この作品のスタッフとの打ち合わせで「ほぼ実話をもとに作ってきた」「家族に関するモノを捨てるというのは、どんなサクサク捨てる安達さんでも特別なものじゃないか」と尋ねられた安達さんの答えは、「・・・大丈夫です」。それにしても、なぜ「大丈夫」という言葉って、たいてい大丈夫じゃないときに発せられるものなんだろう。

安達さんが特に「大丈夫」じゃない感を漂わせるのは、母親とのつながりだ。

例えば、息子のお迎えを電話で母親に頼むうち、あれこれ言われて、「お母さんはいつも正しい、私はいつも間違ってる。でも、私はお母さんのものじゃない!」と、交渉決裂するシーン。肉親ならではのややこしさが、なんてリアルなんだろう。

そして、最終回のゲストは第一話から登場し続けていた"捨てられないモノのラスボス"である"夢の中の少女"(川上凛子)。

安達さんと同じく紅ショウガが大好きで、「子どもじゃない」と言い、忘れられる悲しさをときどき呟いていた少女。母とのつながりの何かだと思っていたが、今回、夢の中で安達さんは「飽きました。他のものを下さい」と少女に言う。

「あなたのお母さんが妊娠してから、紅ショウガばっかりを食べるようになったからですよ」

紅ショウガ、紅しょうがの天ぷら、紅ショウガの海苔巻きが次々に出され、「そのうち始まる離乳食」も、美味しいもんでもないという。

「あっちに行くモチベーションがなくなりました。あたし、ここにいます」(安達さん)
「あなたが育たないと、私の責任問題になるんですよ」(少女)

なんと安達さんは「安達さんの胎児」だった。では、少女は誰なのか。
閉じ込められているのがもう限界と訴える安達さんは、少女に「欲張りません。普通の人生でいいんです」と言う。皮肉にも、誰より「普通じゃない人生」を幼少時から歩むわけだが・・・。

「やってやりますよ、靴磨きだってなんだって。お母さんに会いたいから」と言う安達さんは、少女に別れを告げ、笑顔でトラックを走り、ゴール(誕生)に向かう。だだっ広いグランドのような場所に日が差し込む中を駆け抜けるシーンは、絵画のように幻想的だ。

そこで目を覚まし、ごみ箱に投げ捨てたものこそが、あの少女。「安達さんとお母さんをつなぐもの=へその緒を入れた箱」だった。

生まれたばかりの子どものような泣き声をあげる安達さんに、少女は言う。

「しんどいね。そりゃそうだよ、だって産んだんだもん、命。産んだんだもん、執着するでしょ、そりゃ」

その言葉を強く拒否した安達さんが再びあの箱を探すと、少女の言葉。

「私のこと、また捨てるの? 見えないところに追いやって、大丈夫なフリして生きていくの? 捨てないで、安達さん」

号泣する少女の声や表情が、安達さんの号泣シーンと見事にリンクする。

テレ東ではこれまで『バイプレイヤーズ~もしも6人の名わき役がシェアハウスで暮らしたら~』(2017年)や、『山田孝之の東京都北区赤羽』(2015年)、松岡茉優・伊藤沙莉の『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』(2016年)など、いわゆるフェイクドキュメンタリーを多数仕掛けてきた。

しかし、そんな中でも、本作は「安達祐実」という誰もが知る有名人の、プライバシーにかかわる部分に深く切り込みつつ、虚と実が奇妙に入り混じる「夢」というかたちで、舞台を見るような物語に仕立てあげている傑作だ。

ちなみに、全12話全体の構成は、夏目漱石の『夢十夜』を思わせる。現実世界の悩み・迷いに近い物語もあれば、「輪ゴムとレジ袋」のような不思議な物語もあって、夢の中の表層部と深部とを行きつ戻りつする在り様は、まるで睡眠のリズムのようなのだ。

1話から12話までまとめて見返すと、ますます夢の中に取り込まれるようで、また新たな発見が得られるかもしれない。

(文・田幸和歌子/イラスト・月野くみ)

◆番組情報
『捨ててよ、安達さん。』
動画配信サービス「Paravi(パラビ)」で全話配信中。