の中が溢れ、こぼれてしまう。

これは新井だけじゃなくて、きっと日本の医療の現場のあちこちで起きていることなんだと思う。特にコロナ禍において逼迫する医療現場について何度となく取り沙汰されてきた。人はたやすく「医療従事者に感謝を」なんて言うけれど、本当に必要なのは感謝ではなく、医療従事者が消耗されない体制強化や環境整備だ。

そして、それはもちろん医療従事者だけでなく、あらゆる働く人々にも通じる。余裕のある人員配置、働く人たちへのメンタルヘルス支援。個人の情熱とか気力とか、そういうものに頼るのではなく、誰もが健やかに働き続けられる仕組みをつくっていかなければいけない。

いかに医療の最前線で働く人々が、過酷な環境下で働いているのか。そして、それが個人のマンパワーによって支えられた薄氷の戦線であるかを、『コウノドリ』はシビアに描いた。そんなところも、このドラマを今でも語り継ぎたい理由のひとつだ。

綾野剛&星野源のバディ感、坂口健太郎のフレッシュな演技にも注目

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キャストは、鴻鳥サクラ役の綾野剛を筆頭に、研修医・下屋加江役の松岡茉優、助産師・小松留美子役の吉田羊、産科医・四宮春樹役の星野源、そして今橋貴之役の大森南朋など、今なお第一線で活躍するメンバーばかり。

綾野剛は普段よりずっとソフトな発声と温和な表情で、包容力溢れる鴻鳥サクラ像を築き上げた。同期の四宮を演じる星野源とは、『MIU404』(TBS系)のバディが記憶に新しいが、このサクラと四宮も絶妙な間柄だ。態度も口調も冷たい四宮に周囲が当惑するたびに、「四宮のわかりづらい優しさですよ」とフォローするところに、サクラこそが四宮の数少ない理解者であることが窺える。

第3話で、喫煙により常位胎盤早期剥離を起こした妊婦(山田真歩)の緊急カイザーを行ったサクラと四宮が、子宮を残すかどうかをめぐりぶつかり合う場面はさすがの迫力。綾野剛と星野源、深い信頼で結ばれた俳優同士だからこそ、火花散るシーンにも突き刺すようなリアリティが生まれるのだ。また、最終回では、サクラと四宮が万感のハイタッチを交わす一コマも。「伊吹&志摩」に並ぶ「サクラ&四宮」のコンビネーションについ頬が緩んでしまう。

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過去作品を掘り返すときの楽しみのひとつが、今や主役級となった人気俳優の若かりし姿が楽しめるところ。本作でその役割を果たすのが、研修医・白川領役の坂口健太郎だろう。連続ドラマへの出演はこの『コウノドリ』が初めて。大きく額を出した髪型は今よりもいくぶんか若々しい印象を与え、医師の仕事に使命感はありながらも、やや言動がデリカシーに欠けるところのある白川をフレッシュに演じている。

注目は第8話。お腹の赤ちゃんが口唇口蓋裂であると診断され思い悩む土屋マキ(谷村美月)に対し、「手術すれば治るってさんざん説明しているのに、なんで理解できないのかなあ。ちょっと騒ぎすぎなんじゃないの?」と無理解な態度を示す白川が、医師として成長する姿を若手らしいまっすぐな演技で表現している。人間的に未熟な白川に対し、珍しく厳しい表情を見せながら指導するサクラ。演じる綾野と坂口は、事務所の先輩・後輩でもある。日頃から後輩への面倒見の良さでも知られる綾野だけに、そんなつながりまで考えると、このシーンにもより深い愛が感じられる。

さらに、助産師・角田真弓役には清野菜名の姿も。坂口とは、この秋から始まる新ドラマ『婚姻届に判を捺しただけですが』で再共演。この6年の間に順調にキャリアアップした2人の歩みを振り返る視点から『コウノドリ』を楽しんでみるのも趣深いかも。

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個人的には、吉田羊演じる小松留美子に共感と好感を抱いた。小松が大きくフィーチャーされるのは、第7話。四宮と口論になった小松は、母子の命を預かりながらも、何かあったら産科医に頼らざるを得ない助産師の役割に心揺れる。そんな中、ベテラン助産師の野々村秀子(冨士眞奈美)から助産師の心構えを説かれる。静かに湧き上がる仕事への愛と勇気を、かすかに潤む目で表現した吉田羊の演技に、きっと多くの人が惹きこまれるはずだ。

『コウノドリ』は決して気軽に楽しめる作品ではないかもしれない。特に、妊娠や出産に対して特別な感情がある方からすると、メンタルを引っ張られてすぎてしまう怖さがあるかもしれない。でも、きっとこのドラマを観て、産科や新生児科を目指した人もいるんじゃないかと思う。『コウノドリ』は、それぐらい人の心に響く力を持ったドラマだ。

(文・横川良明)

◆配信情報
『コウノドリ』
2015年版、2017年版が動画配信サービス「Paravi」で配信中。
(C)TBS