物理の法則が通用しない必殺技
そして、スポ根ドラマの見どころと言えば、やはり必殺技を置いて、他にないだろう。
それは、『サインはV』の「X攻撃」(2人のアタッカーが2メートル35センチ垂直に飛ぶ)や、『柔道一直線』の「二段投げ」(相手を肩に担いで空中に放り投げ、宙を舞う相手の手首を持って再度投げる)からそうであるように、荒唐無稽である。
例えば、『金メダルへのターン!』では、ヒロイン・鮎子は「飛び魚ターン」なる必殺技を繰り出す。それはターンの後、飛び魚のように水の上をジャンプして、先行するライバルらを空中で追い抜くというもの。物理上ありえないが、スポ根ドラマにおいては、そんなことは重要ではない。
『コートにかける青春』の槇さおりの必殺技「ローリングフラッシュ」も、テニスボールがネットの上を横に走って、相手コートにポトリと落ちるものだが、もはや慣性の法則など、どこ吹く風だ。
名前からは想像できない、『燃えろアタック』の必殺技「ひぐま落とし」に至っては――高く上がったトスに対して、ありえないほど大ジャンプして、空中で一回転してアタックを打つというシロモノ。わざわざ回転する物理的な利点をまるで感じないが、それではひぐま落としにならない。それが理由だ。
もっとも、本末転倒という意味合いでは、『美しきチャレンジャー』における、新藤恵美演ずる小鹿みどりの必殺技「ビッグ4クリア魔球」の右に出るものはいないだろう。
この必殺技、要はボウリングで「ビッグフォー」と呼ばれる両端に4つのピンが残る最も難しいスプリットに遭遇した時に、それをリカバーしてスペアを取る魔球だが、それほど正確な玉を投げられるなら、最初からポケットを確実にヒットして、そもそもビッグフォーを出さないほうがよほど簡単に思ってしまうが――そこにツッコむのは野暮というもの。
暗黒時代に登場した『スクール☆ウォーズ』
さて、そんな隆盛を誇ったスポ根ドラマだが――1970年代も半ばになると、失速する。日本の高度経済成長が73年のオイルショックでとん挫して、世の中に閉塞感が広がったのと、当時、小松政夫がリリースした「しらけ鳥音頭」に象徴されるように、若者たちの間にシラケ世代が台頭したからである。
もはや、私生活を犠牲にしてまで熱血コーチの厳しい特訓に耐え抜き、必殺技でライバルに勝利する――といったスポ根ドラマの方程式は、世間にウケなくなっていた。スポ根ドラマ暗黒時代の到来である。
ところが、そんな時代が10年近く続いたある日、奇跡が起きる。時に1984年、かつてのスポ根ドラマを彷彿させる、高校ラグビーの世界を描いた学園青春ドラマが登場し、お茶の間の熱狂的な支持を浴びたのである。ドラマの名前は『泣き虫先生の7年戦争 スクール☆ウォーズ』(TBS)――かの大映テレビの春日千春プロデューサー渾身の一作だった。
なぜ、シラケ世代と言われた若者たちに、熱い『スクール☆ウォーズ』はウケたのか?
それは、同ドラマの冒頭の芥川隆行サンのナレーションが教えてくれる。
「この物語は、ある学園の荒廃に闘いを挑んだ一人の教師の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、この教師を迎えた日からわずか7年にして全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった愛と信頼をあますところなくドラマ化したものである」
――そう、鍵はリアリティにあった。
ドラマ『スクール☆ウォーズ』は、ドラマ用に作ったエピソードや過剰すぎる演出など、かつてのスポ根ドラマを彷彿させる作風ではあったけど――ベースの部分で実話だった。それゆえ、視聴者の心を掴んだのだ。
思えば、スポ根ドラマの扉を開けたのは、1964年の東京オリンピックの「鬼の大松」と「東洋の魔女」によるリアルストーリーだった。そう、熱血指導や必殺技、ライバルの存在や奇跡の勝利は、そのベースにリアリティがあってこそ、お茶の間の心に刺さったのだ。
それが、いつしかスポ根ドラマはその方法論にばかり囚われ、本質を見失い、やがてお茶の間の支持を失った。だが、10年近くの時を経て――『スクール☆ウォーズ』が、スポ根ドラマにおける最も大切なことを教えてくれたのである。
改めて、『ノーサイド・ゲーム』がヒットした理由
そして話は現代に飛ぶ。
この夏、久々に本格的ラグビーを描いたドラマ『ノーサイド・ゲーム』がお茶の間の心を鷲摑みにした。その理由を、僕は本コラムの冒頭で「日本人はスポ根ドラマが好きだから」と述べた。だが、ここで改めて追記したい。「そのスポ根のベースに、お茶の間がリアリティを感じ取ったから」――。
そう、『ノーサイド・ゲーム』がヒットしたのも、鍵はリアリティにあった。
一見すると、そのストーリーは、ご都合主義のようにも見える。それまで万年、下位でくすぶっていた社会人ラグビーのチームが、GMが変わり、新監督を迎えて心機一転、チーム存続をかけて優勝争いに加わるようになり、遂には、積年の宿敵相手に奇跡を見せる――。
だが、さかのぼること4年前、僕らはある奇跡を目撃した。
時に、2015年9月19日――イギリス・ブライトンで行われた、8回目となる「ラグビーW杯2015」において、これまでW杯16連敗中だった日本代表が、過去2回の優勝経験を持つ強豪・南アフリカ代表を34-32で破ったのだ。世にいう「ブライトンの奇跡」である。
イギリスの地元紙ガーディアンは、この偉業を「W杯史上、比類のない試合」と伝え、デイリー・テレグラフは電子版のトップで「史上最大の番狂わせ」と報じた。結局、同W杯で、日本代表は1次リーグで敗退するも、自己最高の3勝をあげる。それまで日本が7回のラグビーW杯であげた勝利はわずか1つだけだったのが、一大会で3勝である。確実に、日本のラグビーは変わり始めていた。
そして2019年、日本に初めてラグビーW杯がやってきた。
4年前の日本代表の活躍を知る僕らは、本大会で何が起きても不思議じゃないと信じている。実際、まだ記憶にも新しい、先のアイルランド戦で日本代表は世界ランク2位(当時)の強豪相手に19-12で勝利したのだ。そしてノーサイドが告げられた直後、実況を担当していたNHKの豊原謙二郎アナウンサーはこう叫んだ。「もうこれは、奇跡とは言わせない!!」
そう、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』を見る僕らのマインドのベースには、もはや「奇跡は起きるもの」という認識があったのだ。
2015年、W杯の南アフリカ戦の前に、2011年大会のキャプテン菊谷崇と前キャプテンの廣瀬俊朗は、トップリーグの選手やOB、ラグビー関係者ら数百人のメッセージを集めた「モチベーションビデオ」を控室で上映し、チームの団結を促して、勝利に貢献したという。
ドラマ『ノーサイド・ゲーム』には、その廣瀬が選手役で出演している。そう、かのドラマには、「ブライトンの奇跡」の血が流れている。もう、何が起きても不思議じゃない。しかも、それを撮るのは、自身がかつて大学時代にラグビー日本一を経験した福澤克雄監督である。
もう一度言う。ドラマ『ノーサイド・ゲーム』は、限りなくリアルに近い、スポ根ドラマだったのだ。