人気番組『モヤモヤさまぁ~ず2』の3代目アシスタントとして、2年半を駆け抜け、5月末に番組を卒業したテレビ東京の福田典子アナウンサー。"テレビ東京入社直後の大抜擢"という経歴からは華やかなシンデレラガールにも思えるが・・・実は福岡の局から入社4年目の25歳でテレビ東京に中途入社した叩き上げの人。そんな直近の経歴もさることながら、特にミスキャンパス出身といった類の派手な経歴を持ちあわせているわけではない彼女は、実はあまり、自分を前に押し出すのが得意ではないという。

この取材の日も動画配信サービス「Paravi(パラビ)」で配信されている『福田典子アナの『モヤさま』裏話2』という"自分が主役"の特別番組の収録にやや戸惑いながら「私、本当に面白くないんです」「取材するのは好きですが、されてもいい話が出てくるかどうか・・・」と控えめに登場した。

とはいえ、3代目アシスタントとして、2016年10月から立派に2年半を務め上げた成果は確か。卒業発表回から卒業までのラスト6回は毎回泣き続けるという繊細さで、最後にあらためて視聴者の心を掴んだ。

現在28歳。転職に続き『モヤさま』卒業という社会人人生2度目の転機を迎えた彼女は今、何を思うのか?そして、そんな彼女はどうやって今に至ったのか・・・!?

大江麻理子アナ、狩野恵里アナと"天才型"アシスタントが続いた中で、さまぁ~ず・三村マサカズをして「結婚するなら福田」と言わしめた、その"愛される普通さ"の魅力に迫る・・・!

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■「アナウンサーになりたい」なんておこがましい・・・

――まずは福田さんのこれまでのアナウンサー人生を聞いていきたいと思うのですが、そもそもアナウンサーを目指されたのはいつ頃だったのですか?

大学3年生の頃、学部講義の中でのプレゼンテーションがうまくなりたい、と思ってアナウンススクールに通い始めたんです。そこで、BS局の女子大生キャスターに選んでもらって、お仕事をさせてもらううちに、徐々に意識し始めました。

――もともとアナウンサーを目指していてミスキャンパスコンテストに出て・・・といった王道のタイプではなかったんですね。

むしろ、大学時代はミスキャンパスコンテンストを開催する運営スタッフとして、候補者の方のアシスタントをしていました。その頃はアナウンサー志望ではなかったので、華やかな候補者を横目に『こういうキラキラした人たちがアナウンサーやタレントになるんだろうなぁ』くらいの感覚で他人事のように見ていました。ただ、準備期間の半年のうちに、私がかけた言葉によって、彼女たちが自信を持ってくれたり、キラキラと輝いていったりする過程を見ていて『誰かを輝かせられるような仕事につけたらいいな』と思うようになっていったんです。

――今の福田アナとスポーツ選手との関係性にも近いものを感じます。

裏側での頑張りを知っているからこそ、かけられる言葉がある、と確信した原体験かもしれません。やっぱりスポーツでも、結果としてのひとつの"点"だけではなく、その結果につながった"点"も大切な部分なので、その"点"と"点"がつながったそれぞれの人の歴史の"線"を知った上で伝えていきたいという思いは強いです。

――それで福岡時代は、福岡ソフトバンクホークスの試合がある日はもちろん、ない日まで球場に通われていたのですね。

ええ、福岡(ヤフオク!)ドームで行われるホークスの試合はできる限り見に行って、試合のない日も、自分から練習を見に行っていたので、ドームの警備の方とも仲良くなるくらいでしたね(笑)。これを言うとブラック企業みたいなので、あくまで自発的にということを強調しておきたいのですが・・・。やっぱり試合じゃない日のほうが、選手たちも色々と話をしてくださる余裕があるんですよね。試合の日は必要な情報を取りに行く雰囲気になりがちですが、練習日は最低限の情報以外の部分も感じとることができるので、私にとって、どちらも重要な時間でした。

――そんなスポーツ取材の日々を重ね、3年目からは花形の情報番組も担当。地元・福岡で将来を約束されたアナウンサーだったようにも思えるのですが、なぜあえて東京に出てこようと思われたのですか?

福岡時代、ホークスが優勝した瞬間に何度も立ち会えたんですよね。それまでの勝てずに苦しむ過程も見てきただけに、頂点に立った瞬間に見える景色を共有できたことが本当に嬉しかったんです。祝勝会でのビールかけのときも、横にいてビールをかけられながらも、皆さんが全身で喜ばれている感じが伝わってきて。努力し続けてきた人の"人生がより生き生きと輝く瞬間"をまた伝えたいと思ったときに浮かんだのは『東京オリンピックに関わる仕事がしたい』という想いだったんです。

■アナウンサーだけど「人前に出るのが苦手」

――そして入社4年目の夏にテレビ東京へ。情報番組・スポーツ番組が中心だったその経歴で、入社直後に『モヤさま』に抜擢されたのは驚きですね。

はい、本当に私は普通の人間で、お笑いのセンスなんてゼロなので・・・。それに、既にできあがっている番組だったので、ひとりで入っていく転入生みたいな気持ちでした。今までのお仕事とは勝手が違って、番組の中でどう振る舞えば正解なのかが見えない日々が続いて『私、全然役に立てていない』と悩み続けていました。

――これまでのお仕事と違って悩んだ部分って、どんなところなのでしょう?

私、人前に出るのが苦手なタイプで。『アナウンサーになっておいて、人前に出るのが苦手ってどういうこと?』ってツッコミが入りそうなのは重々承知しているんですが・・・。それでも、もともと私がやってきたアナウンサーの仕事は、自分が一歩引いて、ゲストの方や情報を輝かせるような立場だったので、まだ親和性があったんですよね。でも、モヤさまは、一見すると、私も前に出て、お二人と横並びで何かをするシーンも多くて。

――たしかに『アシスタント』とは呼ばれているものの、視聴者からしたら3人の出演者が横並びに見えるかもしれません。

三村さんが『福田はどう思う?』って聞いてくださったり、大竹(一樹)さんが『次、福田の番!』って振ってくださったりしても、うまく飛び込めないことも多かったんです。アナウンサーだからこういうことはやっちゃダメだ、みたいな枠を自分で作って、枠を飛び越える勇気がなくて、ひとりで震えていたんです。

■変化のきっかけは大怪我と、三村の言葉

――変わったきっかけは、何だったんですか?

ちょうどアシスタント就任から1年が経った頃に起きた、怪我のときですね。駅で転んで救急搬送されるほどの、顎の怪我をしてモヤさまに出演したときに『もう私のままでいいんだ』って割り切れたんだと思います。

――たしかにボルトを入れた手術後の痛々しい姿でそのまま出演されていたときは、何かを取り繕ったりすることはできなそうでしたよね(笑)。

あそこから、お二人の会話の流れに徐々にのっていけるようになったのかなと思います。私もともとは、入念に準備をするというか、ガチガチに固めて仕事をするタイプだったんです。でも、ある意味固めようのない体のアクシデントをきっかけに、『もう、その場で起きたことに臨機応変に楽しもう』という意識に変わりました。

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■『モヤさま』のような化学反応を

最後に福田アナに、『モヤさま』を経ての今後の展望と、さまぁ~ずの二人から学んだことを聞いた。

福田:『モヤさま』を見てくださった皆さんに『福田典子ってモヤさまの3代目なんだよ』って誇ってもらえるような仕事をしていきたいです。さまぁ~ずのお二人は、私の何倍も色々なことを想定して、何が来ても大丈夫な状態にした上で、ブラブラと街歩きをされているんです。そして、その根底には街の人への愛情があるんですよね。この二年半、お二人の、愛を持って人に接する姿勢をずっと見続けることができたので、私も普通にインタビューするだけではなく、愛を持って深いことを聞ける、『モヤさま』のような化学反応を起こせるアナウンサーになっていきたいです。