ドラマとお茶の間は陸続き

常々、僕は「ドラマは時代の鏡」と唱えている。
お金を払って見る映画が、作家性や娯楽性を第一に掲げるのに対し――ドラマはお茶の間との"陸続き"を重視するからだ。

陸続き――それは、テレビの中で展開される物語が、どこか遠くの世界で起きている荒唐無稽な話ではなく、お茶の間と何かしら繋がっているということ。リアルタイムの世相だったり、時代感だったり、共感できるリアリティだったり――。だから「ドラマは時代の鏡」。それゆえ、特に思い入れのない大多数の視聴者をテレビドラマへ引き寄せることができるのだ。

さて、今回のテーマは「女性の"働く"ドラマ」である。
例えば、この4月からTBS系で放映される吉高由里子さん主演のドラマ『わたし、定時で帰ります。』も――タイトルからして、すでに今の世相を反映している。サービス残業や過労死が問題となり、「働き方改革」が唱えられる時代だからこそ、旧来の慣習にとらわれない、マイペースなヒロインが求められるのだろう。

そう、かように、その時々の話題のドラマを見れば、時代の変化が読み取れるというもの――。
そこで、今回は「女性の"働く"ドラマ」の歴史を紐解くことにする。そこから、彼女たちを取り巻く仕事や結婚観、そして社会がどのように変化してきたかが自ずと分かるという次第。なお、職業の表記は作品を尊重して当時の言い回しを踏襲しているので、あらかじめご了承のほどを。

では――まずは、あのドラマの話から始めることにしましょう。

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それは、憧れの職業から始まった

時に1970年――。日本中が大阪万博に沸き返った年に、女性のお仕事ドラマ史に燦然と輝く1本の歴史的ドラマが登場する。TBSの『アテンションプリーズ』である。

主演・紀比呂子。タイトルコールで始まるザ・バーズの歌う主題歌は、作曲・三沢郷、作詞・岩谷時子の手によるもの。名曲に乗せて雄大な空に映えるボーイング727の機影が実に美しかった。

余談だが、作曲を担当した三沢郷さんはドラマやアニメの主題歌をホームグラウンドに活躍された方。実働5年間(その後、アメリカへ移住)ながら、同ドラマを始め、『サインはV』、『デビルマン』、『エースをねらえ』等々の名曲を生み出した不世出の天才である。彼と名人・岩谷時子サンが組んだのだから、これが名曲にならないワケがない。

閑話休題。
ドラマ『アテンションプリーズ』は、地方出身の落ちこぼれのヒロインがスチュワーデス試験に合格し、上京して厳しい訓練を経て、やがて国際線のスチュワーデスに成長するまでを描いた物語である。元々、放送枠の日曜夜7時半は、『サインはV』など、不二家が一社提供するスポ根ドラマの枠。同ドラマもその延長線上に位置するものだった。

――ところが、『アテンションプリーズ』は「日本航空」が協力に入ったことで、いわゆるスポ根ドラマにありがちな荒唐無稽なキャラや設定は抑えられ、比較的リアリティに基づく演出になった。その結果、スチュワーデスの実態が克明に描かれ、日本中の少女たちに憧れの職業として認知されたのである。

時に、高度経済成長期真っただ中――。森英恵デザインの5代目制服はミニスカートのワンピースに赤ベルト、赤スカーフの近未来的フォルム。歴代で最もチャーミングな制服とも言われ、この年、朝日新聞の「現代っ子のなりたい職業ランキング」の女子の部門でスチュワーデスが堂々の1位になる。

そう――女性の"働く"ドラマの扉を開いたのは、子供たちの憧れの職業だった。まだ、女性が希望の職種になかなか就けなかった時代。ドラマは、手の届かない夢の職業に思いを馳せる、そんな時代背景を投影したのである。

ちなみに、この13年後の1983年に放映される『スチュワーデス物語』(TBS)も、落ちこぼれのヒロインが厳しい訓練に耐え抜き、やがて国際線スチュワーデスへ成長するフォーマットは、『アテンションプリーズ』と同じだった。制作した大映テレビのカラーで、教官との恋や元婚約者との確執などドラマチックな要素は増えたものの、日本航空が協力したスチュワーデスの研修パートは変わらずリアリティのあるものだった。

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専門職が理想とされた時代

さて、話は再び1970年代に戻る。その時代のテレビドラマと言えば、やはりホームドラマを置いては語れないでしょう。中でもその代表格が、シリーズ最高視聴率が民放ドラマ史上最高を誇る『ありがとう』(TBS系)である。

主演は、当時人気絶頂のチータこと水前寺清子。忙しい彼女を口説き落とすために、石井ふく子プロデューサーがTBSのトイレにまで付いてきて交渉したのは有名な話。脚本はホームドラマの大家の平岩弓枝である。当時――1960年代半ばから70年代前半にかけてホームドラマがお茶の間を席捲したのは、日本の高度経済成長期をベースとした明るい未来像が背景にあったからと思われる。

同ドラマ、面白いことに、水前寺清子さんが主演を務める3シリーズは、レギュラーの役者陣がほとんど同じなのに、なぜか登場人物の名前も設定も全員異なる、いわゆるパラレルワールド的な作りだった。映画『若大将』シリーズも同種の構造だったが、昔はそういう作りのシリーズものが結構あったんですね。

そんな『ありがとう』におけるヒロインの職業は、第1シリーズが「婦人警官編」(1970年)、第2シリーズが「看護婦編」(1972~1973年)、第3シリーズが「魚屋編」(1973~1974年)である。要は、広義の専門職だ。当時はこれらの職業が、女性主人公が活躍しやすいドラマのイメージだったのだろう。

例えば、シリーズ最高視聴率を記録した第2シリーズの看護婦編の場合、ヒロイン(水前寺清子)は家族経営の個人病院の看護婦として働きつつ、そこの次男坊(石坂浩二)の医者と恋に落ちて結婚するという理想の展開だった。働く女性の幸せの掴み方として、専門職がこの時代の1つの答えだったのだ。ドラマはそれを投影したものである。

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結婚適齢期という重圧

一方、専門職に就かない女性たちの多くは、会社に就職してOLと呼ばれた。ちなみに「OL」なる単語は、1963年に週刊誌の女性自身が「新しい時代の働く女性」の呼び名として一般公募し、読者投票の結果、生まれたものである。

とはいえ、女性たちの多くは、能力があっても、男性社員の補助的な業務に従事させられ、お茶くみやお使いなどの雑務を当てられることが多かった。そして結婚を機に寿退職するのが通例で、20代半ばに差し掛かると、女性たちは「結婚適齢期」と呼ばれ、周囲から目には見えない重圧をかけられた。

1981年、そんな世間の風潮に異議を唱える一本のドラマが登場する。かの山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS)である。

ドラマの主人公は、結婚適齢期に差し掛かった24歳の3人の女性たち。演じるのは、森昌子・古手川祐子・田中裕子である。彼女たちはあるキッカケで偶然知り合い、結婚適齢期の揺れ動く心情を吐露し合う親友になる。そして周囲の大人たちが敷いたレールに、3人で共謀して"小さな反乱"を仕掛ける――という筋立てだった。

ドラマは実際に、小田急線のロマンスカーや新大久保のロッテ新宿工場(当時)でロケが行われ、20代女性のリアルな働く姿が描かれた。このドラマでいわゆるOLを演じたのが田中裕子サンで、商事会社で働く彼女は「お茶くみ」や「コピー取り」の仕事に甘んじ、故郷で公務員をしている父親から二言目には見合いを勧められる。そんな日常に嫌気がさし、つい上司と不倫してしまう。

80年代前半、世の女性たちは20代半ばまで"腰掛けOL"として働き、結婚を機に会社を寿退職して家庭に入る――そんな周囲が敷いたレールに疑問を抱き始めていた。その心情をすくい上げ、ドラマに仕立て上げたのが山田太一サンだったのだ。ちなみに、同ドラマは金曜10時からの放送で、その真裏にあったのが倉本聰脚本のフジテレビの『北の国から』である。2人の名脚本家の裏表対決は、まだビデオデッキが普及する前の時代で、お茶の間はどちらを選ぶか大いに悩んだものだった。

さて、『想い出づくり。』の放映から4年後、働く女性の生き方を変える1本の法律が制定される。そして――それを機にドラマ作りも大きく変化を遂げることになる。

恋より夢を優先する時代へ

その法律こそ、1985年に制定された「男女雇用機会均等法」である。
かの法律、女性社員であることを理由に、男性社員と比較して差別的に取り扱うことを雇い主に禁じたもので、具体的には男女で採用枠を分けたり、業務の内容を変えたり、結婚や妊娠・出産を理由に不当な扱いをしたり――といった行為を禁じたもの。要するに、男女の性差による職業上の差別・区別を一切排除した法律である。

そして――ドラマは時代の鏡と再三申し上げている通り、そんな新しい時代に相応しいドラマが早速登場する。時に1986年の『男女7人夏物語』(TBS)である。

ご存知、後に主演俳優の2人が結婚するキッカケとなった元祖トレンディドラマ。明石家さんま、大竹しのぶを始め、奥田英二、池上季実子、片岡鶴太郎、賀来千香子らが、都会で働く結婚適齢期を少し過ぎた独身の男女を演じ、同時代のリアルが散りばめられた珠玉のストーリーに共感する視聴者が続出した。

同ドラマで特筆すべきは、女性たちが自立していたこと。大竹しのぶ演ずる神崎桃子はノンフィクションライターの夢を追い続け、他の女性陣も為替ディーラーに照明デザイナーの卵と、己の仕事に誇りを持っていた。

物語は、合コンで知り合った都会の男女7人が、出会いと別れを繰り返しつつも、それぞれの理想と夢の実現に進んでいくもの。最終回、明石家さんま演ずる今井良介と神崎桃子は互いの思いを確かめつつも、良介は桃子の夢の実現のために、彼女のアメリカ行きを後押しする――。

「行って来い。待っててやる」

そう、恋より夢――そんな仕事を優先する生き方こそ、男女雇用機会均等法以降の時代に訪れた一番の変化だった。
それは、あのフジテレビの伝説のドラマにも波及する。

『抱きしめたい!』が教えてくれたこと

そのドラマこそ、1988年のトレンディドラマ全盛期、浅野温子と浅野ゆう子が共演した、いわゆる"W浅野"の『抱きしめたい!』(フジテレビ)である。

物語は、スタイリストとして活躍する麻子(浅野温子)のマンションに、ある日、幼稚園以来の四半世紀の親友・夏子(浅野ゆう子)がスーツケースを抱えて転がり込むところから始まる。夫の圭介(岩城滉一)が浮気したので、家出してきたという。

ここから女2人を主軸に、彼女たちを取り巻く男たちを交えたライトコメディが展開される。冒頭のシーンから推察される通り、元ネタはニール・サイモンの喜劇『おかしな二人』である。

劇中、浅野温子演ずる麻子が弁当箱のような携帯電話を使いこなしたり、本木雅弘演ずるアシスタントを振り回したり、彼女の住むマンションが屋上にジャグジーのある家賃25万円のデザイナーズ物件だったり――と、それら一連の描写は仕事のできる、自立した女性の姿だった。

最終回の1つ前の回、麻子と夏子は圭介を巡って喧嘩するが、しばらくして互いの存在の大きさを痛感し、元さやに収まる。恋よりも友情――それが、2人の出した結論だった。同ドラマは男抜きで仕事と友情に生きる、新時代の女性たちを描いたのである。

自然体で、男女平等を描いた『東ラブ』

そして、昭和が終わり、平成を迎え――時代は90年代に突入する。
バブルの熱狂は沈静化し、都会の若者たちはリアルな恋を求め始めた。そんな時代に登場して、お茶の間の共感を集めた歴史的ドラマが、フジテレビの『東京ラブストーリー』(1991年)である。

同ドラマ、柴門ふみさんの原作マンガはカンチこと永尾完治が主人公だったが、ドラマ版では鈴木保奈美演ずる赤名リカがトップにクレジットされた。

物語は、スポーツ用品メーカーに勤める永尾完治(織田裕二)が東京本社へ転勤となり、羽田空港に降りると、そこに同僚の赤名リカが迎えに来ていたところから始まる。
この出会いの時から、リカは永尾のことを「カンチ」と勝手に呼び、いきなり倉庫の積み込み作業を手伝わせる(ちなみに、彼女は何もしない)など、遠慮を知らない。それは彼女の「帰国子女」たるキャラクターのなせるワザでもあったが、実のところ、カンチに一目ぼれしたからだった。

おっと、ドラマのストーリーを語ることは、当コラムの本意じゃない。語りたいのは、そこに描かれた働く女性の姿である。『東ラブ』の時代になると、赤名リカは普通に男性社員らと同じ業務をこなしていた。要するに総合職である。特段、そこに気負いはなかった。

そう、80年代半ばに男女雇用機会均等法が施行され、一躍自立した女性たちが脚光を浴びたが、90年代になると、男女が同じ業務をこなすことが常態化し、もはや自然体になっていたのである。『東京ラブストーリー』は、そんな世界を背景にした、男女が同じ目線のラブストーリーだった。

さて、テレビドラマはこのあと90年代を進んでいくが、ここで1つの社会的事件が起きる。――バブル崩壊である。そして、「ドラマは時代の鏡」と言うように、ここでも事件の余波はドラマの中にも及ぶ。"働く"女性の姿にも変化が見られ、新しいドラマが生まれる。

この続きは、次回とさせていただこう。

『わたし、定時で帰ります。』(C)TBS SPARKLE /TBS (C) 2018 朱野帰子/新潮社
『想い出づくり。』(C)TBS