「チキンは未来だ!」――。韓国で歴代最高の興行収入を記録した映画『エクストリーム・ジョブ』(2019年)。小気味よいテンポのコメディが魅力だが、全人口の約3割、1600万人もの観客を動員したワケは、それだけじゃなかった。
潜入捜査を偽装するために始めたフライドチキン屋。麻薬捜査班の刑事が急場しのぎで作った、故郷の水原(スウォン)カルビに似せた味のチキンが思わぬ大ヒットとなりストーリーは意外な方向に展開していく。繁盛したチキン店が流すCMで叫ぶ「チキンは未来だ」というフレーズこそ、未来や老後に希望を持てずにいる韓国の人々にズシンと響くのだ。
最近、韓国のドラマや映画を観ていると、やたらとチキン店が登場していることに気付くはずだ。アカデミー賞を受賞した『パラサイト半地下の家族』(2019年)では、ソン・ガンホ演じる主人公ギテクがチキン店で失敗して無職となった過去を持っていた。
また、K-POPアイドル達の共演で話題を集めたドラマ『最高のチキン~夢を叶える恋の味~』は、世界一のチキン店経営を夢見て大企業をあっさりやめたエリート社員が、銭湯を改装したチキン店で青春ラブコメディを繰り広げている。『私の心きらきら』(2015年)はチキン店を営む姉妹が美味しいチキンを作るサクセスドラマ。『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』(2016年)でも、死神(イ・ドンウク)が女性オーナーに一目惚れしたチキン店はドラマの重要な舞台となっている。
なぜチキン店ばかりがドラマや映画で目立つのか。最大の理由は、「韓国の人々がチキン好きだから」にほかならない。例えば、チキンにまつわるフレーズをネットで探すと「韓国はチキン共和国」「韓国のソウルフード」「韓国民のおやつ」「1人1鶏」「チヌニム'(チキン+神)」など、いくらでも出てくる。
いまはコロナウイルスの感染拡大で日本からの韓国旅行はNGだが、ソウルを訪れれば様々な味のチキンに出会える。チキン専門店では「フライド」とコチュジャンに漬けた「ヤンニョム」の2大定番に加え、スタミナ満点の「マヌル(にんにく)」や「ネギ(パ)」、そして「チーズ」の人気も根強い。水飴にまぶした甘辛い唐揚げ風の「タッカンジョン」は、街の屋台でお馴染みだ。
チキンに限らず、韓国には多彩な鶏(タㇰ)料理がある。病後の滋養や暑気払いに食べる「参鶏湯(サムゲタン)」、甘辛く炒めた「タㇰカルビ」などは日本でもメジャーになった。その他にも、辛い煮込み鍋「タㇰトリタン」や、激辛の「プルダㇰ(火鶏)」、タレを付けて食べる水煮鍋「タッカンマリ(鶏一匹)」、漢方などを入れて煮詰めた「タㇰペクスㇰ」、丸焼きの「トンタㇰ」、鶏足の辛炒め「タッパル」・・・。挙げればキリがない。
チキンと同じく安くておいしい豚肉料理のメニューも「サムギョプサル(三枚肉)」をはじめ数多いが、庶民に馴染みといえば、やはり鶏料理に軍配が上がるだろう。
そしてフライドチキンといえば、欠かせないのがビールだ。ドラマ『星から来たあなた』(2014年)では、主人公のソンイ(チョン・ジヒョン)が病院の窓から初雪を見ながら「私が一番好きなのはチキンとメクチュ(麦酒=ビール)」とつぶやく。
スッキリしたノド越しの韓国ビールは、脂っこいチキンにピッタリなのだ。「サムギョプサル(豚の三枚肉)+ソジュ(韓国焼酎)」、「チヂミ(韓国風お好み焼き)+マッコリ(甘い濁り酒)」とともに「料理&酒」トップ3に挙げられるが、チキンとビールが主役の座を譲ることはない。
2002年の日韓共催W杯サッカーで大流行した「チメク(チキン+メクチュの造語)」は、プロ野球やサッカーのスタジアム観戦で必須のお供になった。ドラマ『愛の不時着』(2020年)では、北朝鮮から韓国に潜入した5人が日韓サッカーを放映中のチキン店に陣取り、チキンとビールを握りしめながら韓国代表を応援して大騒ぎするシーンが印象深い。
デリバリーアプリ「配達の民族」は、「チムリエ」なる資格の認証試験を作った。中央日報(日本語版)によると、チムリエは「フライドチキンソムリエ」の略。チキンのあらゆる知識を問う筆記に加え、食べてブランド名や商品名を当てたり、揚げる音で何切れか答えるなど実技も交えた試験を定期的に実施した。「ミシュランガイド」をもじったガイドブック「チシュランガイド」発行も、チキン人気の盛り上げに一役買った。
キョチョンチキンなど有名チキンのフランチャイズ・チェーン(FC)発祥の地である韓国南東部の大邱(テグ)市では、毎年7月の「チメク祭り」に大勢のチキン好きが集い、盛り上がる。文字通り「ビールを飲みながらチキンを食べるお祭り」はソウルや慶州など各地で開催されている。ただし、残念ながら2020年はコロナ禍の影響で中止に追い込まれた。
そんな韓国では、国民1人当たり毎月1羽を超える鶏肉を消費する。KB金融持株経営研究所がまとめた「チキン店の現況(2019年6月)」によると、韓国の年間平均消費量はおよそニワトリ14羽分。それを提供するチキン店が約8万7千店あるという数字にも驚く。人口が2倍以上の日本にあるコンビニの約5万5千店と比べれば、その多いかがわかる。チキン店の売上高合計も約5兆ウォン(約5000億円)規模に達し、いまも年率10%という高い増加率を続けている。
消費が低迷しているのに、庶民の根強い人気を背景に「成長」を続けている業種。これこそ「チキン店の主になりたい」という新規参入組の誘い水になっている。
韓国のチキンFCは409あり、「BHC」「BBQ」など日本に進出した企業も少なくない。こうした有名チェーンの門戸をたたくのは、主に40~50歳代の企業退職者だ。彼らが大挙してチキン店創業に群がる現実は、韓国の競争社会という厳しい負の側面も映している。
韓国の青年たちは、自分たちのことを「N放世代」と呼ぶ。「放」は「放棄」、つまり「諦めた希望」を指す。「3放(恋愛、就職、結婚)」から「7放(持ち家、子作り、人間関係、夢)」、そして「N放」へと、歳を重ねるにつれて諦めた希望の数だけが増えていく、という自嘲的な造語だ。
厳しい受験競争を勝ち抜いて有名大学に入ると、就活に必要な語学や資格など「スペック」を獲得するための激しい競争が待ち受ける。最近でもソウル大を卒業して希望する企業に就職できるのは半数程度。残りは海外に出て夢をつなぐか、就職を諦めて親のスネをかじり続けるしかない。
たとえ運よく企業に就職できたとしても、今度は生き残りを掛けた社内の出世競争にさらされ、敗北すると「名誉退職」と呼ばれる肩たたきにあう。そんな「38歳定年」と呼ばれる韓国で、その後の長い人生を掛けて、なけなしの退職金をつぎ込む数少ない選択肢が「チキン店の経営者」なのだ。
大手FCに加盟すれば、店舗や調理法の指導、食材の調達まで経営の経験がなくてもノウハウを学びながら店舗の主(あるじ)になれる。FCの経営側も規模拡大による加盟料収入の増加を狙って、オーナーを養成する研修所の設立など積極的に創業希望者をサポートしている。また、チキン店創業に必要な費用の平均額も500万円程度とされ、一般的な外食店を創業する費用に比べて半分から3分の1で済む。
韓国では①チキン店 ②コンビニ ③コーヒー専門店が「退職後に就きたい3大自営業」と呼ばれると聞いたことがある。なかでもチキン店は、「料理の腕前も必要ないし、配達比率が高いから店舗が狭くて営業しやすい」という参入ハードルの低さが、退職金をつぎこんでのチキン店創業に人々を駆り立てている。
半面、新規参入が多ければ多いほど、淘汰される店が増えるのは自明の理だ。18年にオープンしたチキン専門店は約6200店に上ったが、もっと多い約8000店が閉店に追い込まれた。『パラサイト 半地下の家族』の主人公ギテクも、チキン店に失敗した過去を持つ、「よくいる社会の落伍者」として描かれていた。
ちなみに、韓国ドラマにチキン店やチキンを食べるシーンが増えた背景には、PPL(プロダクト・プレイスメント)と呼ばれる間接広告の手法も指摘される。10年ほど前の放送法改正では、地上波放送で特定のブランド名やロゴを隠さなければいけないという規制を撤廃。韓国ドラマは番組の途中でCMが入らないが、その代わりに商品や店舗をドラマの場面で登場させて広告効果を狙う手法が多用されるようになった。特に、チキンのFCはPPL活用に積極的で、一部には「やたらとチキンが露出しすぎ」との批判も出ている。
同じFCはどこでもメニューや味が一緒だ。それならサービスや立地で独自色を出さなければ生き残れない。ドラマ『恋のゴールドメダル~僕が恋したキム・ボクジュ~』(2016年)では、主人公ボクジュがチキン店を営む父に頼まれて配達に出かけるが、届け先は「大学の構内」としか聞いていない。「チキンで~す。チキンが来ましたよ!」と叫びながら配達員が注文客を探し回る姿は、ソウルではありふれた日常の光景だ。
「起・承・転・鶏(チキン)」。数年前、こんな造語が流行したという韓国のネットニュースを見た。人生は激しい競争にさらされて曲折を繰り返すが、結局は誰もがチキン店にたどり着く・・・という意味だ。チキンは韓流ドラマや映画で、おもしろおかしく描かれることの多い小道具の一つだが、その裏に過当競争にもまれながら成功の夢を追い続ける人々の思いが隠されていることを忘れたくない。
(文:山口真典)
映画『エクストリーム・ジョブ』:(C)2019 CJ ENM CORPORATION, HAEGRIMM PICTURES. CO., Ltd ALL RIGHTS RESERVED
『最高のチキン~夢を叶える恋の味~』:(C)2020「最高のチキン」日本版製作委員会
『恋のゴールドメダル~僕が恋したキム・ボクジュ~』:(C)2016-7 MBC
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