毎週日曜夜6時30分からテレビ東京で放送中の『モヤモヤさまぁ~ず2』。2019年5月末で、2年半の間3代目アシスタント務めた福田典子アナウンサーが卒業した。
動画配信サービス「Paravi(パラビ)」では、そんな福田アナによる『福田典子アナの『モヤさま』裏話2』を配信中。大江麻理子アナ、狩野恵里アナからバトンを引き継ぎ3代目アシスタントに決まった時の気持ちやさまぁ~ずへの思いなど、『モヤさま』を担当してからの2年半の思いを語っている。
――3代目アシスタントに任命されたときの気持ちは?
プロデューサーの方に人気のない席に呼ばれて、「薄々、気付いていると思うけど、モヤさま3代目よろしくお願いします」というような形で言っていただいたんですけど、薄々気づいてもないですし、「え、何の話だろう」という状況で行っていたので、「モヤさま!?」ってなりました(笑)。
まさか私がなるなんて1ミリも思っていなかったですし、聞いたときに「私ですか?」「私で務まるんですかね」という不安と驚きといろんな感情が出てきました。社長も知らないくらい内緒にしていたので、誰にも言えない中で不安を感じていて、(2代目アシスタントの)狩野(恵里)さんに相談したら、「大丈夫だよ、福田なら!」と励ましてもらって、それから初めてのロケ地となる久米島に向かいました。
(最初にさまぁ~ずさんに会った時)お二人もテレビに出ている人だ、という印象だったんですけど、二人とも黒々と焼けてらっしゃって、テレビで観るよりもすごく黒いなって思いました(笑)。(最初に会った時)三村さん「『かわいい』って思わず言っちゃった」って言ってくださったんですけど、緊張していたので、最初に「かわいい」って言われて安心したのを覚えています。
――さまぁ~ずのお二人はどんなお方ですか?
お笑い芸人さんのコンビの方って仲が悪いっていう噂を聞いたりするんですけど、大竹さんと三村さんはとにかく仲がいいんですよ。それはびっくりしました。お二人とも優しくて、愛情があって、あまり言ってほしくないかもしれないですけど、お笑いに対してシビアな考え方を持ってらっしゃって、テレビのディレクター的な目線も持ってらっしゃるので、町と町の人を面白くしていく天才だと思います。
仲がよろしいなと感じたのが、飲み会の席で私を挟んで並んでいることが多いんですけど、それぞれがスタッフさんとお話をしているんですけど、どちらかがボケた時に誰も拾わなかったりしたら、振り返って突っ込むんです。「聞いてたんだ!」みたいな。それくらいお二人がいつも通じ合ってるのをすごく感じます。
あと、(初めてのロケの後の飲み会で)酔っぱらった三村さんに「福田の未来が楽しみだよ!」って言われたんですけど、酔っぱらった中でも『モヤさま』がどうなっていきたいかとか「福田は気負わずに沢山チャレンジして、そのチャレンジしたところを俺たちが面白くしてやるから自信持ってやってこい」って話をしてくださっていて、最初なんであんなに悩んでいたんだろうと思うくらい、お二人は最初から「どんとこい!」ってしてくださっていたのを思い出します。
――卒業回では三村さんが『ちょっと時間はかかったけど仲間になれた』とおっしゃっていましたが、福田さんが仲間になれたという実感が湧いたのはいつ頃ですか?
モヤさまの"タイ人AD" ユサギちゃんの送別会で、1次会から2次会に移動することがあって。普段、私はスタッフの皆さんとタクシーを相乗りするんですけど、その日は三村さんが『乗ってけよ』って、ご自分の車に乗せてくださったんです。『私、三村さんの車に乗るの初めてで緊張します』って言ったら、三村さんが『ああ、初めてかぁ。福田もモヤさまファミリーになったってことだなぁ』っておっしゃって。車の中で、三村さんのマネージャーさんと目を見合わせて『今の聞きました?』ってその言葉を再確認して。車の中で号泣しちゃったんです。
――『モヤさま』を通して、アナウンサーとしてのお仕事への意識も変化されましたか?
ニュースやスポーツをやっているときは、私の切り取り方で、視聴者の方への伝わり方が変わってくるので、"自分の言葉でスポットライトを当てられるように"という意識で慎重にやってきました。でも『モヤさま』って、町の人の空気があって、それをさまぁ~ずのお二人と視聴者の方も感じてもらって、一緒に歩いているような感覚になってもらう番組だと思うんです。だから、目の前の空気を視聴者の方に"優しくシェアする"のが仕事なんだと思うようになりました。『モヤさま』においては、切り取ろう、スポットライトを当てようという考え自体が、傲慢だったのかな・・・と。さまぁ~ずのお二人と町の人や空気を、私が"画面の中の映っちゃう黒子"として、画面の向こうにいる視聴者の方に、強制的にではなく、優しくつなぐような感覚になっていきました。
――『モヤさま』にいた2年半を振り返っていかがですか?
技術さんもスタッフさんもあまり変わらず13年目に入っていて、私が初めて入る時に出来上がってるクラスメイトに転入生の気持ちで入ったんですけど、そのクラスメイトと毎週会って楽しい思い出たくさん作ってきたみたいな2年半だったなと思います。
2年半で終わっちゃうのは寂しいです。最後の福岡・沖縄ロケがとにかく面白くて、卒業旅行みたいだったんです。それで、みんなで集まる場も作っていただけて、何回も「お前頑張って来いよ」って背中を押してもらえたような最後の卒業ロケだったので、最後にはストンと(アシスタントが)終わるんだということを受け入れられました。
■福田アナが自ら解説!卒業カウントダウンで「思わず泣いた」3つの場面
動画配信サービス「Paravi(パラビ)」で配信中の『モヤさま』で福田アナが卒業を発表してからのラスト6回の中から、もう一度見たい場面を紹介。卒業発表後は、毎回涙を流していた福田アナ。その時の涙の理由や心情などを自ら解説してもらうことに・・・!
●鎌倉周辺~あれから2年半・・・思い出の初ロケの地
久米島の『モヤさま』で初登場後、初めての通常ロケで福田アナが合流したのが鎌倉。2年半ぶりに訪れたお店で、ハル&チッチ歌族という姉弟と再会し、番組でもよく使われる『お肉食べようのうた』を、2年半ぶりに生歌唱してもらう。明るい歌のはずが、『とれ高OK』が出てロケが終了した瞬間に福田アナが号泣。姉弟の成長もあいまって、2年半の時の流れを感じさせられる名シーンに。
福田:あのときは、ここで泣いちゃいけない、泣いちゃいけないって思って聞いていたんですけど、最後に気持ちも涙も溢れてきちゃって。2年半前の最初の鎌倉ロケのときは、赤い衣装着てたな、とか、ロケで、寒い中薄手のコートを着て花火したなとか、色々と思い出しちゃいました。
あの歌は番組の随所で流れるサブテーマとも言えるような曲だと思っているので、今後も聞くかもしれませんが、こうやって『モヤさま』メンバーで聞くのは確実に最後だな、って思ったんです。初登場のときは子どもだった2人も成長して、お姉さんは歌を教えるようになっていて。そうやって『モヤさま』は色んな人の歴史を背負っていく番組なんですよね。『私はこれから、もうそれを背負えなくて、見ていく側なんだなぁ・・・』って思ったら寂しくもなってしまっての涙でした。
●福岡・博多周辺~やっぱりよか街!念願の地元凱旋~
福田アナの地元・博多への凱旋となった記念の回。入学・卒業・成人式・・・と、人生の節目の度に撮ってもらっていたという写真館で、3人で番組卒業の記念撮影をしたあとに、福田アナのお母様が登場。登場の瞬間から泣き続ける福田アナに、お母様が最後のメッセージとしてかけた言葉の締めは「おめでとう」。大竹もその意外な言葉に反応した。
福田:私が悩みを一番相談し続けていたのは母なので、私の葛藤を最も知っていたんですよね。それに就活アドバイザーをしていることもあって、人のいいところを見つけて、とにかくポジティブに捉えてくれるんです。卒業はもちろん寂しくもあるんですが『ちゃんと務めあげて、次のステップへの一歩だね』っていう意味での『おめでとう』だったと思います。あとは、考えすぎだったかもしれませんが、自分のせいで番組を終わらせてはいけないという怖さも母には吐露していたので『次にバトンを渡せる3代目になれてよかったね』という意味も含めてのあの言葉だったのかなと思います。
●福田アナ卒業SP!!沖縄・久米島で最後の別れ~
福田アナとの別れのシーンは、番組に初登場した場所・久米島のハテの浜。「モヤさまが私は大好きです」という最後のメッセージのあと、さまぁ~ずの2人とスタッフたちは福田アナを浜に残して船に。泣きながらひとり手を振る福田アナの姿がだんだんと小さくなっていく・・・。
福田:始まった場所に帰ってきたっていう不思議な感覚でした。手を振りながら、寂しくてしょうがないけど、だんだんと受け入れる前向きな思いになっていったというか・・・。番組では使われてはいなかったんですけど、最後は見えなくなるまでずっと手を振っていたんです。その間、浜に一緒に残ってくれたサブカメラの山村ちゃんも、ずっと泣いてくれていて。最後に、みんなの姿が見えなくなったあと、私がマイクを外して渡したら、受け取る山村ちゃんの手が震えていたんです。それを見て本当の終わりを実感しましたね。今思い出しても、泣いてしまいそうなくらいの瞬間でした。
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