ドラマは、時代を映す鏡と言われる。ならば、1990年代という時代を最も色濃く映した脚本家は誰だったのか。人それぞれ答えはあるだろうけど、野島伸司の名を挙げることに異論はおおむねないと思う。
中でも「野島ドラマ」ブランドを確立し、今なお最もアイコニックな作品として語り継がれているのが、『高校教師』(1993年/TBS系)だ。
教師と、生徒。決して結ばれてはならない、ふたりの恋。なぜあのとき、日本中がふたりの恋に魅入られてしまったのだろうか。改めて『高校教師』が描いたものについて考えてみたい。
二宮繭に託された「母性」と「少女性」
物語の主人公は、大学の研究室を追われ、不本意ながら女子高の生物教師となった羽村隆夫(真田広之)。あくまで、3ヶ月の条件つき。春になれば研究室に戻り、大好きな研究に没頭できるはず。そう信じていた。
そんな腰掛け感覚の羽村が着任初日に出会ったのが、女子生徒の二宮繭(桜井幸子)だった。無邪気に慕ってくる繭に振り回されながらも、いつしか羽村は繭に安らぎを覚えていく。
『高校教師』を印象深いものにしている要因のひとつが、この二宮繭というキャラクターだ。野島伸司は、「母性」と「少女性」という対極の要素を、高校2年生の繭に託した。羽村の足の甲に猫の落書きをしたり、図書室で人形劇をさせたり。17歳という年齢に見合わぬ幼い素振りを見せながら、出会って早々、「守ってあげる」と言ったり、佐伯麻美(中村栄美子)が振りかけた塩酸から身を挺して羽村を庇ったり、男性を庇護する存在として繭は描かれている。
二宮繭の「母性」を最も強く感じられるのが、あの有名なラストシーンだ。繭より一回り以上も年上の羽村がまるで幼子のように繭に身を寄せ眠っている。その穏やかな繭の寝顔は、「母性」を超えて、「聖母」に近い。
もともと野島伸司自身が、女性キャラクターに過剰な「母性」を背負わせることの多い作家だ。それは、男性側の一方的な信仰によって女性を幻想化したものと言え、現代の感覚にはなじまないかもしれない。けれどバブルが崩壊し、世紀末に向けて少しずつ世の中の空気が殺伐としていく中で、二宮繭の陰のある聖母像は大衆を惹きつける蠱惑的な力があった。のちに誕生する『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイと並ぶ、1990年代を象徴するヒロイン像だろう。
羽村の同僚・藤村知樹(京本政樹)は作中、「現代の女性には絶望しているんですよ。僕だけじゃない。あなたたちも含めたすべての男性がね。彼女たちは、すべてにおいて利己的です。愛情さえもね」とした上で、「純粋な母性を本能的に持っているのは、性体験のないティーンの間だけだ」と言い放つ。
非常に偏った女性観ではあるが、おそらく野島伸司が女子高を舞台にこの作品を描こうと考えた理由の幾分かはこの台詞に込められている。野島の思う究極の愛とは母性愛であり、享楽的なあの時代に純粋な母性を描くには、制服を着た少女たちに縋るしかなかったのだ。
婚約者に裏切られ、研究者への道も閉ざされ、すべてを失った羽村は、こう言う。
「普遍的な愛なんてものは、進化の過程においては何の意味も持たないと言われているんだよ。生物学者はある意味でみなそう思っている。たとえば、母性という母親が持つ愛情も、精子よりもたくさんの栄養を持つ卵子を提供しているメスが、その見返りを求めて子どもに執着しているとも考えられる」
『高校教師』は、生物学的な母性愛を一旦否定した上で、では本当に何の見返りもなく、ただ一心に寄り添い尽くす無償の愛がこの世に存在するのか、という実験の物語だった。
ふたりを結んだ「穢れたもの」と「聖なるもの」
しかし、『高校教師』をただの母性崇拝の物語と論じてしまうのは早計だ。確かに中盤までは人生に絶望した男が少女の中にある母性に救済を見る物語として展開するが、ある出来事を契機にその全貌は一変する。
二宮繭は、実の父・耕介(峰岸徹)と深い仲にあった。その事実を知った羽村は、繭に生理的な嫌悪感を抱く。それは、母が女であると知ったときの子の拒否反応に近い。繭の中に見ていた聖母像が崩れ去った瞬間だった。
と同時に、聖なるものを相手に求めていたのは、羽村ではなく繭の方であったという構図がだまし絵のように浮かび上がってくる。12歳のときから父親の倒錯的な愛を受け、そのただならぬ関係に勘づいていた母から憎しみを向けられていた繭は、自分自身を穢れたものと考えていた。
思い返すと、なぜ繭は羽村に惹かれたのか。きっかけは、期限切れの定期券で無銭乗車していたのを駅員に見つかり、咎められているところを羽村に助けてもらったことだった。けれど、繭は助けてもらったことがうれしかったのではない。事実、そのあと、一緒に登校する道すがら繭は羽村と一定の距離を置いている。
繭が心を開いたのは、羽村がまるで疑っていなかったからだ、繭が不正乗車をしたかもしれない可能性を。
優しくしてくれる大人はいっぱいいる。正しいことを言う大人もいっぱいいる。だけど、自分を信じてくれる大人は、繭のそばにはいなかった。信じてもらえたことが、繭はうれしかった。それは裏返すと繭が誰も信じていないことの証であり、人を疑うことなんてまるで知らない羽村の善良さに、繭は光を見たのだった。
平凡を美徳とし、人と関わることより研究室にこもって顕微鏡を覗いている方がずっと心が休まる羽村は、俗っぽさがあまりなく、どこか純粋培養されたようなキャラクターだった。自らを穢れだと思い込む繭には、羽村こそが聖なるものだった。
ある意味ふたりはとても似ていた。どちらもお互いに聖なるものを相手に見出し、それを傷つけ冒涜するものに対して手段を選ばなかった。繭は、羽村の婚約者・三沢千秋(渡辺典子)をエスカレーターから突き落とし、羽村は耕介をノミで刺した。敬虔な信者ほど暴徒と化しやすい。『高校教師』は、あらゆる穢れから聖域を守るための物語だったとも言える。
放送終了から2年後、地下鉄サリン事件をきっかけにオウム真理教の存在が世間を震撼させることとなる。バブル崩壊により株価が暴落し、カード破産、就職氷河期といった言葉が流行語となっていく社会で、私たちはかつて正しいと思い込んでいた幸福や価値を覆され、何を信じればいいのか寄る辺を失っていた。
そんな中、羽村と繭の愛は信仰に近かった。やがてふたりは帰る家のない捨て猫のように破滅へと向かっていく。あのラストシーンは大衆に深い衝撃を与えた。中には、自分たちの世界に耽溺した末の自己陶酔的な結末と見る人もいたかもしれない。だけどそれと同じくらい、たとえ他者に理解されなくても、ふたりの間ではこれが幸せだったのだと思える結末に、ほのかな憧れを抱いた人もいたと思う。『高校教師』は、何も信じられなくなった時代に、信じるものを見出したふたりの物語だった。
『高校教師』を名作にした3つの要因
『高校教師』を、過激さばかりを求めた悪趣味な作品だと嫌う人も少なくない。確かに、近親相姦、レイプ、同性愛と耳目を集める題材をこれでもかと詰め込んだ内容は賛否両論を生むだろう。
それでも、決してスキャンダラスなレディースコミック的作品に終わっていないのは、野島伸司のストーリーメイクの巧みさや、感性を刺激する詩的な台詞のみならず、さまざまな要因がある。
ひとつめが、過剰な表現に走らず、あくまで繊細さを守りぬいた鴨下信一ら演出陣だ。藤村のレイプシーンのインパクトが強く、どうしても誤解されがちだが、『高校教師』の中で羽村と繭に関する直接的な性愛描写はまったくない。男女の一線は超えているが、それがストレートに描かれることはなく、それどころか直接唇を重ねることもない。むしろだからこそ生まれた名場面がある。
昼休みの生物室で、こっそり落ち合う羽村と繭。そこで、繭はプロジェクターの光を使い、スクリーンに映し出された羽村の影とキスをする。教師と生徒。決してふれ合ってはいけないふたりだから、この影絵キスがロマンティックだった。もちろんこの場面自体は野島のアイデアによるものだと思われるが、全体を貫く神聖さは、鴨下ら演出陣の力があってこそ。画面から冬の澄んだ空気まで伝わってくるような叙情性が、『高校教師』を名作へと高めた。
ふたつめが、真田広之と桜井幸子というこれ以上ないキャスティングだ。序盤では幼く野暮ったい男だった羽村が、後半になるにつれ、色気が漏れ出し、翳りが濃くなればなるほど精悍に見えた。このグラデーションがあまりに鮮やかすぎて、真田広之の計算し尽くされた演技に思わず唸ってしまう。そして、二宮繭を演じられる女優は、今もって彼女以外には考えられないほど、あのときの桜井幸子には不可侵の清らかさと儚さがあった。のちに野島伸司のミューズとなる桜井の原点とも言うべき無垢な輝きが結晶化されている。
ハリウッドに活躍の場を移した真田は、2001年以降、もう20年も日本の地上波ドラマに出演していない。桜井もまた2009年をもって引退し、以降、表舞台に姿を現していない。その希少性もまた『高校教師』という作品に特別なノスタルジーをもたらしている。
そしてみっつめが、森田童子による主題歌だ。トレンディドラマ全盛期の当時、ドラマの主題歌になればミリオンセラーというのが当たり前だった。その中でも、森田童子の「ぼくたちの失敗」は異質だった。物悲しいピアノの調べ。囁くような森田童子の歌声。ただイントロが流れるだけで、世界が変わった。今も街中で「ぼくたちの失敗」が流れるだけで、息を止めてしまうような魔力がある。
「春のこもれ陽の中で 君の優しさに 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」
この歌詞とともに、かつて自らが経験した悲しい恋の記憶のように、羽村と繭のことを心にとどめている人も多いんじゃないだろうか。
そのセンセーショナルさばかりが取り沙汰されることの多い『高校教師』だが、作品としては完璧なバランスによって成立していた時代の奇跡であったことを、今改めて強く伝えておきたい。
(文・横川良明)
(C)TBS
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