『ノーサイド・ゲーム』にお茶の間がハマった理由

先日、大好評のうちに終了したTBSドラマ『ノーサイド・ゲーム』は、久々に僕らに、スポ根ドラマの楽しさを思い出させてくれた。例えば、それはこんなシーンだった。

〇土砂降りの中、選手たちを前に、スーツ姿で何度もタックルバッグ相手にタックルに挑むGMの君嶋(大泉洋)
〇監督就任前、徹夜でアストロズの選手一人一人のプレースタイルを分析し、各人に手紙をしたためた柴門(大谷亮平)
〇ニュージーランド時代、ラックに入って大怪我したトラウマを、優勝を賭けたサイクロンズ戦で見事に克服してみせた七尾(眞栄田郷敦)
〇そして、その最終戦で自身のケガを顧みず、「俺の選手生命は今日で終わりです」と君嶋に告げ、出場を強行した浜畑(廣瀬俊朗)

――なんだろう。このベタベタな"スポ根"の展開は。

だが、僕らはまんまとその術中にハマり、気が付けば夢中でアストロズを応援していた。そして、そんなお茶の間の期待に応えるように、1話で下位に沈んでいた同チームは君嶋GM以下、監督、選手たちの奮闘で、最終回には宿敵・サイクロンズ相手に、あっと驚く奇跡を見せてくれたのである。

そう、やっぱりスポ根ドラマは面白い。

なんだろう、日本人の琴線に触れるのだろうか。少年ジャンプの三大原則「友情・努力・勝利」じゃないが、チームで一つの目標に向かって頑張る姿というのは、昔から日本人の心を揺さぶるらしい。

思えば、そんなスポ根ドラマはいつ始まったのか?

なんと、意外にも最初は実話だったんですね。現実に、その手の話が存在したんです。そう、事実は小説より奇なり――。

それは、今から55年前のことだった。

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すべては東京オリンピックから始まった

スポ根ドラマの原点――ずばりそれは、1964年の東京オリンピックにさかのぼります。かの大会で、女子バレーボール日本チームを金メダルに導いた「鬼の大松」こと大松博文監督と、「東洋の魔女」と呼ばれた選手たちのひたむきな姿が、リアル・スポ根ドラマとして日本人の心を打ったんです。

大松監督の著書『なせば成る!』(講談社)には、その辺りの経緯が詳しく書いてある。当時、世界一の実力を誇ったソ連チームに、体格とパワーで劣る日本チームがオリンピックで勝つための秘策――それは、選手6人が歯車のように機能するチームワークと、それを極限まで磨き上げるひたむきな練習しかない、と。

実際、東洋の魔女たちの練習時間は毎日、勤務(彼女たちは実業団選手なので、昼間は会社員として働いた)を終えてから深夜2時頃まで11時間にも及んだという。まさに、根性。そんな厳しい練習から、あの伝家の宝刀「回転レシーブ」が磨かれたのである。

そして迎えた東京オリンピック――。試合を前に、鬼の大松は東洋の魔女たちにこう檄を飛ばした。

「練習にしても、おまえたちほど激しくやったチームは、世界のどこを捜してもないだろう。これは世界一だ。だから、どんなときでも、この練習時のプレーを試合で発揮することだ。そうすれば必ず勝てる。おまえたちには、もう、調子が悪くて力が出せなかったなどというようなことは起こらない」

――かくして、日本チームは見事に宿敵・ソ連を破り、金メダルに輝いたのである。この時の視聴率が、今もって日本のスポーツ中継史上最高視聴率。多くの日本人が"スポ根"の面白さに目覚めた瞬間でもあった。

リアル漫画の八田イズム

実は、東京オリンピックにはもう一人、スポ根の元ネタとされる人物がいる。日本レスリング協会会長としてレスリング日本チームを率いて、金メダル5個を量産した八田一朗その人である。

面白いのは、八田会長は先の大松監督とは対称的で、その指導方法は鬼の大松がマジメ一筋だったのに対し、極めて漫画チックだったこと。例えば、以下のようなユニークな指導が実際に行われた。

〇八田会長の口ぐせが、当時流行語にもなった「剃るぞ!」だった。それは、中途半端な戦い方で負けた選手に猛省を促すために、上はもちろん、下の毛も剃るという意味
〇選手たちにライオンや虎とにらめっこさせて、眼力を鍛えた
〇沖縄でハブとマングースの戦いを見せて、"闘魂"とは何かを学ばせた
〇常日ごろ「夢の中でも勝て!」と選手たちを鼓舞した
〇ラジオのボリュームを最大限にし、且つ明るい電灯の下でも眠れるように訓練した

――いかがだろう。まるでリアル・スポ根漫画である。もっとも、これは八田会長のマスコミ向けの話題作りのパフォーマンスでもあり、どこまで本気だったかは分からない。だが、中には「夢の中でも勝て」のように、今日のスポーツ選手に欠かせないメンタルのトレーニングをいち早く取り入れたものもあり、それなりに効果があったのかもしれない。

実際、迎えた東京オリンピックは、先にも書いた通り、日本の男子レスリングは金メダル5個と、同種目の出場国中、最多を記録する。八田会長のユニークな指導は漫画的ではあったが、ちゃんと結果を残し、以後、日本のレスリングはお家芸と呼ばれるのである。

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スポ根はフィクションの世界へ

そんな次第で、東京オリンピックで火の着いたリアル"スポ根"劇場――。それはやがて、フィクションの世界へ飛び火する。

時に、東京オリンピックから4年後の1968年――メキシコシティーオリンピックを10月に控え、再び五輪熱が盛り上がる中、2つの女子バレーボール漫画が登場する。一大バレーボールブームを起こした『アタックNo.1』(集英社)と、実業団バレーを描いた『サインはV!』(講談社)である。

2つとも後にテレビ化され、前者はアニメ、実写ドラマに、後者は実写ドラマになる。ここでは、ドラマ版の『サインはV』に言及しよう。

時に1969年10月――TBSの日曜日19時半の不二家の一社提供枠の30分ドラマとして、それは始まった。

ヒロインは、実業団バレーボールの「立木大和」に所属する岡田可愛演ずる朝丘ユミである。同チームの二枚目スパルタコーチが牧圭介(中山仁)で、髪の長いライバルが椿麻理(中山麻理)。そして途中からチームに加わり、後に不治の病に倒れるジュン・サンダースを范文雀が演じた。

物語は、かいつまんで言えば、先の東洋の魔女と大松監督が実践したリアル・スポ根を、より過激化したものだった。秘密の特訓と称して、牧コーチがユミに鉛入りの「ブラックシューズ」を履かせたり、ユミの必殺技が「稲妻落とし」や「X攻撃」だったりと、ありえない展開のオンパレード。更に、チームメイトのジュンが不治の病に倒れ、息を引き取るエピソードは、後に大映ドラマに受け継がれる鉄板パターンの礎になった。

お茶の間は、そんなスポ根の世界観にすっかり引き込まれ、同ドラマは高視聴率を保ち大ヒットしたのである。