火曜ドラマ『義母と娘のブルース』(TBS系)が最終回を迎えた。回を重ねるごとに視聴率を伸ばし、最終回でも有終の美を飾った「ぎぼむす」。なぜ『義母と娘のブルース』はこれほど支持を得たのか、その要因を読み解く。

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サイボーグ系主人公は、00年代以降のヒットドラマの鉄板キャラ

好評の第一の理由は、綾瀬はるか演じる主人公・岩木(宮本)亜希子のキャラクターだろう。メトロノームのように正確なリズムを刻む靴音。日常会話でもビジネス用語を多用し、謝罪のときは地面に顔がめりこむほどの土下座。子どものキャラ弁に勘違いして株価チャートを描いてしまう、四角四面だけど、愛さずにはいられない人物造形だ。

こうしたサイボーグ系キャラは、『ハケンの品格』『家政婦のミタ』(共に日本テレビ系)など、00年代以降における女性主人公ドラマのヒットの共通項。漫画的でわかりやすく、言動も痛快さがあるため周囲との間にドラマを起こしやすい。また、能面のようなキャラクターが、徐々に人間らしい感情を見せていく様子も感動を呼ぶ仕掛けとして効果的だ。ヒットの鉄板と言える、デフォルメの効いたキャラクター設定が、ライトな視聴者層を引きこんだ。

第二の理由が、よく比較される『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)のように、新しい家族の形を描いた点だ。とは言え、偽装結婚というテーマ自体は決して目新しいものではない。事実、桜沢鈴による原作は2009年より連載開始。9年も前に着手した題材だ。近年でも、同じく偽装結婚をテーマとした『偽装の夫婦』(日本テレビ系)などがある。では、なぜ『ぎぼむす』が多くの共感を得たのか。そこには、別の理由がある。

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キャラクターやストーリーにデフォルメは効かせても、メッセージに過剰さはない

『ぎぼむす』の中で、繰り返し出てくるフレーズがある。それが、「奇跡」だ。第1話の冒頭、宮本良一(竹野内豊)は自販機のルーレットで2回連続「7777」の当たりを引く。大の大人から見れば、2本分のドリンクがタダになったところで、そこまでオトクな話ではない。だが、良一は両手でガッツポーズをつくって大喜びする。良一は、普通の人たちが見過ごしてしまう「小さな奇跡」を見つける達人だ。

以降、『ぎぼむす』では頻繁にこうした「奇跡」が登場する。電車で向かいに座っている人たちの靴がみんな白だったという、日常の片隅にひそんだ「小さな奇跡」から、1枚の物件チラシがめぐりめぐって最終的に購入希望者のもとまで辿り着くという「奇跡の積み重ね」まで。内容は様々だが、そうした「奇跡」が観る人の心を温かくさせてきた。

この日常に根ざした、人肌感のある世界観が、2018年の空気にフィットした。先ほど『逃げ恥』を挙げたが、個人的にむしろそれ以上に強く彷彿とさせられるのが、『大家さんと僕』(新潮社刊)や『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』(幻冬舎刊)だ。どちらも人間関係が希薄と言われる現代社会で、血縁のない赤の他人との結びつきや共同生活を描いたもの。多くの読者がこうした素朴な関係性に憧れの声をあげている。

『大家さんと僕』然り『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』然り、その筆致は極めて平温。取り上げる話題も地味で、何てことはないことばかりだ。でも、それがいい。私たちは今、派手な感動を求めてはいない。「感動ポルノ」という言葉があるように、「弱者」と大別される人たちを過剰に煽り立てることで感動や悲劇を強調する演出方法は今や批判の的。美談を鼻白むのが現代社会の風潮だ。

『ぎぼむす』も、良一の闘病という大きな事件はあるものの、描きたいのはあくまで悲劇ではなく、日常だ。娘との初めてのお買い物であったり、PTAのイザコザであったり、生活の延長線上にドラマを置いている。間口の広いテレビドラマゆえ、エンタメ性を高めるためにもキャラクターやストーリーにデフォルメは効かせているが、メッセージに過剰さはない。そこが、この独特の心地良さを醸成している。

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『ぎぼむす』の美学が集約された良一の死の描き方

その象徴と言えるのが、第6話だ。山場になるであろうと予想された良一の死については一切省略し、開始数分で良一を臨終させた。名キャラクターとして親しまれた良一だけに、その最期はいくらでも感動的に描けたはずだ。だが、『ぎぼむす』はそれをしなかった。

その代わり、良一の死を亜希子とみゆき(横溝菜帆)が受け止めるまでの描写に時間を割いた。死とは、その瞬間がドラマなわけではない。その死を周りの人たちがどう受け止めていくか、そちらの方がより大切なのだ、と言外に語っているようだった。

その描き方も絶妙だった。喪主として完璧に振る舞っていた亜希子が、みゆきとの抱擁を通じて悲しみの封を開け、壊れたように泣き続けるのだが、そんな亜希子の背中をみゆきと下山和子(麻生祐未)が笑ってさすっている。一緒にむせび泣くのではなく、微笑ましく寄り添う構図に、感動の押しつけではないセンスの良さを感じた。(蛇足だが、亜希子が号泣するきっかけになったのが、良一の上司の「みやもっちゃん、起きろ、会社行くぞ」という日常の言葉だったところも『ぎぼむす』らしい)

家族の死別というお涙頂戴的なテーマを扱いながら、『ぎぼむす』がウェットになりすぎず、ふんわりとした軽やかさを孕んでいる理由は、悲劇ではなく日常を描くという美学に集約されている。そして、この凜とした創作スタンスこそが、好評を得ている最大の理由だ。

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原作付きドラマの名手・森下佳子が発揮する当代随一のアレンジ力

『ぎぼむす』の脚本を手がけるのは、森下佳子。主演の綾瀬はるかとは、『世界の中心で、愛をさけぶ』『白夜行』『JIN-仁-』『わたしを離さないで』(すべてTBS系)と数々の名作を生み出してきた。いずれも『ぎぼむす』同様、原作付きの作品だが、森下佳子はこうした原作モノを独自のアレンジを加えてドラマ化する能力において当代随一と言っていい。

中でも白眉だったのが、綾瀬はるかの出世作でもある『世界の中心で、愛をさけぶ』だ。原作は、321万部突破のベストセラー。映画版も興行収入85億円の大ヒット。森下が手がけたのは、すでに一大ブームが起きている中でのドラマ化だった。

だが、ここで森下は素晴らしいアレンジ力を見せた。先行の小説、映画ではあくまで主人公の恋愛にのみフォーカスを当てていたところを、全11話のボリュームを活かし、「若い恋人たちとその家族の物語」として再構築した。

それをシンボリックに表したのが、第9話の家族写真のシーンだ。映画でも、刻一刻と死が近づくヒロインのために主人公は写真館を訪れるのだが、そこで撮ったのはふたりきりの結婚写真。対して、ドラマ版では家族や友人を巻き込み、さながら家族写真のような集合写真が撮影された。映画版とドラマ版の違いを明確に表した、胸を打つアレンジだった。

『ぎぼむす』でも森下佳子の絶妙なアレンジ力が効いている。最もわかりやすい例は、亜希子と良一とキスシーンだろう。原作では、偽装夫婦からスタートし、本当に心を通わせた亜希子と良一が病床で唇を重ねる。一方、ドラマでは第5話で病院から一時退院した良一を迎え、家族3人、初めて川の字で寝る。そこで亜希子と良一がくちづけを交わそうとするのだが、みゆきの寝相に邪魔されて断念。その代わり、夫婦そろってみゆきの頬にキスをするという、家族3人でのファーストキスとなった。このアレンジは家族の形を描くという『ぎぼむす』のテーマにピッタリで、何よりも実際に唇を合わせるよりもずっとロマンティックで微笑ましい、さり気なくも心に残る名シーンとなった。こうした森下佳子の脚本術が、ドラマを光らせていることは間違いない。

パン屋の店主・麦田章(佐藤健)、成長した幼なじみの黒田大樹(井乃脇海)を巻き込み、宮本家はどんな家族の形を提示したのか・・・。全話の放送が終わった「ぎぼむす」だが、「小さな奇跡」をもう一度ご覧になりたい方はパラビでぜひ。

(C)TBS (C)桜沢鈴/ぶんか社