このラスト10分の面白さは、事件だ。
あの「出前太郎」がヒントになって、ついに久住(菅田将暉)を追いつめた。と思いきや久住は同時爆破テロを予告。次々とSNS上で増殖する、爆破映像。巻き起こる嵐のような110番通報。画面上に流れる不穏なニュース速報。
そのスケールの大きさに身震いをしていたら、すべては久住の仕掛けたフェイクだった。
『MIU404』(TBS系/毎週金曜22:00~)第10話は、悪意と正義が無責任に拡散されるインターネットの恐ろしさに打ちのめされた回だった。
「トレンド1位」に高揚した瞬間、その恐怖に背筋が凍った
『MIU404』ではこれまでも一貫して匿名のネットユーザーが他者を追いつめる描写が繰り返されてきた。成川(鈴鹿央士)が家に帰れなくなったのも、顔と実名をネット上で晒されたことが原因だったし、身元を隠していた麦(黒川智花)にREC(渡邊圭祐)がリーチできたのも、RECが流した人探しのツイートを無数のネットユーザーが拡散したからだった。
何の気なしに「RT」を押す。その行為自体に悪意はないのかもしれない。けれど、膨れ上がるその数字に興奮を覚えたとき、人は何かを間違える。ドラマ終盤、「#MIU404」という謎のハッシュタグに食いつき、トレンドランキングをどんどん駆け上っていくさまに嬉々としていた匿名のネットユーザーと、テレビの前で実況をしている私たちは、きっと同じ顔をしていただろう。
そして、ドラマの中で伊吹(綾野剛)と志摩(星野源)を混乱させた「#MIU404」のハッシュタグが、現実世界のツイッターでも同じようにトレンドランキング1位になったとき、私たちはその恐ろしさに息を飲んだ。
誰もが悪事の加担者になる恐怖。野木亜紀子はインターネットに溢れる情報の危うさ、実態のなさを、見事なエンターテインメントに昇華して描き出した。
私たちはみんなRECになる可能性がある
そんな大衆の無責任さを最も象徴的に表しているのが、RECだろう。
「あなたは点と点を強引に結びつけてストーリーをつくり上げているだけだ」
4機捜は警察の悪事を隠すための秘密部隊であると告発したRECに、志摩はそう言った。世に溢れる陰謀論。それを盲信する人たち。人は自分の信じたいものだけを信じる。だから、簡単にフェイクニュースに操られてしまう。
闇を暴く。真実を見極める。どれも耳心地の良い言葉だけど、そこにあるのは本当に正義感なのか。いや、違う。みんな誰かを裁きたいんだ。気持ちがいいから、「正義のヒーロー」になることは。実生活で「正義のヒーロー」になることは難しいけれど、ネット上なら簡単になれてしまう。だから、みんなやめられない。自分が正しいという思い込みは、ドラッグだ。簡単に、その目を狂わせてしまう。人格を変えてしまう。
RECだって、最初のうちは強い使命感でナウチューブをやっていたのだろう。数字にならないという理由だけでテレビ局員が取り上げようともしなかった外国人労働問題にも果敢に切り込む気概があった。けれど、取り上げたネタがバズる喜びを知ってしまった途端、どんどんその快楽にのめり込むようになった。気づけば、拡散されやすい刺激的な煽りばかり入れるようになった。結局、あのテレビ局員と同じだ。インターネットが正義で、マスコミが悪なんてことは絶対にない。中にいるのは、どちらも人間だ。
けれど、インターネットの世界では、強大な権力を叩いた者が「正義のヒーロー」と見なされやすい。政治家、警察、マスコミ。それらは一瞬で血祭りにあげられる。事実かどうかなんて二の次だ。相手が反論できないことをいいことに、小さな綻びを見つけた瞬間、鬼の首を取ったように袋叩きにする。
私たちは10話を通じて桔梗(麻生久美子)の人間性にふれてきたから、ああやってほんの一瞬の表情を切り取られ、「育児放棄してそう」と桔梗の人格を決めつけられることに腹を立てられるけど、じゃあたとえば不倫をした芸能人に、ネガティブなコメントをしたことはないか。あくまで不倫行為はその人の一部であって全部ではないのに、その人の人間性を糾弾するようなコメントや、その後のやり直しを否定するようなコメントがネット上には溢れ返っている。相手が何も反論できないのをいいことに。
それらと、何ら変わりはしない。自分はたった一言のつもりでも、それが何万人、何十万人と積み重なれば、罵詈雑言の嵐になる。あのコメント欄に流れるネットユーザーは、私たち自身かもしれないのだ。
改めて志摩の第1話の台詞が甦る。
「俺は、自分のことを正義だと思っているやつがいちばん嫌いだ」
あの台詞を向けられていたのは、本当は誰だったのだろうか。
理解できないものに対する恐れが、誹謗中傷や陰謀論を生む
そして、そんなネットユーザーの標的になった桔梗の描き方も心に残るものがあった。今までずっと歯を食いしばってきた桔梗は、浴びせかけられた根拠なき誹謗中傷に対し、「ふざけんなっつうの。働いてんだよ、こっちは。古くっさい男社会の中でめげずにきっちりやってきた人の努力をさ、何だと思ってんの」と声を震わせた。
ここで「頑張ってんだよ」でも「戦ってんだよ」でもなく、「働いてんだよ」と言わせるところが、野木亜紀子らしいなと思う。第5話の「何を恐れているんだろうね。ただここにいて、働いているだけなのに」という台詞と同じだ。
別に何かに逆らいたいとか歯向かいたいわけじゃない。ただ仕事としてやるべきことを当たり前にやっているだけ。それなのに妙なレッテルを貼られてしまう。そんな働く女性たちの理不尽が、桔梗の台詞に込められている。
そしてこうしたレッテル貼りの多くは、未知のものに対する恐れから来るものだ。そういう意味では、桔梗への中傷も「#MIU404」というハッシュタグへの反応も根幹にあるのは同じ。人は、自分の説明のつかないものを恐れる。自分の常識や理解の枠外にあるものを拒否する。
男性が警察組織のトップになる。これは、自分にとっての常識。だから、理解できる。でも、女性が警察組織のトップになる。これは、自分の常識にはない。理解ができない。だから、「美人だから」とか「幹部と寝た」とか自分の理解できる範疇に当てはめて納得しようとする。「#MIU404」という意味不明のハッシュタグも、謎のメロンパン号をテロリストだと当てはめれば理解できる。そうやってどんどん自分のわかりやすいものへ他者をラベリングしていく罪が、しっかりと描かれていた。
『MIU404』がこれだけの熱狂を生むのは、こうした現代社会の病理を鋭く描いているから。だから、私たちは画面を見ながら、何か自分の中にある鏡を覗き込んでいるような気持ちになるのだ。
恋愛感情なんかなくても、男と女は敬意でつながれる
そんな桔梗と志摩が簡単に恋愛関係に落ちないところも信頼できる。弱った心を救うのは、異性からの恋愛感情だなんて勝手に決めつけないでほしい。そんなものがなくたって、私たちはメシを食べて、温かいお風呂に入って、よく寝たら、ちゃんと次の日からまた自分のやるべきことをちゃんとやれる。そんな明快な意志を、ふたりの描写から感じられた。
その中で、ほんの少し優しい言葉に救われるときがある。志摩の「冷めてもうまいのが機捜うどん」の一言のように。あそこで「俺の前で無理しないでください」なんて安い言葉はいらない。間違っても頭ポンポンとかしなくていい。男と女は敵ではないし、そこにあるのはときめきや性欲だけでもない。ちゃんと敬意でつながれるんだということを描いてくれるところも、野木亜紀子の脚本の美しさだ。
そして、この10話まで来て、改めて『MIU404』は「ルール」の物語なのだということが見えてきた。警察は「ルール」に基づいてしか動けない。それに対し、久住は「ルール」の範疇外にいる男だ。「ルール」を守らない人間に、「ルール」を守りながら、どう戦うのか。
第1話で、伊吹はあおり運転の犯人に銃口(と見せかけたおもちゃのステッキ)を突きつけた。それを志摩は「発砲の要件に適っていない」と制止した。伊吹は、志摩によって「ルール」を学んできた。ではもしもう一度あの場面と同じ状況に遭遇したら。伊吹は、志摩は、どうするのだろうか。予告で流れた銃声。あの銃声によって倒れたのは、誰か。不吉な想像は止まらない。
でも、きっと最後は勝利してくれると願っている。「悪い人が捕まって、頑張ったら報われて、正しいことをした人が後悔しないですむ世界」。麦がつぶやいたそんな理想を、最終回で見せてほしい。
(文・横川良明/イラスト・月野くみ)
【最終回(9月4日[金]放送)あらすじ】※15分拡大
同時多発爆破テロのニュース映像はフェイクとわかり、大混乱は間もなく収束した。伊吹(綾野剛)と志摩(星野源)は、犯人が乗っているとネット上で拡散されたメロンパンの機捜車両404での密行は行えずにいた。別の車両で密行していると、その車中、伊吹は志摩の態度がおかしいことを追及。結果的に2人の関係がギクシャクしてしまう。
実は、トラックにひき逃げされた陣馬(橋本じゅん)は、爆破テロの大混乱で救急搬送が遅れてしまった...。志摩はフェイクに気づけずに判断を誤った自分を責めていた。九重(岡田健史)も陣馬の相棒として一緒に行動できなかったことを悔やみ、桔梗(麻生久美子)は班長としての責任を痛感。それぞれが無力感にさいなまれていた。そして伊吹は・・・。
さらに、依然として久住(菅田将暉)の行方は掴めないまま・・・。4機捜はこのまま久住を捕まえられず、バラバラになってしまうのか・・・。
◆番組情報
『MIU404』
毎週金曜22:00からTBS系で放送中。
地上波放送後に動画配信サービス「Paravi(パラビ)」でも配信されている。
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