明けない夜はないという。
新型コロナウイルスの影響で4月クールの連ドラの開始が軒並み延期されていたが、6月に入って撮影が開始し放送もようやく始まっている。

TBSの金曜ドラマ『MIU404(読み:ミュウ ヨンマルヨン)』も、そんな風に開始を待たれていたドラマの1つだ。脚本・野木亜紀子、チーフ演出・塚原あゆ子、プロデュース・新井順子の座組は、あの『アンナチュラル』以来である。そう、鉄板のトライアングルだ。そこで――本コラムでは、同ドラマが始まるまでの間、予習というワケじゃないが、より『MIU404』が楽しみになる、そんな機会を提供できればと思います。

さて、『MIU404』は刑事ドラマである。その舞台は、警視庁の働き方改革で結成されたという架空の設定の「警視庁刑事部・第4機動捜査隊」。24時間のタイムリミットの中で、犯人逮捕にまい進する初動捜査のプロフェッショナルたちの物語だ。タイトルの"MIU"とは、Mobile Investigative Unit(機動捜査隊)の頭文字。"404"とは、2人の主人公、伊吹藍(いぶき・あい)と志摩一未(しま・かずみ)のコールサインを表しているという。つまり――これは"バディもの"のドラマなのだ。

バディものとは? その傾向と定義

そう、バディもの――日本語で言えば"相棒"もの。
これが、本コラムのテーマである。志を同じくする2人の主人公による、広義の友情の物語、それがバディものだ。ある種の共犯関係とも。大抵、2人は対照的なキャラクターとして描かれ、例えば、知性派と肉体派、ノッポとチビ、クールとおっちょこちょい――等々。昔はバディものと言えば、圧倒的に男性2人のケースが多かったが、近年、女性同士のバディものも増え、今や男女2人のバディもの(ラブストーリーにあらず)も珍しくない。かと思えば、最近では男性2人の「ブロマンス」なる新ジャンルも登場して、友情を越えたホモソーシャルな愛情が描かれるケースも――。その辺り、まさに映画やドラマが時代の鏡と言われる所以である。

――となれば、これは、ラブストーリーやお仕事ドラマなどを書かれてきた野木さんにとって新境地になる。主役を演じるのは、綾野剛と星野源という、今を時めく人気俳優2人。奇しくも両人とも、過去に野木脚本作品『空飛ぶ広報室』(2013年、TBS系)と『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年、TBS系)で、それぞれヒロイン(新垣結衣)の相手役を務めた共通点がある。つまり、本作はオリジナルドラマなので、2人を良く知る野木さんなりの「当て書き」も期待できるというワケだ。果たして2人をどんなバディ(共犯関係)に仕立てるのか――その辺りの興味も尽きない。

ちなみに、主役2人のキャラクター設定は、綾野さん演じる伊吹が「考える前に身体が動いてしまう野生のバカ」、星野さん演じる志摩が「観察眼と社交力に長けているものの、自分も他人も信用しない理性的な刑事」という。要するに、肉体派と理性派という、バディものでしばしば見られる鉄板の座組である。

で、ここからが本題。
本コラムは、そんなバディものの歴史を、古今東西のドラマや映画を通して、紐解いていきたいと思います。エンタテインメントの基本は"故きを温ねて新しきを知る"――いわゆる温故知新である。過去を見聞することで、『MIU404』を見るにあたって、様々な発見や考察が生まれるかもしれない。しばし、お付き合いのほどを――。

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元祖バディものは、あの有名作品

まず、バディものの元祖の話から始めよう。
僕の知る限り、バディものを一躍世間に知らしめた有名作品と言えば、19世紀末に登場した、アーサー・コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」シリーズですね。名探偵ホームズと相棒ワトソンの活躍で、難事件を次々に解決する物語だ。冷静沈着な天才肌のホームズに対して、語り部であり実直な常識人のワトソン。一見、対称的なキャラクターながら、強い絆で結ばれた2人が織りなす人間ドラマもまた、同小説の魅力である。単なる推理劇に止まらず、世界的名作と呼ばれるに至った所以である。

そんな人気作品ゆえ、同小説は、これまで何度も映像化されてきた歴史を持つ。近年では、英国BBC版の『SHERLOCK/シャーロック』が有名だろう。ベネディクト・カンバーバッチ(ホームズ)とマーティン・フリーマン(ワトソン)の好演が光り、またモーショングラフィックを駆使した字幕などの斬新な演出も話題になった作品だ。

ちなみに、同ドラマで最も大胆な試みが、原作の世界観を残しつつ、設定を21世紀のロンドンに改変したこと。その結果、ホームズはスマホやGPSといった最新の技術を駆使して難事件に挑む現代風のキャラとなり、一方のワトソンは軍医としてアフガン戦争に従軍した経験がPTSDとなって悩まされるなど、深みのある人物へ、それぞれアップデート。更に21世紀らしく、2人はしばしば周囲からゲイカップルに誤解されるなど、意図的な「ブロマンス」へのミスリードも笑いを誘った。

そう、これもまた、ドラマは時代の鏡と言われる所以である。

映画黎明期、バディものに脚光

では、次に映画界に視点を移し、バディものの歴史を振り返りたいと思う。

映画の幕開けと言えば、「映画の父」ことリュミエール兄弟が1895年に公開したシネマトグラフに始まるとされるが、その黎明期――1920年代後半にトーキー(映像と音声が同期した今日の映画のスタイル)が登場するまでは、もっぱらサイレント(無声)映画が主流だった。

で、そんなサイレント時代に、一躍人気を博したジャンルが「喜劇」である。サイレント映画は台詞がない(字幕がカットインする)ので、演技がパントマイムのように過剰になる傾向があり、チャップリンやバスター・キートンなどの喜劇俳優が脚光を浴びたのだ。いわゆるスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)がそう。そして、その流れから映画界初のバディものも登場する。「ローレル&ハーディ」だ。

痩せっぽちで気弱なスタン・ローレルと、太っちょで怒りんぼなベビーフェイスのオリバー・ハーディ。そんな対照的な容姿の2人が毎回、ひょんなことから騒動に巻き込まれ、すったもんだの大騒ぎになるのがお決まりのパターンだ。日本でも「極楽コンビ」の名称で親しまれ、観客たちの笑いを誘った。

トーキーの時代から映画黄金期へ

1930年代に入ると、映画はトーキーの時代になる。会話劇や音楽を主体としたラブストーリーやミュージカルが流行り、体を張ったスラップスティックは徐々に衰退する。やがてハリウッド映画は一枚看板のスターの時代を迎え、いわゆるハリウッドのスタジオシステムが完成する。

そう、スタジオシステム――。
それは、"ビッグ5"と呼ばれる映画会社(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、RKO)が製作・配給・上映を独占し、更にスター俳優を始め、有名監督や脚本家、プロデューサーらと専属契約を交わしたビジネスモデル。おかげで、毎週のように新作映画が封切られ、多くの観客が映画館に押し寄せた。映画黄金時代である。

そして、そんなスタジオシステムの中で、バディもののスラップスティックは生き残る。前述のローレル&ハーディに続き、40~50年代になると、アボット&コステロ(凸凹コンビ)やクロスビー&ホープ(腰抜けコンビ)、マーティン&ルイス(底抜けコンビ)らが人気を博したのである。彼らもまた、紛うことなきスターであった。

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スタジオシステム崩壊からアメリカンニューシネマへ

だが、そんなアメリカ映画界も1950年代末、大きな変革期を迎える。ハリウッドのスタジオシステムの崩壊である。

アメリカという国は、基本的には自由競争を重んじる国で、特定の企業が肥大化しすぎて業界の競争力が失われると、時に思い切った施策に出る。それが最高裁で下された、ハリウッドの"ビッグ5"に対する"映画館の分離"だった。つまり――製作・配給・上映から、興行権(上映)を"はく奪"、中小の映画会社の上映機会を増やそうというもの。これを機に、"ビッグ5"の独占形態は崩れ始め、またテレビの台頭もあって観客が徐々に映画離れを起こし――50年代末、とうとうハリウッドのスタジオシステムは崩壊する。

1960年代、世界の映画界を新たな潮流が席捲する。それは、フランス・パリのヌーヴェルヴァーグやイギリス・ロンドンのブリティッシュ・ニュー・ウェイヴなどに端を発する、若い世代による新しい映画作りの試みだった。やがて、その波はベトナム戦争が泥沼化を始めたアメリカに渡り、60年代後半、反戦運動やヒッピー・ムーブメントと結びついて、若い映画世代による「アメリカンニューシネマ」が誕生する。

そう、アメリカンニューシネマ――反体制色の濃い、アンハッピーエンドのリアルな映画作品の一群をそう呼ぶ。そして、バディものも新たなステージへ移行し、かつてのスラップスティック・コメディ全盛から、リアルな若者2人の悲哀を描いた物語へと変貌する。

――と、ここまで『MIU404』をきっかけに"バディもの"の歴史を19世紀末から振り返ってきたが、映画は時代の鏡と言われる通り、2人の"共犯関係"も時代に応じて変化する。1930~50年代の映画黄金時代から、スタジオシステムの崩壊を経て、60年代後半のアメリカンニューシネマの時代を迎えるにあたり、バディものはどう進化したか。この続きは、幕間を挟んで、次の〔中編〕で存分に語りたいと思います。

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