80年代――テレビ界全体は、フジテレビの躍進もあり、若年化・娯楽化へと傾いていった。ドラマの作り方にも変化が見られ、若者をターゲットに、よりエンターテインメント志向を強めていった。それは、ラブストーリーにおける"カセ"にも変化をもたらしていった。

そして、90年代には未曽有の連ドラブームが花開く。それは、エンタメ化した80年代の恋愛ドラマとは異なる等身大のラブストーリーだった。それに合わせて恋愛ドラマのカセも、新たなステージを迎えていく―。

本コラムでは、前・中・後編に分けて、時代ごとに恋愛ドラマの変遷を辿っていく。今回はその中編をお届け。

前編:再燃する「恋愛ドラマ」を紐解く ~すべてはロミジュリからはじまった~

後編:再燃する「恋愛ドラマ」を紐解く ~カセこそ時代のバロメーター~

80年代、カセはエンタメのアイテム化する

時に1983年、アイドルを起用した1本のドラマが評判となった。『スチュワーデス物語』(TBS系)である。
ご存知、"ドジでノロマな亀"のスチュワーデス訓練生・松本千秋(堀ちえみ)が、愛する村沢教官(風間杜夫)の厳しくも愛情のこもった指導の元、一人前のスチュワーデスへと成長する物語である。

しかし、2人の愛は必ずしも順調には進まない。村沢の婚約者の真理子(片平なぎさ)が度々2人の前に現れては、嫌がらせを繰り返す。村沢はピアニストの真理子の命綱である指を事故で失わせた負い目があり、千秋との恋愛に踏み出せない――というカセが延々と展開される。

とはいえ、真理子は村沢の前に登場する度に、自らの口で手袋を外して義手を見せつけるなど、その演出は少々やりすぎの感があった。そう――70年代のドラマと違い、80年代のカセは半ばエンターテイメント化したのである。

同様の現象は、昼ドラでも見られた。1988年の『華の嵐』(フジテレビ系)である。映画『風と共に去りぬ』をモデルにした同作は、昭和初期を舞台に、誇り高き華族の娘(高木美保)と、その父(高松英郎)への復讐に燃える馬賊あがりの青年(渡辺裕之)との身分を超えた愛の物語。

大袈裟な台詞回しや過剰な演出は、リアルな時代ドラマというよりは、エンターテイメント色の強いものであり(後に、同枠の『真珠夫人』に受け継がれる路線)、逆にそんな芝居がかった作風が女子中高生やOLに受け、昼ドラなのに高視聴率を生む。

そんな次第で、良くも悪くもカセがエンターテイメント化したのが80年代の恋愛ドラマの特徴だった。それは、80年代末に訪れたトレンディドラマのブームでも同様だった。

もはや、ラブストーリーにおけるリアルなカセは描きにくいのだろうか。平和な時代が長く続き、医療の進化で不治の病も激減した現代――禁断の恋愛ドラマは生まれにくい状況なのだろうか。

いや、時代はむしろ新しいカセが登場する機運に満ちていた。舞台は整いつつあった。そう、時に90年代、空前の連ドラブームが訪れる。カギは――リアリティにあった。

20181208_shinanyakucolumn_02.jpg

教師と生徒の禁断の愛へ

1991年1月、1本のドラマが日本のテレビの歴史を変える。『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)である。リカ(鈴木保奈美)とカンチ(織田裕二)の切なくも等身大のラブストーリーに、OLたちはこぞって共感した。月曜の夜は、彼女たちは残業や飲み会を断り、早々に帰宅してはチャンネルを合わせた。

90年代、最初に登場したカセは、"教師と生徒の禁断の愛"だった。時に1993年、野島伸司脚本の『高校教師』(TBS系)である。主人公の生物教師・羽村に真田広之、ヒロインの生徒・繭に桜井幸子――。

新任の羽村隆夫は女子高に赴任したばかり。大学の研究室生活が長かった彼は、慣れない学園生活に戸惑いを隠せないが、そんな彼に手を差し伸べ、付きまとう1人の女子生徒がいた。二宮繭である。「あたしが全部守ってあげるよ」――大勢のクラスメートの前でそう宣言した彼女は、少し変わり者だった。

当初は、そんな繭の積極的な行動に翻弄される羽村だが、次第に彼女の一途な思いに心を動かされ、また彼女の不幸な境遇に心を痛め、気が付けば――2人は後戻りできないところに来てしまう。そう、教師と生徒の禁断の愛である。

最終回、繭の父を刺し、故郷の新潟へ繭と2人で逃亡を図る羽村。列車は一路北へ向かう。車中、車掌が彼らに声をかけるが、寄り添って目を閉じた2人を見て立ち去る。2人の小指には赤い糸。その直後、繭の腕が手すりから落ち、垂れさがる――。

物語はそこで終わる。お茶の間はこのラストシーンの解釈を巡って紛糾した。心中説、羽村の夢説、駆け落ち(居眠り)説――など。いずれにせよ、そこまでお茶の間を惹きつけたのは、倫理上は許されないながら共感してしまう、教師と生徒の禁断の愛という"カセ"の持つ力だった。

20181208_shinanyakucolumn_04.jpg

あなたの声を思い出せない

次に登場するカセは、1995年の『愛していると言ってくれ』(TBS系)で見られる。脚本はラブストーリーの名手・北川悦吏子である。物語は、常盤貴子演ずる女優の卵・水野紘子がある日、豊川悦司演ずる聴覚障碍者の画家・榊晃次と偶然出会い、恋に落ちるところから始まる。

当初は自らの障がいを負い目に感じ、紘子を避けていた晃次。だが、次第に彼女の一途な思いを受け入れ、愛し合うようになる。そんな2人の間に幾度となく立ちはだかる「障がい」という壁――。その度に、紘子は一人傷ついていった。
ある日、デートの帰り道で紘子は晃次に打ち明ける。「私、離れていたくない。私には、思い出すものがひとつ少ない」『どういう意味?』手話で聞き返す晃次。「あなたと離れている時・・・あなたの声を思い出せない」

例え、声に出せずとも、心を通わせる2人の姿にお茶の間は共感した。また、そんな2人の世界をアシストするDREAMS COME TRUEの主題歌「LOVE LOVE LOVE」もドラマを盛り上げ、大ヒットした。ドリカムの同曲は、この年の最高セールスを記録する。

20181208_shinanyakucolumn_03.jpg

愛の逃避行

そして、3つ目のカセが、1997年の『青い鳥』(TBS系)である。脚本は、今は亡き野沢尚さん。平凡な田舎町の駅員が、ある日、一組の母娘に出会い、"不倫"そして"逃避行"へと禁断の愛を貫く話である。主人公の駅員・柴田理森に豊川悦司。相手役の母・町村かほりを夏川結衣、その娘・詩織を鈴木杏(成長後は山田麻衣子)が演じた。

物語は、この3人がふとしたことから出会うところから始まる。かほりは、町の有力者である綿貫広務の内縁の妻だが、本人はそれを望んでいなかった。悩めるかほりと理森はいつしか惹かれ合い、逢瀬を重ねる。だが、やがてその関係は広務の知るところとなり、母娘は引き離される危機を迎える。それを知った理森は咄嗟にかほりと詩織を連れ、電車に飛び乗る――そして3人の逃避行の旅が始まる。

連ドラには珍しいロードムービー風の作品であり、全国を縦断したロケと、情景豊かな映像美が、禁断の逃避行を盛り上げた。まさに、背徳の美学である。

教師と生徒、障がい、そして不倫

――以上、90年代のドラマのカセは、等身大の愛を描く時代背景が生んだ、リアリティの産物だった。それは、教師と生徒の禁断の愛であり、時に非情な顔を見せる障がいの壁であり、許されざる不倫の関係だった。

お茶の間が、そんなカセに立ち向かい、愛を貫く2人に共感できたのは、ひとえにエピソードを丁寧に重ね、2人に生きた台詞を吐かせた珠玉の脚本の賜物である。それら3つのドラマは視聴率も高かったが、それ以上に記憶に残るドラマとなった。

先の代表的な3つのカセは、それ以降のドラマでもしばしば用いられた。
例えば、松嶋菜々子と椎名桔平が共演した『Sweet Season』(TBS系)では、上司と部下の不倫に加え、記憶喪失というWのカセに立ち向かう2人の愛の軌跡を描いた。松嶋菜々子の民放ドラマ初主演作であり、彼女がブレイクするキッカケとなる。

1999年の『魔女の条件』(TBS系)は、先の『高校教師』と逆のベクトルの作品だった。高校の女性教師・未知に松嶋菜々子、男子生徒の光に滝沢秀明。教師と生徒の禁断の愛の物語である。2人は共に心に喪失感を抱え、それを埋めるために互いを求め、そして傷ついた。脚本は遊川和彦である。

そして、2000年の『ビューティフルライフ』(TBS系)では、人気美容室で働く男性スタイリスト・柊二と、難病に侵された車椅子の女性・杏子とのラブストーリーが描かれた。脚本は北川悦吏子である。時のスター木村拓哉と常盤貴子が共演し、視聴率は驚異の数字を叩き出した。お茶の間の心を惹きつけたのは、障がいを恐れない2人の明るい笑顔と、互いを信じあう愛の絆だった。

ちなみに、同ドラマの冒頭、後に天国へ旅立つことを予感させる杏子の言葉は、今も語り継がれる名台詞である。「ねえ、柊二。この世は綺麗だったよ。高さ100センチから見る世界は綺麗だったよ。あなたに出会って、私の人生は、星屑をまいたように輝いたんだ」――。

後編に続く)

「高校教師」(C)TBS
「愛していると言ってくれ」(C)TBS
「青い鳥」(C)TBS