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さて――「義母と娘のブルース」が大いに盛り上がって終わり、世間では"ぎぼむすロス"なる症状に見舞われている人も少なくないと聞く。なぜ、同ドラマはこんなにもお茶の間を惹きつけたのか。 俗に、"ドラマは時代の鏡"と言われる。「ぎぼむす」が支持されたのは、シンプルに言えば――そこに描かれた家族の姿が、今の時代と共鳴したからである。それは、連綿と続く家族ドラマの歴史を紐解くと、より鮮明になる。 前・中編と、家族ドラマの栄枯盛衰を語ってきた本コラムも、遂に後編である。時に1990年代初頭、最初に名乗りを上げたのは、やはりあの人だった。

橋田壽賀子のライフワーク

1980年代後半のバブル時代――連ドラ界はトレンディドラマの波に席巻された。
ドラマの主要視聴者は20代の若者となり、テレビの中は流行りのファッションやトレンディなスポット、カタカナ職業が氾濫した。もはや、熟年俳優や子役たちが活躍する家族ドラマは出る幕がないように思われた。

ところが――1990年10月にTBS開局40周年を記念して、1年間にも渡るドラマが始まる。橋田壽賀子脚本の『渡る世間は鬼ばかり』である。
ご存知、2011年まで全10シリーズが作られる大河ホームドラマ。岡倉大吉・節子夫妻と、その5人の娘たちのそれぞれの家族が織りなす人情劇だ。シリーズ初期は山岡久乃演ずる節子を中心に、5人の娘たちの家庭問題が描かれ、中盤以降は藤岡琢也演ずる大吉と、主に次女・五月(泉ピン子)一家の「幸楽」の人間模様が展開された。

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シリーズは軒並み高視聴率を獲得、20年以上に渡る橋田壽賀子のライフワークとなる。その一方で、シリーズを重ねる度に橋田ファミリーが増え続け、長台詞は当たり前のものとなり、1つのシリーズは毎回4クールにも及び――気が付けば、「家族ドラマ=橋田ドラマ」の図式が世間に定着する。

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冬彦さんブーム

そう――90年代は家族ドラマにとって、ある意味、悩める時代だった。
トレンディドラマを経て、『東京ラブストーリー』を機に爆発的に広がった空前の純愛ドラマブームで、熟年俳優たちの出演機会が減少する一方、『渡る世間は鬼ばかり』のロングヒットで、それ以外の家族ドラマが生まれにくい状況になっていた。
ドラマ関係者の誰もが、"平成の家族ドラマ像"を模索していた。

そんな中、奇策とも言うべきドラマが登場する。時に1992年7月――TBSの『ずっとあなたが好きだった』である。

それは、お見合い結婚した美和(賀来千香子)と冬彦(佐野史郎)に、夫の母親(野際陽子)が絡む新手の家族ドラマ。冬彦は極度のマザコンであり、佐野史郎の"怪演"がお茶の間の話題となった。

脚本は、これが連ドラデビュー作となる君塚良一である。当初は脇キャラの一人に過ぎなかった冬彦が社会現象化するにつれ脚本が書き直され、タイトルの意味も、美和から昔の恋人・洋介(布施博)への思いから、冬彦から美和への思いも加えたダブル・ミーニングに改められた。

視聴率は大反響のうちに幕を閉じる。
とはいえ、やはり家族ドラマの奇策に過ぎず、平成の"迷える時代"を投影したものであった。

2つのオマージュドラマ

翌1993年、奇しくも同じタイミングで、かつて一世を風靡した2つの家族ドラマが装いも新たに復活する。『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)と『ダブル・キッチン』(TBS系)である。

『ひとつ屋根の下』は、当時『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』(以上フジテレビ系)、『高校教師』(TBS系)と立て続けにヒットを飛ばしていた野島伸司の脚本である。彼は平成の家族ドラマを書くにあたり、1つの作品をオマージュした。1966年にフジで放映された伝説のドラマ『若者たち』である。

それは、両親のいない大家族の兄妹がひとつ屋根の下で暮らす物語。悩み、傷つき、時に激論を戦わせながらも、兄妹で力を合わせて前向きに生きる話だった。『ひとつ屋根の下』はこれをベースに、長男役の達也(江口洋介)のキャラクターを始め、全体をコメディテイストに改め――現代風にアップデートされた。

果たして、昭和の家族ドラマのテイストが、平成の時代に通用するのか不安視されたが――蓋を開けてみると、大ヒット。次男・雅也を演じた福山雅治や三男・和也を演じた、いしだ壱成らもブレイクする。

時に掴み合いのケンカをしても、いざという時は兄妹で一つになり、皆で助け合う柏木家の姿に、お茶の間は泣き、笑い、共感した。時代を経ても、家族の絆は不変であることを同ドラマは証明したのである。

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『ダブル・キッチン』は平成版『となりの芝生』

そして、もう一つのオマージュドラマが『ダブル・キッチン』(TBS系)である。こちらが影響を受けたのは、本コラムの中編でもご紹介した家族ドラマのエポックメーキング作品、橋田壽賀子脚本の『となりの芝生』(TBS系)だ。

そう、嫁と姑がひとつ屋根の下で静かなバトルを繰り広げる物語。かつては念願のマイホームに姑が勝手にやってきて居座るところから話が始まったが、今作は「二世帯住宅」が舞台。地価高騰で若い世帯のマイホーム取得が難しくなり、そこで親世帯と同居しつつも、トイレやキッチンを別々に設けるなど、それぞれの独立性を保てるように設計された住宅である。

俗に、ドラマは時代の鏡というが、1990年代はこの二世帯住宅がブームとなり、それをいち早く取り入れたのが『ダブル・キッチン』だった。過去のヒット作をオマージュしつつ、設定を現代風にアレンジすることで古臭く感じさせない――エンタテインメントの王道である。

ドラマは、出版社に勤める都(山口智子)とサラリーマンの忍(高嶋政伸)が趣味のスキューバダイビングで知り合い、結婚するところから始まる。2人は、夫の両親(伊東四朗・野際陽子)らと二世帯住宅で暮らし始めるが、マスコミ勤務の都は帰りが遅く、一方、姑の真知子は「女性は結婚したら家庭に入るべき」が信条の古風な考え。ことあるごとに2人は対立する――というのが、物語の基本フォーマット。

見せ場は、二世帯住宅ゆえに、それぞれのうっ憤を1階と2階の各住居で別々に晴らすシーンだ。都は真知子からもらった「すだれ」に当たり、真知子は趣味の鼓を叩く。ドラマは毎回、2人の描写がカットバックで入るのがお約束だった。

『ダブル・キッチン』は大ヒットする。ヒロインを務めた山口智子は一躍ブレイクし、一方の野際陽子は姑役が定着する。同ドラマを機に、以後2人が活躍の場を広げたのは承知の通りである。

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21世紀の家族ドラマへ

1990年代後半、家族ドラマはしばらく鳴りを潜めるが、21世紀に入ると、連ドラ界に変化の波が訪れる。
その頃になると、かつて猛威を振るった純愛ドラマは鎮静化し、代わって連ドラの主流はお仕事ドラマへ移行していた。連ドラで青春を謳歌した世代が歳を重ね、その関心が「恋愛」から「社会」へ移っていたことと無縁ではない。その流れは家族ドラマにも再び光をともす。

そう、もはや専業主婦の時代は終わり、家庭内でも様々な問題が噴出する。ドラマは時代の鏡というが――2004年、そんな空気を反映した、いくつかのエポックメーキングな家族ドラマが登場する。

まず、同年1月クールの『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ)である。主演は草彅剛。後に『僕生き』3部作と呼ばれる2作目で、シリーズ中、最大のヒット作となった。

物語は、仕事に一途で家庭を顧みない銀行員の徹朗(草彅剛)がある日、突然妻(りょう)から離婚を切り出されるところから始まる。妻も、自分の夢や仕事を捨てきれなかったのだ。幼い一人娘・凛(美山加恋)を残し、彼女は家を出る。戸惑う徹朗――。

だが、凛の家庭教師の女性・ゆら(小雪)の助言もあり、次第に徹朗は父親らしさに目覚めていく。草彅さんのナチュラルな演技と、子役の美山さんの「はい」というピュアな台詞が評判となり、そんな心温まる父子の姿がお茶の間の共感を呼んだ。

ちなみに、同ドラマのオマージュ元は、1979年の米映画『クレイマー、クレイマー』と言われる。アメリカから25年経って、日本でもようやく同じテーマが扱われるようになったのだ。

"専業主夫"の時代に

そして、同年4月クールは、更に一歩進んだドラマが登場する。『アットホーム・ダッド』(フジテレビ系)である。

阿部寛演ずる主人公・山村和之はやり手のCMディレクター。「男は仕事、女は家庭」の古風な考えの持ち主で、念願のマイホームを手に入れるが――ひょんなことからリストラに遭う。一方、同じタイミングで専業主婦の妻の美紀(篠原涼子)は古巣の出版社から声が掛かり、編集者に復帰して正社員に。
かくして――和之は望まぬ"専業主夫"となり、家事や幼稚園の娘の世話に奮闘するというホームコメディである。

実際、世の中で"専業主夫"が脚光を浴び始め、男女の役割が問い直されるという世相があった。ドラマはそれをいち早く先取りしたものである。
当初は家事を軽く見ていた和之が、次第にその大変さとやりがいに目覚め、妻や娘との絆を深めていく展開は物語の常道である。ドラマはお茶の間の高い支持を得た。

同ドラマで秀逸だったのは、何気ない家事にいちいち困惑する和之の描写である。例えば、洗濯機を前に10分近く悩み、水の出し方が分からずネットで検索したり、悪戦苦闘する。洗濯一つにそんなにも時間をかけるドラマは、日本のドラマ史上初めてだった。それをマジメな顔で淡々と演じる阿部寛――俗に、この手の笑わない喜劇芝居を「ストーン・フェイス」と言う。喜劇王バスター・キートンの代名詞だ。

脚本は尾崎将也。このヒットがキッカケで、彼は以降、阿部寛主演で『結婚できない男』『白い春』と、俗にいう"阿部寛三部作"を書く。

自閉症児の家族ドラマ

不思議と、ドラマ史を変えるエポックメーキングな作品は、放映時期が重なることが多い。
この時もそうだった。『アットホーム・ダッド』と同じクール、歴史に残るあの家族ドラマが登場する。『光とともに...』(日本テレビ系)である。

主人公・東幸子(篠原涼子)には、6歳になる自閉症の息子・光がいる。ドラマの序盤は、小学校の特殊学級に入学した光が数々の問題を引き起こし、母・幸子の戸惑う様子が描かれる。だが、養護教諭の里緒(小林聡美)の心のこもった導きもあり、やがて光は母親との絆や、クラスメートたちとの友情を育む――という物語。

原作は戸部けいこのコミックで、これを水橋文美江が脚色した。初めて自閉症児に正面から向き合ったドラマで、お茶の間の高い関心を呼び、評判も上々だった。

史上最高の天才子役

家族ドラマの歴史を紐解いていくと、しばしば話題になるのは、天才子役の存在である。古くは、1970年代には坂上忍や杉田かおるが脚光を浴び、1980年代になると吉岡秀隆や中嶋朋子が注目され、1990年代にはえなりかずき、2000年代には美山加恋がお茶の間の人気を博した。
そして、これから紹介するのは、そんな歴代子役たちの中でも、恐らく最高の演技力を持つ天才子役。
――芦田愛菜である。

彼女が一躍注目されたのは、2010年の『Mother』(日本テレビ系)である。演じたのは、母親に捨てられる小学1年生・怜南の役。驚くべきことに、この時、本来は7歳の役を、5歳で演じている。オーディションでは応募資格の年齢に達しておらず、一旦不合格になるも、あまりの卓越した演技力で、特例で採用されたという。そこで、同級生に比べて小さい体に理由をつけるために、ネグレストによる栄養失調と脚本が書き直されたそう。結果オーライだ。

物語は、自身も幼少時に、親から捨てられた過去を持つ小学校教師の奈緒(松雪泰子)が、ある夜、受け持ちのクラスの怜南がゴミ袋に入れられ、放置されているのを発見するところから始まる。かねてより母親のネグレストを察知していた彼女は、"新しい母親"になることを決意し、怜南を誘拐して逃亡生活に入るというストーリーだ。

当時、社会問題化していたネグレストを取り入れるなど「母性とは何か」を問いかけた意欲作であり、お茶の間の高い関心を呼んだ。

脚本は、かの坂元裕二である。彼はこのドラマで「橋田賞」を受賞するなど一躍評価を上げ、以後、作家性の強い脚本家として、数々の話題作を発表する。

震災後の日本人を癒した家族ドラマ

天才子役の活躍はこれだけに留まらない。
時に2011年4月。前月に未曽有の東日本大震災が発生し、日本中が悲観に暮れていた頃――1つのドラマが始まる。『マルモのおきて』(フジテレビ系)である。
当初は、裏に大ヒットドラマの『JIN-仁-』(TBS系)の続編があり、全く注目されていなかったものの――回が進むにつれ、人気は右肩上がり。主題歌の「マル・マル・モリ・モリ!」もヒットする。

物語は、阿部サダヲ演ずるサラリーマンでアラフォー独身男の護(まもる)が、中学時代にバッテリーを組んだ親友が急死したことから、残された幼い双子・薫(芦田愛菜)と友樹(鈴木福)を引き取るところから始まる。別々の親戚に引き離される2人を案じた措置だった。

当初は、双子のペースに巻き込まれ、仕事との両立もままならず、混乱する護。しかし、周囲の人々の支えもあり、様々な問題を乗り越えるうちに、やがて双子と"本当の家族"になっていく――という心温まるストーリーだ。

例え、血は繋がっていない親子でも、心を通わせることで信頼関係は築ける――それは、かつての『池中玄太80キロ』、そして現代の『義母と娘のブルース』にも通ずる不変のプロットだ。そう、優れたエンターテインメントは時代を超えて受け継がれる――。

タイミングもよかった。丁度、震災孤児の問題がクローズアップされていた時期でもあり、同ドラマに勇気づけられ、癒される家族が続出した。通常、ドラマの企画は半年前から立てられるので、その放映のタイミングは奇跡というしかなかった。

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ミタ、タワマンに共通する一人のキーマン

ここから先の話はあまり長くない。
震災を機に家族ドラマは見直され、いくつかの秀作が生まれた。
その中で、印象的なドラマが2つあった。奇しくも、両ドラマとも同じ女優がキーパーソンとして活躍する。
松嶋菜々子、その人である。

1つは、2011年10月クールの『家政婦のミタ』(日本テレビ系)である。母親の死から、崩壊寸前となった阿須田家(父・長谷川博己)に、家政婦の三田(松嶋菜々子)が派遣されてきたところから物語は始まる。仕事はパーフェクトにこなすが、常にロボットのように無表情な彼女。そんな三田の振る舞いに一家は戸惑いつつも、彼女の型破りな行動で、次第に"母親の死"を乗り越え、絆を取り戻していく――というもの。

一方、三田が感情を失った背景にも、過去に壮絶なトラウマがあり、彼女自身も須田家から愛情をもらい、最後は自らのトラウマを乗り越え、笑顔を取り戻す。

同ドラマは大ヒットした。その背景に、ドラマのテーマである「再生」が、当時、震災で傷ついた日本人の心へ響いたとも言われた。

もう1つのドラマは、2016年の『砂の塔~知りすぎた隣人』(TBS系)である。物語は、平凡な主婦・高野亜紀(菅野美穂)の一家が念願のタワーマンションへ引っ越してきたところから始まる。そこに待ち受けていたのは、セレブ主婦たちによる"タワマンルール"。壮絶なママ・カーストに翻弄され、更に、児童の連続誘拐事件(ハーメルン事件)も発生し、高野家は空中分解の危機に瀕する。言うまでもなく、物語の背景には、近年話題のタワマン・カーストがあった。

ここでも、ドラマのキーマンとして活躍するのは、松嶋菜々子演ずる、1つ上の階に住む佐々木弓子だだった。彼女は過去にストーカー被害に合い、殺人を犯した壮絶な秘密を持ち、また亜紀の夫・健一(田中直樹)の前妻で、長男・和樹の実の母でもあった。

その後、物語はタワマンルールに立ち向かい、それを乗り越える亜紀と、高野家の絆を取り戻すことで収束する。それは、亜紀を陰ながらアシストする、弓子の存在なしではありえなかった。

そして、『義母と娘のブルース』

――以上、駆け足で家族ドラマの歴史を振り返ってきたが、いかがだろう。
家族ドラマを見れば、自ずとその時代背景や、その時々の家族の抱える問題が見えてくる。それは、先の『義母と娘のブルース』でも同様でだった。

同ドラマ、血のつながらない親子の絆というフォーマット自体は、さして新しいものではなかった。これまでにも述べたように、過去に『池中玄太80キロ』や『マルモのおきて』でも繰り返されてきたテーマである。ただ――義母が"一流のキャリアウーマン"という設定は新しかった。女性が活躍できる社会を望む、現代社会を反映したものだ。

その設定は、亜希子の退職後も、家事や小学校の保護者活動、「ベーカリー麦田」でのパートでも発揮され、娘のみゆきは、そんな義母の背中を見て育つ。そう、背中を見て――ここがポイント。気が付けば、まるで亜希子のコピーのような口調になっているみゆきがいた。

そうなのだ。2人の関係は、向かい合って心を通わせるというよりは、共に同じ方角を向いて、親子で成長しながら"同化する"スタイルに近かった。縦の関係というより、現代風の横の関係を彷彿とさせた。
間違いなく――「義母と娘のブルース」は、多様化する21世紀の家族像の一端を投影したものだった。社会と共鳴するものだった。だから、お茶の間の深い共感を呼んだのである。

さて、次に来る家族ドラマは何だろう。

(完)

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なお、動画配信サービス「Paravi(パラビ)」では、10月3日(水)より『義母と娘ブルース』のディレクターズカット版を配信開始。テレビ放送版をさらに深めた内容を楽しめる。また、このほかにも多数の過去ドラマを配信中。

「義母と娘のブルース」(C)TBS (C)桜沢鈴/ぶんか社
「渡る世間は鬼ばかり」(C)TBS
「ずっとあなたが好きだった」(C)TBS
「ダブル・キッチン」(C)TBS
「となりの芝生」(C)TBS
「砂の塔~知りすぎた隣人」(C)TBS