"心の教育"を重視するようになった重大事件

職場や福祉の現場を体験する"心の教育"が、中学生を対象に行われている。1998年(平成十年)から始まったこの取り組みは、今年(令和元年)で22年目。中学2年生になった生徒たちが、地域のさまざまな職場で働く場を実際に体験している。この取り組みが単なる職場体験と異なるのは、体験期間が5日間(実施される6日間のうち1日が休みとなるため実質5日間)という長期にわたっている点。地域について学び、また働く職場について興味を抱くことで、"生きる力"を育むことを目的としている。

いや、まてよ「開始から22年目と言うが、経験したこと無いぞ?」と思う方もいらっしゃるに違いない。それもそのはず、<トライ・やるウィーク>と名付けられた、この中学生を対象にしたキャリア教育は、兵庫県内だけで継続して行われてきたことだからだ。それゆえ、1980年代後半に生まれた兵庫県出身者が、県外で<トライやる・ウィーク>を話題にすると「何だ、それは?」と言う反応に戸惑うことがあるのだと聞く。例えば、1986年生まれで兵庫県姫路市在住だった歌手・松浦亜弥さんは、保育所での<トライやる・ウィーク>を体験。開始から20年が経過した2018年には、県内のべ100万人の中学生が体験したと伝えられている。

この取り組み対しては開始当初から「学校が無報酬の労働を強いることになるのではないか?」という批判が伴うなど、県内での賛否が渦巻いていた。基本的には生徒の希望に即した職種を体験できる(校区から離れた場所であっても、県内であれば受け入れが可能。交通費は県が負担)のだが、労働の過酷さという現実に耐えられず、早々に夢を諦めてしまう生徒もいたからだ。労働意欲が削がれてしまっては元も子もない。近年では「原点が忘れられ、イベント化している」とまで批判されている。

それでも兵庫県内で<トライやる・ウィーク>が継続されているのには理由がある。それは、1995年(平成七年)の阪神・淡路大震災や、1997年(平成九年)に起こった衝撃的な事件が、"心の教育"実施のきっかけとなっているからである。"酒鬼薔薇聖斗"を名乗る犯人が兵庫県須磨区内で連続殺傷事件を起こし、神戸新聞社に挑戦状を送りつけた事件。<神戸連続児童殺傷事件>と呼ばれた事件の犯人が、当時14歳の中学生だったことは社会に大きな衝撃を与えた。この平成九年に起きた事件の教訓として兵庫県で始まったのが、犯人と同じ14歳=中学2年生を対象とした<トライやる・ウィーク>なのだ。

20191130_kougyoushi_02.jpg

暗いニュースが続き『もののけ姫』がメガヒットを記録した

平成九年は、ダイアナ妃の事故死、東電OL事件、松山ホステス殺人事件の指名手配犯が時効直前に逮捕されるなど、後に映画の題材にもなったような暗いニュースが多い年だった。また、消費税は5%に増税され、山一證券は破綻。X-JAPANの解散や<ポケモンショック>と呼ばれた放送事故、さらに<神戸連続児童殺傷事件>で犯人が逮捕されたばかりの神戸では、公共の場で起きた暴力団幹部の狙撃事件で一般人が巻き添えとなってしまうという痛ましい事件まで起きている。そして、萬屋錦之介、杉村春子、勝新太郎、伊丹十三、三船敏郎といった昭和の映画人が逝ったのも平成九年だった。

一方で、平成九年の日本の映画界は活況を呈していた。その代表となるトピックスが、日本配給収入の新記録を樹立した『もののけ姫』(97)のメガヒット。この1本のヒットによって、邦画の市場は平成八年と比べて141.1%という大幅アップとなった。

【1997年邦画配給収入ベスト10】
1位:『もののけ姫』・・・107億円
2位:『失楽園』・・・23億円
3位:『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記 他』・・・20億円
4位:『THE END OF EVANGELION』・・・14億5000万円
5位:
『モスラ』・・・11億5000万円
『学校の怪談3』・・・11億5000万円
7位:『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 シト新生』・・・11億円
8位:『ヘルメス 愛は風の如く』・・・7億4000万円
9位:『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』・・・6億1000万円
10位:
『虹をつかむ男 他』・・・5億8000万円
『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』・・・5億8000万円
(※ 現在は興行収入として計上されているが、当時は配給収入として算出)
(※ 『もののけ姫』は12月末までの数字)

平成九年の7月12日に公開された『もののけ姫』は翌年まで続映され、配給収入の合計は113億円を記録(興行収入に換算すると、およそ193億円)している。そして、平成九年の12月20日には、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』(97)が日本で公開され、『もののけ姫』を上回る配給収入160億円を記録することになる。

糸井重里の手掛けた『もののけ姫』のキャッチコピーは「生きろ。」だったが、奇しくも<トライやる・ウィーク>指導手引きで提唱されている精神と重なっている。この映画が新記録となるほどのメガヒットした要因には「ジブリ作品がテレビで何度も放映され、新作を待ち望んでいた親子連れが殺到した」或いは「ビデオで繰り返し観た世代が、"宮崎駿"の名前だけに期待して劇場へ足を運んだ」など、複数の理由が挙げられていた。その根っこに見え隠れするのは、「果たして『もののけ姫』は、当時の観客が本当に望んでいた内容だったのか?」という疑念。表層的にも『もののけ姫』の物語は、決して明るくないものだったからだ。

「より良い世界を構築するためには、すべてを一度ゼロにしてしまわなければならないのではないか?」という終末思想のようなものを感じさせる展開。この考え方は『風の谷のナウシカ』(84)にも描かれていたが、このことと、平成という時代における"曖昧さ"が"実感"を奪ってゆくこととは無縁でないように思える。当時は既に「1999年に世界が滅びる」という"ノストラダムスの大予言"が、世間では戯事だと理解されていた。とはいえ振り返ると、社会の闇ばかりが報道された平成九年は、世相自体が暗かったという印象がある。そういう意味でも、『もののけ姫』が広く世間に受け入れられた背景のひとつには、平成九年の世相に対する時代の要請が、作品の持つテーマと合致したであろうことを指摘できる。

そして日本映画の活況は、国際的な評価の上でも特筆すべき出来事が重なった。例えば、第50回カンヌ国際映画祭では今村昌平監督の『うなぎ』(97)が最高賞パルム・ドール、河瀬直美監督の『萌の朱雀』(97)が新人賞にあたるカメラ・ドールに輝いている。さらに、第21回モントリオール世界映画祭では市川準監督の『東京夜曲』(97)が最優秀監督賞に、第54回ヴェネチア国際映画祭では北野武監督の『HANA-BI』(97)が最高賞である金獅子賞を受賞している。また平成九年には、周防正行監督の『Shall we ダンス?』(96)が北米で公開され、(アニメ作品を除く)実写の日本映画の北米興行収入記録を樹立。この興行結果は、2004年にリチャード・ギア主演のリメイク版が製作されることへと繋がってゆく。

そして忘れてならないのは、今村昌平に2度目のカンヌ国際映画祭最高賞をもたらした『うなぎ』と、市川準監督の『東京夜曲』という2本は、松竹の<シネマジャパネスク>による作品だったという点。平成九年に奥山和由(※ 平成六年を参照 https://plus.paravi.jp/entertainment/002895.html)が、新たな製作・興行体制を実践する目的で開拓したプロジェクトだったが、残念ながら短命に終わったという経緯がある。翌平成十年、その奥山には衝撃の解任劇が待ち構えている。

20191130_kougyoushi_03.jpg

そして、『スクリーム』が公開された

平成九年に起こった<神戸連続児童殺傷事件>は、当時の映画興行にも影響を与えている。全米で1996年12月に公開されたウェス・クレイヴン監督の『スクリーム』(96)は、製作費1500万ドルという低予算の部類に入る映画でありながら、北米で興行収入1億ドルを超えるメガヒットを記録。この映画は日本でも、1997年6月の公開が予定されていた。しかし、事件の影響を受けて公開が延期されたのだ。

1988年から1989年にかけて起こった<東京・埼玉連続幼女誘拐事件>でも、犯人宅から押収されたビデオテープに含まれていたホラー作品が廃盤となったり、テレビでのホラー映画の放送が自粛されたりという経緯があった。同様の事件が起こる度、ホラー映画が社会に与える影響に対する議論は再燃する。作品と事件は別物ではないか? という論議、それは、芸能界の薬物汚染に関わった人物の出演作品に対する上映が自粛されている令和の事象とも重なるのだ。

<神戸連続児童殺傷事件>の報道現場では野次馬が群がり、ふざけてピースサインをする若者の姿が、生中継をするレポーターの後方に映し出されていた。当時はこのことも社会問題になったが、問題があったのは若者だけでない。殺害現場には、震災の時と同じように記念写真を撮る大人が何人もいたからだ。この不謹慎とも思える行動は、昨今のSNSにおける炎上案件とも似ている。文明の利器によって社会はさらなる利便性を得たが、愚かさの度合いは変わっていないという現実。同様に、ある事件が起こるとある特定の映画の上映が自粛されるという風潮が未だ繰り返されているという理由にも、悪い意味での普遍的な論拠があるように思える。

公開が延期された『スクリーム』は、3週間の限定興行として8月に公開された。この映画は、株式会社アスミック(現:アスミック・エース株式会社)にとって初めての全国公開規模となった作品だが、2億2000万円の配給収入を記録。その後『スクリーム』はシリーズ化され、現在まで4本が製作されている。当時、日本での公開延期を知った筆者は、『スクリーム』を海外で鑑賞。衝撃の結末に驚きながらも、どこか"実感"に乏しい違和感のようなものを覚えたのだった。そして<神戸連続児童殺傷事件>の犯人が明らかになった時、その違和感の正体を悟り、背筋が凍ったのだ。

(映画評論家・松崎健夫)


出典:
・「キネマ旬報ベスト・テン85回全史1924−2011」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 1998年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・「神戸小学生殺人事件 わたしはこう思う〜455人の声」
神戸小学生殺人事件を考える会(同文書院)
・「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」周防正行・著(太田出版)
・ 一般社団法人日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/1997.html
・Box Office Mojo
https://www.boxofficemojo.com/release/rl3580855809/weekend/
https://www.boxofficemojo.com/title/tt0117615/?ref_=bo_se_r_3
・神戸新聞 NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201711/0010753584.shtml
・平成29年度 地域に学ぶ「トライやる・ウィーク」指導の手引き
http://www.hyogo-c.ed.jp/~gimu-bo/tryyaru/29/H29shidounotebiki.pdf