月の見えない朔月の夜を歩くと決めた日高(高橋一生)を、陽の光が照らす道へと引き戻したのは、彩子(綾瀬はるか)の決してブレない正義の信念だった。あらゆる考察を飲み込んで、ついに終幕を迎えた日曜劇場『天国と地獄 ~サイコな2人~』。最終回を観終えて、浮かんだ感想はただ一言。それぞれが誰かのために行動を起こした。その末に待っていたのが、この大団円だったのだ、と。

彩子は知った、誰かのために生きる人の強さを

「彩子ちゃんは基本自分のことだけ。若干サイコパス風味ですよ」

そう陸(柄本佑)は彩子に言っていた。お手柄こそ命。正義感のあまり、やらかし連発。「なんか起こんないかな、猟奇殺人とか連続殺人とか」とボヤいていた彩子は、確かに自分のことしか頭にない暴走機関車のようだった。

そんな彩子が走った。暴走機関車であることは変わらない。だけど、走る目的は以前とはまるで違う。お手柄のためでも、周囲を見返すためでもない。自分を守ろうとして、1人で地獄に行こうとしている男を救いたい。そのためだけに、最終回の彩子はひたすら走り回っていた。

見た目はまるで変わっていない。けれど、中身はまるで違う。まるで魂が入れ替わったみたいだ。でも、そういうことなのだろう。日高と入れ替わったことで、彩子は知った。誰かのために生きる人の強さを。

仕事が見つからず途方に暮れていた五木(中村ゆり)や、痴漢の冤罪をかけられ会社を追い出された富樫(馬場徹)に職を与えたように、日高はいつも誰かのために生きる人だった。そんな日高の人生を生きたおかげで、彩子の心にほんの少しだけ日高の強さが残ったのかもしれない。まるで死刑台へと続く十三階段のように立ちはだかる階段を前に、「待ってろ、日高」と笑う彩子はちょっとサイコパスみたいで。でもその口角を横に広げて笑う顔は、かつて日高が宿っていたときの彩子の笑顔のようでもあって。そこに誰かのために生きる人の強さが迸(ほとばし)っていた。

日高は知った、自分のために生きる人の強さを

一方、誰かのために生きる人生しか知らなかった日高が選んだ道は、奇妙な因果によって兄弟の悲劇に巻き込まれ、刑事のキャリアを絶たれようとしている彩子を、我が身をもって守ることだった。その選択も、つくづく日高らしい。

だけど、誰かを優先することは、自分をおろそかにすることだ。今までずっと自分を支えてくれた父(木場勝己)や妹(岸井ゆきの)、会社の仲間たちの気持ちを無下にすることでもある。そう彩子に説得されても、日高は翻意しなかった。

「あなたは私だったくせに、どうしてよ。私に私の正義を守らせて。私を守りたいと思うなら、あなたは私のために本当のことを言うべきでしょ」

何度も何度も繰り返されてきた彩子の"べき"という言葉。頑なな日高の心を溶かしたのは、そんな彩子の熱い正義感だった。人のことを思いやるあまり、逆に人の気持ちがわからないサイコパスな日高に、人を想うとはどういうことなのか、教えたのが彩子だった。

この言葉だけを聞いたら、日高は彩子の正義を貫かせるために、真実を告白したようにも見える。だけど、その後に続く言葉を聞いたときに、それだけじゃない気がした。復元された動画から、雑音まじりに聞こえたあの言葉。

「あなたは私で、私はあなたです」

つまり、彩子のために生きることは、日高にとっては自分のために生きることでもあるのだ。誰かのために自分を犠牲にしなくていい。もっと時にはワガママになってもいい。自分本位な彩子の人生を生きたおかげで、日高にもまたほんの少しだけ彩子の強さが残ったのかもしれない。それは、自分のために生きる人の強さだ。自分の信念を守り、正義を貫く。そんなふうに生きてみてもいいじゃないか。

『天国と地獄 ~サイコな2人~』は、まったく違う強さを持った2人の人生が交錯したことで、お互いの強さを交換する。そんな出会いと成長の物語だった。

心の中にいる誰かのために行動を起こした八巻、陸、河原

誰かのために行動を起こしたのは、彩子と日高だけじゃない。いち早く入れ替わりを見抜き、忠犬のように彩子をサポートし続けた八巻(溝端淳平)は、犯人隠匿の容疑をかけられた彩子を救うために的確な証言をした。ポンコツと愛され続けた"ゆとり八巻"の最後で最大のお手柄だ。

9時17時で帰れる生活に歓喜し、彩子に捜査に引っ張り出されようとしたら、そそくさと帰っていた序盤の八巻なら、絶対にこんな行動には出なかっただろう。彩子に振り回されっぱなしの八巻だけど、彩子の正義に感化され、ほんの少しだけ変わることができたのかもしれない。最後に彩子の巻き添えで警察学校に飛ばされたところまで八巻らしくて、だけど八巻ならどこへ行っても楽しく過ごしているんだろうなと思った。

彩子を守りたいという日高の意志を尊重し、SDカードの存在を隠そうとした陸も、「俺はどういう殺され方されてもいいから、こいつだけは守って」という朔也(迫田孝也)の言葉を思い出し、その遺言を果たすためにSDカードに残された動画を彩子に送った。

そして、彩子と日高の間に立ち入ることのできない結びつきがあることを感じて、自ら身を引いた。「人間出ていけと言われて出ていったら・・・終わり終わり」と彩子の部屋に居着いていた頃とは別人だ。陸もまた彩子や日高、何より朔也の人生にふれる中で、自らの生き方を見つめ直したのだろう。寂しいラストだけど、猫のように消えた陸が、また誰かに寄り添い、優しさで包んでいる姿を想像すると、心が温かくなる気もする。

別人のようという意味では、最終回で見せた河原(北村一輝)の顔もこれまでの蛇のように執念深い形相とは違っていた。けれど、これは別人になったわけでも河原自身が変わったわけでもなく、見えていなかった別の側面が見えたと言った方が正しいのだろう。相棒の幅(谷恭輔)が慕っているのを見てもわかる通り、捜査方法に強引なところはあれど、決して河原は嫌なやつでも、ましてや悪党でもない。彩子と同じように、自分の正義感に従って行動しているまでだ。

「この殺人はお兄ちゃんの声じゃないのか。立場の弱い人間がいかに容易く奪われ続けるか。そして立場の強いやつらも最後はこういうふうに自らが奪われることにもなる。そんなことが言いたかったんじゃないのか」

そう声を張り上げたとき、かすかに河原の目は潤んでいた。捜査一課の中で誰よりも犯人逮捕に執念を燃やす河原。河原の頭は、いつも犯人のことでいっぱいだった。そうやって犯人の足跡を辿ることは、犯人の人生を知ることでもあったのだろう。朔也に限らず、どの事件に関しても、犯人の一番の理解者は、刑事である河原自身だったのかもしれない。

「きたねえ、しゃがれた、聞くに耐えない声だ。でも、それでも、声は声だ」

河原はずっとそんな聞くに耐えない声に耳を傾け続けてきた。それが、河原の人生だった。だから、誰よりも朔也の声に寄り添うことができたし、その声を勝手にねじ曲げたり、ないものにすることはできなかった。きっとそうやって河原は捜査の第一線に立ち続けていたんだろう。河原の人生そのものが浮かんでくるような名台詞だった。

朔也は、彩子と同じ線上にいたキャラクターだった

正義の反対は悪ではなく、また別の正義。この物語を見ていると、そんな有名な言葉が脳裏をよぎる。誰もがそれぞれの正義をかけて生きた。

真犯人の朔也だってそうだ。未成年にお酒を出してはならない。この社会で生きていると、時に目を瞑られることさえある小さな正義を正しく守る人間だった。そして、それゆえに何度となく割を食らってきた。

不遇の朔也は日高の対称に位置するキャラクターだけど、ある意味では"風紀委員"と疎まれた彩子と同じ線上にいたキャラクターとも言えるかもしれない。それでも、ほんの少し立っている場所が違うだけで、引き返すことのできないところまで転げ落ちてしまう。そんな無情さが、残酷だった。もしも末期の膵臓がんにさえ冒されていなければ、朔也は正義の線上から踏み外すことはなかったのだろうか。もしも定期的に健康診断や人間ドックを受けられる環境にいたら、もっと早くに異変に気づくことができたのだろうか。

もしも朔也がもっと早くに、朔也のために何かをしてくれる人と出会っていたら、朔也は踏みとどまれたのだろうか。そのほんの少しの差が悲しくてならない。

日高は、入れ替わりが起きた理由は、間違い続ける息子2人をあるべき姿に戻したいという母の願いだったのではないかと語っていた。ならば、最後に起きたあの奇跡もまた母の――もしかしたらさんざん弟に迷惑をかけた兄の願いだったのかもしれない。不器用で頭の固い彩子と、思慮深すぎる日高には、それくらいの反則でもしないと、いつまで経っても距離が縮まらないから。どこかでそう笑って見守っている母と兄の姿が浮かぶ。

それくらいのご都合主義は、いいだろう。大切なのは、誰かのためを想う気持ちだ。

どんな悲劇にも、どんな理不尽にも屈しない強さとは、人が人を想う気持ちなのだと『天国と地獄 ~サイコな2人~』は教えてくれた。

(文・横川良明/イラスト・まつもとりえこ)

◆放送情報
日曜劇場『天国と地獄 ~サイコな2人~』
動画配信サービス「Paravi」で全話配信中
また、4月5日(月)より「未公開映像付きParaviスペシャル版」を独占配信予定