コラムの前編では、大泉洋主演ドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS)を起点に、ラグビー繋がりで、ドラマ『泣き虫先生の7年戦争 スクール☆ウォーズ』(TBS)を生んだ「大映ドラマ」の歴史を振り返ってきた。後編では、いよいよ伝説のドラマの全容に迫る!(コラム前編はこちら

『スクール☆ウォーズ』ができるまで

ドラマ『泣き虫先生の7年戦争 スクール☆ウォーズ』の放映に至るメイキングや裏話は、過去に大映ドラマの脚本経験もある作家の山中伊知郎さんの「『スクール☆ウォーズ』を作った男」(洋泉社)に詳しく書いてある。そこから、いくつか印象的なエピソードを引用させてもらう。

まず、ラグビーのことなど何も知らない大映ドラマの春日千春プロデューサーが、ドラマの原作本となる、元明大ラガーマンの馬場信浩氏が書いた「落ちこぼれ軍団の奇跡」(光文社)なるノンフィクション本と出会ったのが、ドラマが放映される約1年前だったという。

「これはドラマになる!」――そう確信した春日Pだったが、まだこの時点では、登場人物は全て実名で、セミ・ドキュメンタリー方式で行くつもりだった。ところが、関係者の了解を得るために、当の伏見工業ラグビー部の山口良治監督や原作者の馬場氏、ラグビー協会と折衝を重ねるうちに、壁にぶつかる。それは、ラグビー協会の掲げる"アマチュアリズム"だった。「団体競技であるラグビーにおいて、山口氏だけをスターにしてもらっては困る」――。

ドラマ作りにおいて、お茶の間に感情移入させる主人公の存在はマストである。となると、解決策は、実話ベースのフィクション仕立てにするしかない。そこで物語の舞台を京都から神奈川に移し、県下一の架空のワースト校「川浜高校」を創作し、登場人物の名前も全て変えた。主人公の山口良治は滝沢賢治に、「京都一のワル」と呼ばれた山本清悟は「川浜一のワル」の大木大助に、キャプテンの小畑道弘は森田光男に、そしてフランスの小さな大選手にちなんで「フーロー」と呼ばれ、入部わずか5ヶ月で亡くなった少年は「イソップ」と改められた。

年が明けて1984年1月、TBS社内でドラマ『落ちこぼれ軍団の奇跡』(仮題)の企画が通り、同年10月からの放送が決まった。TBS側の注文は「タイトルの"落ちこぼれ軍団"は差別的じゃないか」くらいで(当時、TBSの春日Pに対する信頼は絶大だった)、これに対して春日Pはオリジナルのタイトルを提案する。『スクール☆ウォーズ』である。

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ドラマ、始動する

かくして、ドラマの制作が始まった。今回も大映ドラマの常連、"春日学校"の生徒たちが集められた。ベテラン陣では『夜明けの刑事』シリーズから坂上二郎と梅宮辰夫、そして岡田奈々、松村雄基、伊藤かずえら、お馴染みの面々も召集される。ちなみに岡田・松村・伊藤の春日作品への出演本数は、それぞれ9本、9本、10本を数える。80年代の大映ドラマで、彼らを見ない日はなかったと言われる所以である。

しかし、当の主役の滝沢役がなかなか決まらなかった。長身で、ラガーマンらしい屈強な体つきで、知的な風貌も併せ持つ俳優――いくつかの候補が上がっては消え、ようやく決まったのが、ドラマ『太陽にほえろ!』のスニーカー刑事でお馴染みの山下真司だった。連ドラの主役経験はなく、ラグビーも未経験だったが、その唇の厚さに、春日Pは教師役に相応しい意志の強さを感じたという。

脚本と演出も大映ドラマの経験者で固められた。撮影は順調に進み、教室や滝沢家などのスタジオ部分は府中の中河原にある大映スタジオ(当時)で撮り、グラウンドのロケは厚木の相模工大と調布の富国生命のグラウンドが使われた。街中のロケは主に府中の商店街で行われ、学校の正門は調布女子短大の校門、ラグビー部員たちのたまり場になる中華料理屋「新楽」は、スタジオからほど近い中河原のラーメン屋を借りて行われた。

春日Pがとりわけこだわったのが、オープニングである。主題歌はこれしかないと、映画『フットルース』の挿入曲で、ボニー・タイラーが歌った「Holding Out for a Hero」が選ばれ、日本語訳した「ヒーロー」を麻倉未稀が歌った。タイトルバックも「バイクで廊下を走る」「学校の窓ガラスを割る」「カツあげをする」「タックル」「ペナルティキック」「One for all, All for oneの文字」など細かく春日Pがイメージを語り、映像化された。

撮影で最も大変だったのが、ラグビー経験のない山下真司に、いかに名ラガーマンを演じてもらうか、である。そのため最初の一週間は、撮影前に彼のためだけにラグビーの特訓が毎日3時間ほど行われたという。更に彼自身、撮影以外の時間も積極的に"先生"を演じ続けた。撮影前には生徒たちと円陣を組んで気合を入れ、撮影後の反省会も欠かさなかった。気が付けば、山下は元日本代表の名フランカーにして、川浜高校の体育教師・滝沢賢治になりきっていた。

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試写会の波紋

初回放送を5日後に控えた10月1日、春日Pは伏見工業に出向き、関係者に完成した1話と2話の試写会を催した。校名を変え、登場人物の名前も全て変えて、表向きはフィクションを謳ってはいるが、彼としてはモデルとなった学校に"仁義"を通したつもりだった。試写会には校長と教頭を始め、当事者である同校ラグビー部の山口良治監督、その他、教師たちが集まった。ところが、思わぬ反応が出る。オープニングでバイクが廊下を走り、窓ガラスが次々に割られるシーンを目にした彼らは一様に驚き、声を失ったのである。

「こんなものを世に出されたら、我々の立場がない」

せっかく、ラグビー部の全国制覇でかつての荒れ果てた学校のイメージを払拭できたというのに、これでは元の木阿弥だと。試写会の翌日、校長と教頭は上京して、TBSにドラマの放送中止を申し入れる。しかし、TBS側も放送4日前に中止を要請されても、容易に受け入れるわけにはいかない。

1984年10月6日、伏見工業側が中止を求める中、ドラマは見切り発車でスタートした。そして1日置いた8日、視聴率が発表される。冒頭でも述べた通り、それは大惨敗だった。

だが――スタッフ全員が落ち込む中、朗報が舞い込む。伏見工業のラグビー部のOBたちからのドラマを見た感想だった。

「山下真司さんは山口監督よりずっとハンサムだけど、あの熱血ぶりはそっくりだ」

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上昇する視聴率

心配は無用だった。なんと翌週、2話目で視聴率が上昇する。主人公・滝沢賢治のひたむきさが、徐々にお茶の間に届き始めたのだ。実話ベースのドラマだけに、いきなり話が急展開することはない。しかし、その分、リアルなストーリーが視聴者のハートをじわじわと掴んだのである。

とはいえ、春日Pは従来の大映ドラマの手法も忘れない。3話でラグビー部の3年生たちが2年生の森田(宮田恭男)に神社の階段150往復のうさぎ跳びを命じ、滝沢もそれに付き合った際、森田の恋人――伊藤かずえ演ずる白馬に乗った圭子が颯爽と登場し、3年生たちを蹴散らしたのだ。そして滝沢の前で馬を止め、こう挨拶する。

「馬上から失礼します。滝沢先生ですね?」

――"馬上から失礼します"。人間、一生のうちでその言葉を口にする機会がどれだけあるだろうか。多分、ない。しかし、この浮世離れした口上こそが大映ドラマなのだ。

その甲斐あってか、この3話で『スクール☆ウォーズ』は視聴率を二桁に乗せる。そして、いよいよドラマが本格的に動き出す。次なるティッピングポイント(ブレイクのキッカケ)は、第8話である。

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伝説の名シーン

それは、全国高校ラグビーの神奈川県大会の1回戦で起きた。対戦相手は県下一の強豪校、相模一高である。この試合で川浜高校は109-0と大敗する。それはモデルとなった伏見工業でも有名なエピソードで、山口監督就任後の初の公式戦で、強豪・花園高校相手に112-0で敗れている。

問題は試合後だった。ロッカールームの部員たちは、大敗を喫したのに悔しい素振りすら見せず、冷笑している。ケガしている者は一人もおらず、ユニフォームの汚れも少ない。汗一つかいてない部員すらいた。その光景を見て、滝沢の怒りが爆発する。

「お前たち、俺がどうして怒ってるのか、まだ分からんのか! 試合に負けたからじゃない。どうでもいいやというお前たちの心が許せんからだ!」

滝沢の怒りは収まらない。

「相手も同じ高校生だ! 同じ年、同じ背丈、頭の中だってそう変わらんだろ! それがなんで109対0なんて差が付くんだ! お前らゼロか!」

部員たちも、ようやく自分たちが犯した大敗の意味に気付く。

「悔しくないのか!」
「悔しいです!」

――森田だった。『スクール☆ウォーズ』史上最も有名な台詞と言っていいだろう。その言葉に触発され、他の部員たちも次々に悔しさを口にする。

「俺はこれからお前たちを殴る!」

そう言って、部員たちを殴り倒す滝沢。その拳には涙が落ちている。そう、誰よりも心の痛みを感じているのは、滝沢自身だった。

この日から、川浜高校ラグビー部は生まれ変わる。いや、生まれ変わったのはラグビー部だけじゃない。ドラマ自体もこの回、視聴率が初めて大台に乗ったのだ。

ドラマ『スクール☆ウォーズ』はブレイクした。気が付けば、当初ドラマに反対していた伏見工業も、この頃になると応援モードに変わっていた。そして、ここから中盤にかけて、物語は一気に盛り上がる。意外にも、それをけん引するのは滝沢でも、森田でも、「川浜一のワル」こと大木(松村雄基)でもなく――体が小さく運動能力も低い、あの少年だった。

イソップである。

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イソップの確変

イソップこと、奥寺浩(高野浩和)が初めて登場するのは、あの屈辱の大敗を喫した1つ前の7話である。「川浜一のワル」こと大木の幼馴染みとして、2人とも川浜高校に入学してくる。彼がこの学校を選んだのは、全日本代表時代の滝沢に憧れ、彼のもとでラグビーを習うためだった。

しかし、入学早々、親友の大木が問題を起こす。心臓の悪い母親に自分の暴行事件を告げ口した教頭に、暴力を振るったのだ。滝沢から「教頭に心から謝れば、退学しなくて済む」と諭される大木。だが、大木は拒否して、代りの条件を提示する。

「イソップが鉄棒で懸垂を3回できれば、教頭に詫びを入れてもいい」
「イソップはただの一回も懸垂ができないんだぞ」
「あんたの思いやりとやらが、イソップにどれだけ成果があったか、お手並み拝見と行こうじゃないか」

普通の高校生と比べて、虚弱体質のイソップに3回の懸垂を強いるのは不可能である。答えに窮する滝沢。だが、ここでイソップ自身が口を開く。

「先生、僕やってみます!」
「イソップ・・・」

放課後、滝沢と大木、それに教師やラグビー部員らが見守る中、イソップが懸垂に挑む。最初は鉄棒に触ることすらままならないが、なんとか摑まり、懸命に顔を上げる。1回・・・仲間の部員たちから歓声が上がる。2回・・・「あと1回だ!」「がんばれ!」教師たちも一緒になって励ます。だが――そこで力尽き、地面に落ちるイソップ。

「先生、すみません!」

倒れたイソップに駆け寄る滝沢。

「よくやった。よくやったぞ、イソップ・・・」

結局、その姿に心を打たれた大木は教頭に頭を下げる。そして駆け付けた滝沢に、泣きながら口を開く。

「負けたぜ。ラグビーに負けたよ・・・」

イソップは確変した。

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当初、春日プロデューサーはイソップを、大木を更生に導く端役の一人くらいにしか考えていなかったが、この鉄棒事件でお茶の間人気が沸騰したのを知ると、8話を置いて、9話から13話まで、彼を中心とした物語に改訂する。人気の出たキャストに合わせ、ストーリーを変えるのは連ドラでは珍しいことではない。

ラグビーはドラマの縮図

1つだけ確かなことがある。
ラグビーにおいて、最も基本的な心構えとされる「One for all, All for one」の言葉。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」あるいは「一人はみんなのために、みんなは一つ(のトライ)のために」と訳されるが、実はその言葉はラグビーに限らず、全ての普遍的な群像劇にも当てはまる。

例えば、『スクール☆ウォーズ』において、まさにイソップの一連のエピソードが、この言葉を象徴していた。イソップはラグビー部のためにその儚い命を捧げ、一方の部員たちはイソップの死に報いるために勝利を誓った。

物語の後半、既にイソップの姿はなかったが、彼の遺志はチームメイトへ受け継がれ、奇跡の全国制覇へと繋がるのである。

そう、ラグビーとは群像劇そのもの。チームの15人を描けば、自然とドラマが成立する。学園青春ドラマを始め、昔からラグビーを描いたドラマに駄作が少ないのは、ラグビーという競技そのものにドラマ性があるからだ。前編の冒頭で語らせていただいた『ノーサイド・ゲーム』が面白いのも、アストロズ自体が群像劇だからである。

1つだけ欲を言えば、アストロズの中に、イソップに匹敵する、作り手の思惑を超えたスターがお茶の間の手で見つかれば――『ノーサイド・ゲーム』の人気はより盤石なものになる。

さて、あなたなら誰を推すだろう?

(C)TBS
(C)大映テレビ

【コラム前編】『スクール☆ウォーズ』と大映ドラマ【前編】

メディアプランナー。代表・草場滋。フジテレビ『逃走中』の企画原案ほか、映画『バブルへGO‼タイムマシンはドラム式』(監督・馬場康夫)の原作協力、『テレビは余命7年』(大和書房)、『情報は集めるな!』(マガジンハウス)、『幻の1940年計画』(アスペクト)、『買う5秒前』(宣伝会議)、『「朝ドラ」一人勝ちの法則』(光文社新書)などメディアを横断して活動中。「日経エンタテインメント!」誌に連載中の「テレビ証券」は18年目。ホイチョイ・プロダクションズのブレーンも務める。