動画配信サービス「Paravi(パラビ)」で楽しめるあの人気俳優のブレイク前夜。第3弾は、俳優・窪田正孝をフィーチャーする。

連続テレビ小説『エール』(NHK総合)で6年ぶりの男性主人公を演じている窪田正孝。その演技力の高さは早いうちからドラマファンの注目を集めていたが、彼が本格的に世間の脚光を浴びはじめたのは、連続テレビ小説『花子とアン』(NHK総合)の朝市役がきっかけだったように思う。その後、『Nのために』(TBS系)、『デスノート』(日本テレビ系)など話題作に恵まれ、主演級俳優としての地位を確かなものにした。

今回は、"朝市以前"の窪田正孝をプレイバック。当時から変わらない演技センスと、その成長がしっかりと刻まれたルックスの変化を紹介したい。

『家族善哉』(2006-2007年/TBS系)

まだドラマ出演は本作で2本目。初々しさ全開の窪田正孝に、なんだかいけないものを見てしまったような気持ちになるのが、この『家族善哉』だ。

本作は、『キッズ・ウォー』で知られる昼ドラ枠「ドラマ30」の1本。16歳でできちゃった結婚をしたため高校を中退した主婦の石井咲子(竹内都子)が34歳にして一念発起して再び高校生に。娘の美佐緒(赤松悠実)や息子の新哉(窪田正孝)と同じ高校に通いはじめたことから巻き起こる家族内でのドタバタや学園内のトラブルを描いたホームコメディだ。

窪田正孝は、放送当時まだ18歳。今よりも顔立ちもかなりふっくらしていて、チャームポイントの八重歯が犯罪級の可愛さ。根は心優しいものの、年頃なりの反抗心や生意気さも持ち合わせている等身大の高校2年生という役柄が、まだ誰の足跡もついていない新雪のような窪田正孝のピュアさと重なり合って、この年齢このキャリアでしか演じられない魅力的なキャラクターに仕上がっている。

この新哉という少年、気が良いために何かと家族に振り回されがち。姉の美佐緒の友人が2人も家に転がり込んできたせいでお風呂の順番が延々回ってこず、腹を立てて他の人の入浴時間を細かくメモしたり。姉に頼まれて買いに行った妊娠検査薬を自分のものと勘違いされて、母の咲子にしつこく追い回されたり。そのたびに泣きそうな顔をして文句を言ってる新哉がいかにも末っ子的で、その不憫さが逆に愛らしい。

一方で、転校生の高千穂瑛子(寺田有希)に熱を上げて、カッコつけようとドギマギしたり、見つめられただけで魂が抜かれたように気を失ったり、恋する男の子のデレデレ感もたっぷり見せてくれるので、この世の言語が「可愛い」しかなくなってしまう。

お芝居そのものはまだ連ドラ2本目とは思えないくらいナチュラル。変な力みはまるでなく、台詞回しは自然だし、それでいて抜くところはきちんと抜けているので、ちょっとした切り返しに思わずクスッとさせられる。ナレーターも兼ねているのだけど、毎回の締めくくりのフレーズである「つづく」だけでうまくテンションを表現できているのも感心しきりだ。

脱衣所で裸になっているところを姉の友人に見られるという、昭和の匂いが残るベタなシーンもあるので、ファンとしては一度は見ておきたい1本。年齢的にもキャリア的にもこうしたポジションは今後二度とないだろうから、そのレア感も含めて思う存分新哉くんを愛でたい。

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『走馬灯株式会社』(2012年/TBS系)

もしも自分の人生が記されたDVDがあったら・・・。そんなファンタジックな設定から覗き見える人間のダークサイドや人生の意外な事実を描いたのが、この『走馬灯株式会社』。1話完結のオムニバスドラマとなっており、各話の主人公が自分の人生が記録された映像をDVDで観られる「走馬灯株式会社」に迷い込むことで、物語が展開していく。

窪田正孝が登場するのは、第1話。シングルマザーの広子(横山めぐみ)に育てられた青年・関隆広を演じている。婚約者の結子(梶原ひかり)を連れて実家に帰った隆広。優しく上品な母・広子は息子の帰省を歓迎し、婚約者の結子を温かくもてなす。どこにでもあるような平凡で慎ましくも穏やかな家族の風景。それが、隆広がふとしたきっかけで「走馬灯株式会社」の存在を知ったことから反転する。

放送当時、窪田正孝は23歳。『家族善哉』の頃に比べれば、顔立ちもかなり今現在に近づいてきているが、前髪を大きく上げたデコ出しショートスタイルは少年感が増して、実年齢以上に若々しく見える。そんな窪田演じる隆広が婚約者を連れて故郷に帰ってくるところから始まるのだけど、そのナチュラルな雰囲気があまりに可愛すぎて、「ちょ、隣替われ」と羨ましさと妬ましさで歯切りが止まらない。

だけど、こんな茶々入れがやがてまったく笑えなくなるのが、このドラマの面白さ。前半の隆広が無邪気であればあるほど、その落差が後半になって効いてくる。『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)や『週刊ストーリーランド』(日本テレビ系)が大好きな方は間違いなくハマる作品なので、ぜひ夜中にひとりで観てほしい。

窪田正孝の演技の見せ場は、問題のDVDを観る場面。そこに記録された衝撃の事実に、顔色が青ざめ、恐怖に震え、今にも胃液が逆流しそうになるような苦悶の表情を、窪田正孝は正面からのアップと息遣いで表現する。普通のお芝居なら相手との掛け合いで反応が生まれるのだが、こうしたひとりきりのシーンは自分で想像力を掻き立て、感情の出力を上げていかないと、芝居が薄っぺらくなってしまう。そんな難しい場面を堂々とこなしているところに、窪田正孝の器の大きさが感じられる。

窪田正孝と言えば狂気の演技に定評があるが、ああしたリミッターの外れた演技がチープに見えないのは、窪田の感情の出力量の高さゆえ。その片鱗をこのときすでにはっきりと示している。

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『リミット』(2013年/テレビ東京系)

クラス30名と引率教諭2名を乗せたバスが崖から転落。奇跡的に生き残ったのは、わずか5人の少女だけ。彼女たちに残されたのは、少しばかりの食糧と、携帯電話も通じない、救助も来ない極限状態。追いつめられた少女たちはやがて精神を狂わせ、ある者は武器を片手に身分制度の頂点に君臨し、ある者は不安と恐怖の中で暴走。まさに人間の本性がむき出しとなった地獄絵図と化していく。

『リミット』は、そんな絶体絶命の状況の中で生まれる絶望と希望を描いたサバイバルサスペンスだ。本作で窪田正孝が演じるのは、事故に遭ったクラスの副担任・五十嵐亘だ。交流キャンプの当日、風邪をひいてしまった五十嵐は引率の係を免れ、校内で現地からの連絡を受けることに。ところが、軽率な確認ミスから引率教諭から連絡が来たと勘違いし、そのことが原因で事故の発覚が遅れてしまう。人当たりこそ良いが責任感は薄く、教職に対する熱意も乏しい適当人間だ。

しかも気の弱い五十嵐は自分に責任が降りかかることを恐れ、クラスが行方不明になっていることを知っても、なかなか言い出すことができない。五十嵐の存在によって、どんどん状況が悪化する、狂言回しのような役どころだ。

序盤はそんな言動にいちいちイライラし、思わず「しっかりしろ!」と画面の前で野次を飛ばしてしまうくらい、五十嵐はいいところがまるでない。だがここで窪田正孝の巧さが光るのが、視聴者をざわつかせるキャラクターではあるものの、決して嫌われキャラにはさせないところだ。いい加減だけれど、確かにこういう情けない部分は誰にでもある。という共感性を五十嵐に持たせることで、なんだか憎めないキャラクターへと仕立てている。

これは、非常に重要なポイントだ。なぜなら、物語が進むにつれ、視聴者は気づきはじめるからだ。本作は、高校生たちによるサバイバルドラマであると同時に、教職に対する意識が薄かった五十嵐の葛藤と変化を描いた成長ドラマである、ということに。

罪の呵責に苦しむ五十嵐の心は、当初は責任逃れの気持ちでいっぱい。けれど、保護者たちの悲しみにふれるうちに、徐々に安否のわからない教え子たちへの愛情と苦悩、そして教師である自分に何ができるかという使命感へと心は移り変わっていく。そのグラデーションを細やかに人間臭く窪田が演じたことで、原作にはないオリジナルキャラクターの五十嵐が、サイドストーリー部分の主人公となった。

圧巻なのは、第10話。マスコミに生徒たちの「面通し」を求められる五十嵐。生徒の名を読み上げられるたびに浮かび上がる元気だったときの面影がよぎり、ひとつ息を吸うごとに平静を失っていく。そこからの叫びは、全12話の中でも屈指の号泣シーン。悲痛で、やるせなくて、だけどもうあの平穏な日々が帰ってこないことを視聴者は知っているからこそ、悲しみで心が打ち砕かれそうになる。

放送当時、窪田正孝は24歳から25歳になったばかり。見た目もすっかり現在に近づいていて、観る人を圧する豊かな感情表現はのちのブレイクを予想しているかのよう。また、本作はプロデューサーに新井順子、演出に塚原あゆ子が名を連ねている(塚原はプロデューサーも兼任)。新井と塚原と言えば、のちに『Nのために』や『アンナチュラル』でもタッグを組む、窪田のフィルモグラフィーを語る上で欠かせないふたりだ。そう考えると、このときの五十嵐の演技が、その後のキャリアを押し広げたと言ってもいいだろう。

同じスタッフから「またやりたい」とオファーが続くことは、俳優にとって喜びのひとつ。本作は、『Nのために』の成瀬くんや『アンナチュラル』の六郎へとつながる大事なステップであり、窪田正孝が余人をもって代えがたい俳優であることを証明する作品なのだ。

(文・横川良明/イラスト・月野くみ)