"ファジィ"な時代に進化した映画のCG技術

新しい年号が<令和>に決まり、間もなく平成は終わりを迎えようとしている。後世の人々は、東京オリンピックを翌年に控え、平成と令和とを跨いだ2019年を俯瞰して、「あいまいな年」と呼ぶ可能性がある。それは、平成二年(1990年)の新語大賞で、"あいまい"を意味する<ファジィ>が大賞に選ばれていることに由来する。洗濯機や電子レンジなど、<ファジィ理論>を基に(と言われた)コンピューター制御を応用した電気製品が人気となる現象が起こったのだ。

今から考えれば、昭和から平成へと移行する端境期という"あいまい"さが、どこか<ファジィ>という言葉と親和性を持っていたのではないかとも思わせる。ちなみに、2018年の新語大賞のひとつは『チコちゃんに叱られる!』の<ボーっと生きてんじゃねーよ!>。"ぼやっと"していることに対する喚起だと解釈できたりもするのだ。一方CGの分野では、霧や煙、雲や炎などの<ファジィ>物体を表現することが長年困難だとされてきた。

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例えばこのことは、消防士の活躍を描いた『バックドラフト』(91)の制作過程において、CGによるモデリングが上手くいかず、実際の炎を特殊効果によって制御する手法が取られたという裏話が物語っている。一方で、『バックドラフト』と同時期に劇場公開された『ターミネーター2』(91)では、『ウィロー』(88)で使われた<モーフィング>と呼ばれるCG技術を進化させ、別の物体へと滑らかに変形してゆく映像で観客の度肝を抜いた。ちなみにこの技術にいち早く注目した著名人がマイケル・ジャクソン。自身の「ブラック・オア・ホワイト」のミュージックビデオで、人物の顔が次々に変化してゆく映像実践したのも同じ1991年。『ターミネーター2』の公開が7月、「ブラック・オア・ホワイト」のリリースが10月であることを考えると、彼の先見性を窺わせる。

『ターミネーター2』は配給収入57億5000万円を稼ぎ出し、1991年の年間ナンバーワンの大ヒットを記録したが、このヒットには前年に人気を博したヒット映画の傾向が踏襲されているように見えるのだ。

【1990年洋画配給収入ベスト10】

1位:『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』・・・55億3000万円
2位:『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』・・・47億5000万円
3位:『ダイ・ハード2』・・・32億円
4位:『ゴースト ニューヨークの幻』・・・28億円
5位:『バットマン』・・・19億1000万円
6位:『ゴーストバスターズ2』・・・17億5000万円
7位:『7月4日に生まれて』・・・14億7500万円
8位:『デイズ・オブ・サンダー』・・・14億1000万円
9位:『グレムリン2 新種誕生』・・・13億5000万円
10位:『フィールド・オブ・ドリームス』・・・11億5000万円
(※現在は興行収入として計上されるが、当時は配給収入として算出)

前回(※https://plus.paravi.jp/entertainment/002396.html)、「平成はトム・クルーズで始まった」と題して解説したが、平成2年の興行ランキングを見ても、アカデミー賞監督と組んで演技を重視させた作品の『7月4日に生まれて』(90)と、娯楽性の高い作品である『デイズ・オブ・サンダー』(90)の2本をランクインさせていることが判る。この2本は、明らかに「トムが見たい!」という観客を動員した作品だが、ベスト10にランクインした他の作品には、ある共通点が見出せる。それは<続編>だということ。実に10本のうち(後にシリーズ化される『バットマン』を含めると)6本が、シリーズものを意識して製作された<続編>だったのだ。

過去の興行ランキングを遡っても、これほど<続編>が上位を占めた年はない。まさに"特異"な年だった。もちろん、<続編>映画は以前から製作されており、映画史的には『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)が"<続編>である映画に対してPART2と表記した最初の映画"だとされている。実は1991年に公開された『ターミネーター2』と1990年に公開された『ゴーストバスターズ2』(89)と『グレムリン2 新種誕生』(89)にも共通点がある。それは、第1作の公開が奇しくも1984年だったという点。

『ゴーストバスターズ』(84)と『グレムリン』(84)は1984年のお正月映画として日本公開されたが、この2本と『ゴジラ』(84)を併せて「お正月映画の3G」と呼ばれていた。さらに『バック・トゥ・ザ・フーチャー』(85)が日本公開されたのは翌1985年の12月。こちらも正月映画興行を牽引し、36億5000万円を稼いで年間ナンバーワンのヒット作となっている。これらの第1作が公開されて第2作が公開されるまでには6~7年の年月を要していることが判る。昨今の『ハリー・ポッター』関連作品や『アベンジャーズ』関連作品と比較すると、意外に時間がかかっていることも窺わせるのだが、実は、この"時間"が当時は重要だったのである。

レンタルビデオが映画鑑賞や映画興行を変えた

1980年代はレンタルビデオが隆盛を誇るようになった時代。それまで映画は、映画館で上映されたものが名画座のような弐番館で上映され、その数年後にやっとテレビで放映されるという二次利用の流れがあった。その、映画館での鑑賞とテレビでの鑑賞の中間に入ってきた新たな存在が、ビデオで鑑賞するというスタイルだったのだ。当時のビデオは作品によってレンタル開始時期がまちまちであったが、少なくとも劇場公開から1年後には家庭で鑑賞できるような環境を構築。さらにはWOWOWが1991年(平成三年)に開局したことによって、有料チャンネルで新作映画をいちはやく家庭で鑑賞することも一般化し始めることとなる。

レンタルビデオの功績は、映画興行が下火となった時代に全国津々浦々で同時に同じ作品を鑑賞できるようになったことにある。当時は、地方の映画館が続々と閉鎖に追い込まれていた時代。シネコンが全国で運営されるようになるのは1990年代後半になってから。それまで複数のスクリーンを持つ、渋谷東急文化会館やキネカ大森のような映画の複合施設は存在したが、マルチプレックスと呼ばれる本格的なシネコンが日本で誕生したのは1993年4月に開館したワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現・イオンシネマ海老名)が最初だとされている。つまり、レンタルビデオでの映画鑑賞は、全国で確実に映画ファンを増やしていったのだといえる。

そんな時代に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』は、それほど多くの観客が映画館でリアルタイムに観ていたわけではない。厳密ではないが、配給収入は現在の興行収入のおよそ50%と換算されているので、当時の貨幣価値を考慮しても、意外に想像より低い数字であることが判る。つまり、これらの作品はレンタルビデオで鑑賞されたことで、作品の知名度が上がっていったのだ。そしてもうひとつ、6~7年という年月は地上波でのテレビ放映も可能にする。現在40代以上の方々なら、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』を「テレビの洋画劇場で何度も見た!」という方が多いはず。マイケル・J・フォクスが演じたマーティの吹替は、山寺宏一、三ツ矢雄二、宮川一朗太、そして織田裕二の複数が吹き替えを担当していて、どの吹替で観たかによって、放送局や鑑賞時期をファンの間で語らえるほど、繰り返し何度も放映されている。

<続編>とは、つまり、前作を知らないと理解し難いという欠点を持っている。しかも『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』は、第1作のラストから物語が始まるように、前作を鑑賞していないと話にならないタイプの<続編>。第1作の鑑賞を前提とするため、本来であれば年間興行の1位になるような作品ではないはずなのだが、レンタルビデオやテレビ放映で育てられた観客に「続きが観たい!」と思わせたことが、それまでにないヒットとなったのである。

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苦戦を予想されていた『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』

ちなみに『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』が公開されたのは、1989年12月9日。厳密には1989年の正月映画なのだが、興行収入は翌年に計上される慣しになっている。この年は、11月25日に『ゴーストバスターズ2』、12月2日に『バットマン』、12月9日に『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』というように、毎週大作が公開されるという激戦。その中で当時有力視されていたのは、実は『バットマン』(89)だった。全米では1989年の夏に公開され記録的なメガヒットとなった『バットマン』は、日本でもグッズが大人気となり、映画の公開に先行して日本の企業は「バットマン」を自社のイメージキャラクターに起用。例えば、所ジョージが出演する日石カードのCMなどで早々にコラボレーションが行われた。

このことに危機感を覚えたのが『バック・トゥ・ザ・フーチャーPART2』陣営。全米公開の2週間後に日本で公開されることで、事前の情報やビジュアルが少なく、グッズ戦略で快進撃を続けていた『バットマン』には勝てないと思われていたのだ。このことを裏付けるように、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の劇場パンフレットに掲載されているグッズ販売の広告を見ると、数枚しかない劇中写真を駆使して制作した苦肉なグッズの数々を確認できる。しかし、公開を半年寝かせた『バットマン』の人気は公開時に失速し、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPARTⅡ2』の3分の1ほどの配給収入に留まってしまったのだ。ここに興行の難しさがある。

『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』は前作の鑑賞を前提としていたが、そのような<続編>として公開当時議論となったのが『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80)だった。今でこそ「続編の名作」と呼ばれ『スター・ウォーズ』シリーズの中でもベストに挙げるファンも多いが、当時は三作目に続くエンディングに戸惑った観客も多かったのである。この<クリフハンガー>と呼ばれる手法は、サイレント映画時代の連続活劇の手法に倣ったもの。主人公の絶体絶命の危機が訪れたところで映画が終わり、「この続きはまた次回!」と、観客が続きを見たくなるような仕掛けを行った興行形態をジョージ・ルーカスが意図的にオマージュしたものだった。

それからちょうど10年が経過し、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』が大ヒットし、さらに続く『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(90)で年間興行のワンツーフィニッシュさせたことは意義深い。この2本は同時に撮影することで製作費を抑えることにも成功。この手法は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどにも継承されているからだ。"ファジィ"が持て栄された年に、1本の映画としては"あいまいな"続編映画がヒットしたことは、もはや偶然とは思えないのである。

(映画評論家・松崎健夫)

【出典】
「キネマ旬報ベスト・テン85回全史1924−2011」(キネマ旬報社)
「キネマ旬報 1991年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
一般社団法人日本映画製作者連盟 日本映画産業統計
http://www.eiren.org/toukei/index.html