テロリストのエリオット・椿(城田優)を救うことが、喜多見(鈴木亮平)が医師であり続けられるか、MERが本当の意味で存続し続けられるかの試金石になる、過酷で本質的なラストが描かれた日曜劇場『TOKYO MER~走る緊急救命室~』(TBS系)最終話。
唯一の肉親である妹の涼香(佐藤栞里)を失ってから、すっかり生気を失い何も手につかなくなってしまった喜多見。救命医療のプロフェッショナル集団MER(Mobile Emergency Room)の発起人の赤塚知事(石田ゆり子)に"理念そのもの"だと言わしめた喜多見本人が、「俺たちがやっていたことは本当に正しかったんですかね」と力なげにこぼす様は、他のメンバーにとってもそして我々視聴者にとっても痛々しく観ていられるものではなかった。
ただ、喜多見のやってきたことは決して間違いではなかった。それを証拠に喜多見不在でも他のメンバーは同時爆破テロの現場に迷わず向かい、"今できること"にそれぞれ必死で当たる。それはMERの最終審査会に参加していた医系技官の音羽(賀来賢人)が思わず言い放った言葉を正に体現する姿でもあった。
「彼らはヒーローなんかじゃありません。MERのメンバーは単なる医療従事者です。彼らは誰かに褒められたいからでも認められたいからでもなく、ただ目の前の命を救いたいという気持ちだけで行動しています」
誰も完全無欠のヒーローなんかじゃないし、自分のことを常に正しいとも思っていない。当然ながら、凄惨な現場に足もすくむし、自分自身の命だって惜しい。"これで良かったのか""もっとできたことはなかったのか・・・"と思い巡らせることもあるだろう。最初から関わらなければ、知らなければ、傷つかなくて済むし、自分の無力さに打ちひしがれることもなければ罪悪感だって覚えなくて済む。
それでも、目の前の命の灯火が消えかかっている時に、結果はどうなるかわからなくとも、「助けたい」「救いたい」と自分の中に湧き上がる気持ちに正直に行動することだけが、どんな絶望的な状況下にあっても自分自身を奮起させてくれる起爆剤であり、進むべき道標になり得るのかもしれない。"誰かのために"という気持ちだけが"恐怖"に、そして何より"弱く狡い自分"に打ち勝てる唯一の"希望"であり"救い"に繋がるのだろう。
喜多見も前話で「絶対に間に合いますよ」と口に出して発することについて「そう言うとね、患者さんだけでなく俺自身も勇気づけられるんですよ。絶対にやり遂げなきゃって」と明かしていた。"自分のために"頑張れることなどたかだか知れていて、「誰かのために」と思った瞬間にこそ、人は思いも寄らぬ底力を発揮する。「誰かのために」と思った途端、一歩も動けないと思っていたところから前進できるのだ。
最後に自分の最愛の人を無残にも奪った椿を見殺しにせずに救ったことで、喜多見は彼が垂らした毒に侵されず、復讐の連鎖を断ち切った。大物政治家の不正を暴こうとする椿は「正しく美しい世界を創るには犠牲が必要だ」と言い"悪を正すには罪なき市民の犠牲も厭わない"との考えを示したが、それはそっくりそのまま彼が憎んでいる政治家たちの「国家の利益を守るには小さな犠牲は付き物」という考え方と何ら変わらないではないか。
椿もこのことにどこかで気が付いていたからこそ、それとは対極のやり方に青臭く愚直に取り組む喜多見のことがさぞかし眩しく煩わしく、そして羨ましかったのだろう。また、自分の矛盾を突き、これみよがしに見せつけてくる存在にも思えただろう。実際のところ、椿が最も幻滅したのは、結局体制側と同じやり方でしか自分が思う正義を示せない自分自身のいたたまれなさだったのかもしれない。
「命を最優先する」「目の前の命を救う」、このシンプルなことがどれほど難しく、そして崇高なことか、皮肉にも椿自身が証明した。
喜多見が、MERの皆がずっと示し続けてくれたのは「誰かのために頑張りたい」という思いは人間に備わった本来的な欲求の一つであり、それは決して"綺麗事"なんかではないということだ。そして仲間と青臭く理想を語り、それを忘れず、愚直に目の前の命を、誰かを救うことでしか、何も変えられないしそれぞれが抱えた傷も乗り越えられないということだろう。
(文:佳香(かこ)/イラスト:たけだあや)
◆放送情報
日曜劇場『TOKYO MER~走る緊急救命室~』
動画配信サービス「Paravi」で全話配信中。
また、Paraviオリジナルストーリー「TOKYO MER~走らない緊急救命室~」が全話独占配信中。
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