活動の主軸を映画に移していたかに見えた彼が、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』(2018年4月~9月)と『義母と娘のブルース』(2018年、TBS系)で連ドラに戻ってきたのは、ファンにとって非常に喜ばしいことだろう。
佐藤健といえば、最新の『恋つづ』でハマったファンも多数いるだろうし、映画『るろうに剣心』シリーズが一番好きだという人、その起用のきっかけとなった同じく大友啓史監督の大河ドラマ『龍馬伝』(2010年、NHK総合ほか)が最高傑作だという人、いや『天皇の料理番』(2015年、TBS系)が、『Q10(キュート)』(2010年、日本テレビ系)が・・・などなど、好みはいろいろ分かれるのではないだろうか。
それこそが彼の演技の幅の広さを示すものだと思うが、「いろんな佐藤健をいっぺんに楽しめる」作品としてイチオシしたいのは、なんといっても彼の連ドラ初主演となった『仮面ライダー電王』である。
「戦隊は明るめ、ライダーは暗め」と大別されることが多いなか、本作は比較的コメディタッチの話が多い。しかも、怪人(=イマジン)は「桃太郎」「浦島太郎」「金太郎」などのおとぎ話をモチーフとしており、仮面ライダーお約束のバイクには乗らず、「時の列車」で移動する。何かと異色な設定だが、そこで佐藤が演じたのは、臆病で引っ込み思案で揉め事が嫌いで、不運で、身体能力も低く、すぐに失神してしまう"史上最弱の仮面ライダー"だった。
当時、17歳だった彼は、当時としては史上最年少のライダーでもあった。
戦隊、ライダーの新作が発表される際には、基本的にモチーフと主演俳優はチェックするようにしているのだが、会見の映像や記事で初めて見た彼の印象は、「ものすごく華奢で繊細そうで、中性的で、とにかくイイ!」だった。「不運で、すぐ失神する」という特性にもグッときた。
実際、放送が開始されると、まず第一話冒頭から「最弱」っぷりが爆発していた。
主人公・野上良太郎(佐藤)は、目に砂が入ったせいで、気づけば自転車に乗っているだけで木の上にひっかかったり、ガラスの破片を踏んでタイヤがパンクし、フラフラ進む先でヤンキーにぶつかりそうになって、カツアゲされそうになったり、難を逃れたかと思えば、投げ捨てた空き缶がバウンドしてヤンキーにあたり、ボコボコにされたり。
非常が細くて、声が高めで弱弱しく、オドオドしていて、目だけ大きい当時の彼は、人間たちに傷つけられてきた黒い小さな野良猫のような雰囲気を持っていた。
しかし、この良太郎が、時間の改変の影響を受けない"特異点"であることから、時間を改変しようとする侵略者・イマジンを阻止するために、「モモタロス」「ウラタロス」「キンタロス」「リュウタロス」などの味方イマジンに憑依される。
最終的にはメインのイマジン4体のほか、ジーク、デネブ、ゴーストイマジンといった計7体に憑依されるのだが、そこで見せたのが、瞬時に別人に切り替わる、見事な演じ分けだった。
例えば、「モモタロス」が憑依すると、オドオド弱弱しかった良太郎の目つきが野生的に光り、強気で暴れん坊で明るく自信たっぷりな態度と声色になる。また、「ウラタロス」が憑依すると、クールな声で甘く囁く冷静かつ理知的なメガネのモテキャラになり、「キンタロス」が憑依すると、着流し姿で関西弁になり・・・と、憑依されるイマジンによって、髪型や服装といったわかりやすいビジュアルの変化だけでなく、表情、姿勢、仕草、声色などがガラリと変わるのだ。
良太郎のときには、やや猫背で、華奢すぎるくらいに見えるのに、モモタロスが入っていると、身体能力の高そうなポーズ、動きを見せることにより、体つきまで違って見えてくる。それだけでも十分に連ドラ初主演作と思えない技術が感じられるのに、さらに見事なのは、強烈なキャラを憑依させる「素の良太郎」自身がそこに飲み込まれていかないこと。
極端な役は、キャラモノとして演じやすい面があるが、逆にキャラを入れられる「器」としての役割を持つ良太郎自身が、平凡かつ無味になりかねない。
しかし、強烈な個性を放つイマジン憑依バージョンと違い、良太郎自身が持つ頑固さや優しさ、強さといった人間の奥行や、回を重ねるごとに少しずつ変化するイマジンとの関係性・距離感などが見えてくるのが、佐藤健の巧さであり、この作品の大きな魅力となっている。ファンにとっては、ビジュアルやキャラクター性から、どのイマジン憑依バージョンが好みか探す楽しみがあるだろう。と同時に、七変化ぶりや成長具合などの技術に唸らされる作品でもある。
後々に分岐するファンの好みの「佐藤健のさまざまな顔」が、言ってみればこの1作に全部詰まっている。原点であり、すべての味を楽しめる「佐藤健カタログ」とも言える『仮面ライダー電王』をもう一度振り返ってみては。
(文・田幸和歌子)
(C) 石森プロ・東映
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