考察が考察を呼び、大いに盛り上がった日曜劇場『天国と地獄 ~サイコな2人~』(TBS系/毎週日曜21:00~)。しかし、考察合戦の果てに見えてきたのは、決してただの犯人探しではなかった。

自助努力では抜け出すことのできない貧困の構造や、親の収入や経済環境が子どもの未来に大きな影響を及ぼす現実、格差による支配と搾取など、現代社会が抱える病理を下敷きに、砂を蹴れば蹴るほど崩れ落ちていく蟻地獄が、人の心をどれだけ歪ませるのか、その理不尽な悲劇を『天国と地獄 ~サイコな2人~』は視聴者に突きつけた。

※以下、<>内は入れ替わった後の人物名

朔也を追いつめた、カッコいいお兄ちゃんでいたいという呪い

「僕がお金出します。東さんと僕は兄弟ですよね。お父さんを抱えて非常に苦労をされてきたと聞きました。僕も一緒にするべき苦労だったのに。だからもう遠慮なんてしないでください」

そう日高(高橋一生)に言われたとき、朔也(迫田孝也)の中で何かが弾けた。きっと朔也は、日高にだけは知られたくなかったんじゃないだろうか。自分が兄であることを。兄だと知られたら、きっと優しい弟は不遇の兄を同情する。でも兄がほしかったのは、憐れみなんかじゃない。

認知症の父の存在を隠し、代わりに存在しもない妻を捏造したのも、誰かから可哀相だと思われるのが嫌だったからだ。自分が不幸なことくらい、自分が一番よくわかっている。実の母と再会したときに、運動靴を買い与えてもらうことさえ拒んだあの頃と何も変わっていない。そうやって朔也は歯を食いしばって生きてきた。

安いプライドと言ったらそれまでだ。でも、そんなプライドがあったから、辛い境遇をなんとか乗り越えることができたのだろう。でも、あの歩道橋で、実の弟に同情されたとき、朔也にとって最後の砦が崩れ落ちた。瓦礫の中で残ったのは、理不尽な運命への憎しみ。

「俺さ、こいつ殺した方が世の中のためなんじゃないかってやつ知ってんだよね。掃除屋だし、その漫画のやつみたいに、最期はそいつらを掃除して、この世からおさらばしたい」

そう打ち明けたとき、嘘でもいい、「いいじゃん、お兄ちゃん、やってやろうぜ」と日高が言ってくれたら、もしかしたら朔也は思いとどまったのかもしれない。まるで子どものイタズラみたいに、母の目を盗んでお菓子を盗み食いする幼い兄弟のように、嘘でもいい、そうやって豪快に笑い飛ばしてくれたら、朔也は悪い夢から覚めたのかもしれない。

けれど、まっとうな道を歩んできた日高は「冗談ですよね」とやるせない目を向けるしかできなかった。あのとき、朔也と日高の間で線が引かれた。殺したいほど誰かを憎んだことなんてない日高と、殺したいほど誰かを憎むことでしかもう自分を保っていられない朔也と。同じ日に、たった15分違いで生まれた兄弟は、今同じ場所にいるはずなのに、こんなにも決定的に道が離れてしまった。だから、朔也は日高の胸ぐらを掴むしかなかった。

「俺はお前の兄貴だよ。たった15分先に生まれただけの。でもそれだけで、それだけで俺はこんな人生を送ることになったんだよ」

一番、兄であることにこだわっていたのは、他ならぬ朔也だった。15分先に生まれたことが自分の運命を変えてしまったなら、せめて弟の前では尊敬される兄でありたかった。カッコいい兄でありたかった。でもそれさえ叶わなかったら、兄は自滅の道を選んだ。

あの歩道橋での再会が、悲劇を生んだ。でもそれは決して日高が悪いわけではない。恵まれた環境に生まれたことは、決して本人の罪ではない。

こういう物語だからこそ、そこはきちんとさせておくべきだと思う。社会が悪いわけでも、ましてや殺された田所(井上肇)や四方(小笠原治夫)、久米幸彦(加治将樹)が悪いわけではない。あくまで悪いのは、すべての引き金を引いた朔也自身だということを。

私はあんたを憐れんだりしない。彩子が貫いた正義の信念

「こんな誰を憎んだらいいのかわかんない話」

そう悔しそうに吐き捨てた彩子(綾瀬はるか)は、それでも朔也を前にしたとき、泣きながらこう言い切った。

「私はあんたを憐れんだりしない。今までどんなひどい目に遭ってきたとしても、どんな人生だったとしても、こんなに想ってくれる人を叩き落とせるなんて、あんたは正真正銘のサイコパスだから」

朔也に必要だったのは、憐れみではない。呪いと恨みで濁った目を覚まさせてくれる強い正義だ。たとえ強者の論理と疎まれようとも、実効性のない正論だと謗られようとも、それでも正しい言葉を言ってくれる人が必要なのだ。その役を、彩子は買って出た。「〜べき」が口癖の"風紀委員"は、最後まで"風紀委員"だった。でも、そんな曲げない正義が、配慮と多様化が進んで、何が正しいのかわからなくなっている今この時代に必要なんじゃないかと思う。

朔也に同情するのは容易い。社会の冷たさを嘆くのも簡単だ。でも、道を踏み外した人に、あるいは踏み外そうとしている人に必要なのは、同情してくれる人でも同調してくれる人でもなく、本気で叱ってくれる人なんだろう。

そして、他人に、弟にさえSOSをうまく出せずに孤立化した朔也を見ていると、苦しいときこそちゃんと誰かに助けを求めなければいけないんだとも思う。親兄弟でもいい。友人でもいい。行政でもいい。誰も助けてくれる人がいないなんてことはないんだと、『天国と地獄 ~サイコな2人~』はメッセージを送っている気がした。

森下佳子が描く"あるべき世の姿"とは?

連続殺人事件に関する謎解きは、この9話でほぼ完結したと言っていいだろう。唯一残された謎は、朔也の持っていたSDカードだが、これは田所家から持ち出された防犯カメラのSDカードで、死んだ朔也に代わって、朔也が実行犯であり、日高はあくまで証拠隠滅をしていただけであることを警察に証明してくれるのだと思う。

ただそれ以外のものがすべてミスリードだとしたら、ちょっと視聴者を混乱させることを目的としたトラップが多すぎる気も。このあたりの評価は、最終回を待つことにしたい。

最も気になるのは、彩子と日高の行く末だ。実行犯ではないにせよ日高が犯行を知りながら証拠を隠滅していたことは罪に問われるべきだし、彩子もまた犯人を隠匿していたことは間違いないので、刑事の職を追われることになるだろう。八巻(溝端淳平)だって捜査を撹乱させた処罰は免れない。

こうしたそれぞれの罪を、脚本の森下佳子がどう描くのかが焦点だ。母の生まれ故郷を死に場所に求めた朔也は、結局一度も奄美大島の土を踏むことなくこの世を去った。どんな理由があろうと残酷な方法で何人もの命を奪った朔也を、決して救済させることはしない。その描き方は、森下佳子なりの"あるべき世の姿"に見えた。

ならば、彩子は、日高は、どんな結末を迎えることが"あるべき世の姿"なのか。

「この際、2人仲良く地獄行きといきましょうよ」。そうかつて彩子から告げられた日高は「何も2人して地獄に行くことはありませんよ」と両手を差し出した。そして、そんな日高に彩子は「絶対に、絶対に助けるから」と誓った。

2人を待つのは、はたして天国か地獄か――。3月21日、いよいよ最後の幕が上がる。

(文・横川良明/イラスト・まつもとりえこ)

【第10話(3月21日[日]放送)あらすじ】※75分スペシャル
※<>内は入れ替わった後の人物名

日高(高橋一生)が逮捕された。「絶対に助ける」と日高に告げた彩子(綾瀬はるか)だったが、何もできないまま河原(北村一輝)によって彼の取調べが始まる。東(迫田孝也)と行動を共にしていた陸(柄本佑)も事情を聞かれるが、彩子のことを心配しながらも複雑な心境でいた。

連続殺人事件の主犯は誰なのか、真相にたどりつけない警察。彩子は真実を明らかにするため、行動に出るが・・・。

◆放送情報
日曜劇場『天国と地獄 ~サイコな2人~』
毎週日曜21:00よりTBS系で放送
地上波放送後には動画配信サービス「Paravi」でも配信