21世紀流の家族ドラマ『義母と娘のブルース』

人はそれを「鉄板のトライアングル」と呼ぶ。

この7月クールの連続ドラマで、TBSの『義母と娘のブルース』が平均二桁視聴率と、クールの中でもトップグループを快走している。さもありなん。同ドラマは主演・綾瀬はるか、脚本・森下佳子、演出・平川雄一朗と、かつての『世界の中心で、愛を叫ぶ』や『白夜行』、『JIN-仁-』などと同じ座組――いわば、鉄板のトライアングルである。面白くないワケがない。

物語は、数年前に妻を亡くした良一(竹野内豊)が男手一つで育てる一人娘・みゆき(横溝菜帆)の前に、ある日、一人のキャリアウーマンが現れるところから始まる。彼女の名は亜希子(綾瀬はるか) 。大企業の営業部長である彼女は、どんな難攻不落のクライアントも落とす、人呼んで"戦国部長"。みゆきの新しい義母になる女性であった―。

――と、再婚する2人の馴れ初めもプロポーズもすっ飛ばして、いきなり義母と娘の出会いから始まるのが、同ドラマの特色である。家族ドラマだけど、色々と謎の部分も多い。それは物語が進むにつれ、徐々に明らかになる。原作は桜沢鈴さんの4コマ漫画。4コマを連ドラに脚色する森下さんの筆力も相当なものだが、改めて原作を読むと、ちゃんと笑って泣けるエッセンスが凝縮されており、原作と連ドラ、どちらも素晴らしいと分かる。

正直、家族ドラマは過去に様々なパターンがやり尽くされた感があり、『義母と娘のブルース』も始まる前はどうなるものかと思ったが、2009年という舞台設定や、高校生に成長したみゆき(上白石萌歌)の回想ナレーションから始まる仕掛けに引き込まれ、自然とその先(現代)を見たくなった。ちょっとミステリーの要素もある、ストーリーテリングに長けた21世紀流の家族ドラマである。

――そんな次第で、少々前置きが長くなったが、今回は「家族ドラマ」の歴史を紐解きたいと思う。それはいつ始まり、どのような進化を経て、そして現代に至るのか。家族ドラマの歴史を学ぶと、『義母と娘のブルース』がもっと面白く見えてくる。そう、故きを温ねて新しきを知る――。
では、参りましょうか。

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テレビ前史に存在した家族ドラマ

意外に思われるかもしれないが、日本初のテレビドラマは、家族ドラマだった。それも――テレビ局が開局する遥か前、戦前の話である。

時に、太平洋戦争を翌年に控えた1940年4月。"日本のテレビの父"こと高柳健次郎博士(世界で初めてブラウン管に「イ」の文字を映し出した人です)の提案で、NHKで日本初のテレビドラマの実験放送が行われることになった。砧にある放送技術研究所のスタジオで撮影し(生放送である)、それを内幸町の東京放送会館や、上野の産業会館に設置された受像機に送るという。

ドラマのタイトルは『夕餉前』。脚本はラジオドラマ『ほがらか日記』などを手掛ける伊馬鵜平(のちの伊馬春部)が担当し、キャストには新協劇団の原泉、野々村潔、関志保子の3人が選ばれた。母・息子・娘の3人家族の一幕劇で、娘の縁談がまとまり、明日から嫁ぐことになった夕餉前のひと時を描いたものである。

正味12分間の生放送はNGもなく、無事に終わったが、思わぬアクシデントが起きる。時の逓信大臣、田辺治通が放送会館に到着するのが遅れ、本番を観覧できなかったので再演してほしいという。だが、当時の照明は強烈に熱く、控え室に引き上げたばかりの出演者たちは汗だくで、髪は今にも焦げそうだった。とはいえ、放送行政のトップの命令には逆らえない。
結局、日本初のテレビドラマは、その日のうちに再放送が行われたのである。

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日本人が憧れたアメリカのホームドラマ

話はそれから一気に戦後に飛ぶ。
1953年にNHKと日本テレビの2つのテレビ局が開局すると、いよいよ日本のテレビ時代が幕開けた。しかし、黎明期の日本のテレビ界は番組の供給が追い付かず、アメリカからドラマを輸入しては、よく放送していたという。

中でも人気を博したのが、ホームドラマだった。ホームドラマとはある一家が舞台で、些細な日常を明るく、コミカルに描いたシットコムである。『パパは何でも知っている』(日テレ系)、『うちのママは世界一』(フジ系→TBS系)、『パパ大好き』(フジ系)、『アイ・ラブ・ルーシー』(NHK→フジ系)、『じゃじゃ馬億万長者』(日テレ系)、『奥さまは魔女』(TBS系)、『ニューヨーク・パパ』(フジ系)――など、リアルタイムでなくとも、再放送やDVDなどでご覧になられた方も多いだろう。

当時、日本の視聴者はこれらのホームドラマを見て、アメリカの裕福な暮らしに憧れた。大きな冷蔵庫、モダンなキッチン、広いリビング、そして自家用車――劇中にはアッパーミドルな白人しか登場せず、人々は皆、明るく陽気だった。まだアメリカで公民権運動やベトナム戦争が泥沼化する前の時代である。

一説には、これらのホームドラマは、アメリカ政府による日本の親米化教育の一環で、戦略的に破格の安値で提供されたと言われる。事実、戦後の日本人は急速にアメリカナイズされていった。

日本のホームドラマの夜明け

さて、そうこうするうち、日本のドラマ作りも徐々に進化し、アメリカのドラマに引けを取らない人気を得るようになった。その中心にいたのが、赤坂の局舎に東洋一のマンモススタジオを抱える「ドラマのTBS」である。

1960年代半ば、日本のドラマ界にもホームドラマの波が押し寄せる。小市民的平和な暮らしを明るく描いたホームドラマは子どもからお年寄りまで一家揃って楽しめ、視聴率も高く、スポンサーにとっても魅力的なコンテンツだった。その扉を開けたのは、TBSの2つのドラマだった。

1つは森繁久彌主演の『七人の孫』、もう1つは山村聰主演の『ただいま11人』である。いずれも放送開始は1964年。大家族のほのぼのとした日常を描いた点でも共通していた。前者は脚本家の向田邦子や演出家の久世光彦を輩出し、後者は石井ふく子プロデュースのもと、脚本家・橋田壽賀子の出世作となった。

70年代前半はホームドラマ全盛期

そして、時代は70年代に入り、いよいよ空前のホームドラマブームが訪れる。その中心にいたのが、民放ドラマ史上最高視聴率を記録したTBSの『ありがとう』である。この記録は、今もなお破られていない。プロデュースは前述の石井ふく子、脚本は平岩弓枝である。

同ドラマ、とにかく出演者が豪華だった。主演は、石井ふく子Pがトイレまで追いかけまわして口説いた時の大スター水前寺清子。共演に――石坂浩二、山岡久乃、長山藍子、児玉清、沢田雅美、奈良岡朋子、佐良直美、岡本信人、井上順、大空真弓、佐野浅夫、新克利、音無美紀子、草笛光子、坂上忍――とまあ、とにかく当時の売れっ子たちが一堂に集結した。毎回、彼らの近況を一通りなぞるだけで、1時間が過ぎたものだった。

時代は高度経済成長期。ドラマは時代の鏡というが、平和で明るい時代を反映して、ドラマも平穏そのものだった。

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もう一方の雄、久世演出の『時間ですよ』

当時のTBSが優れていたのは、決して石井ふく子Pの一人勝ちにはしなかったこと。その対抗軸として、久世光彦という稀代の演出家も局内に共存したのである。石井Pが王道なら、奇才・久世Dはいわば覇道。その代表作が『ありがとう』と同時代に放映され、大ブームを巻き起こした異端のホームドラマ『時間ですよ』である。

メインライターは向田邦子。銭湯の松の湯を舞台に、女将さん役の森光子を筆頭に、船越英二、松山英太郎、松原智恵子らが家族を演じ、そして従業員役で、堺正章・悠木千帆(現・樹木希林)・浅田美代子の3人が「トリオ・ザ・銭湯」と呼ばれ、コメディリリーフとなった。王道の「ありがとう」と異なるのは、下町の人情劇がベースながら、ギャグやドタバタ、更には毎回のお約束の女湯のヌードシーンなど、徹底した攻めの姿勢だったこと――。

この水曜9時の枠は「水曜劇場」と呼ばれ、その後も久世演出の異端のホームドラマが続いた。作曲家で、演技経験ゼロだった小林亜星を主役に抜擢したドタバタ系ホームドラマの『寺内貫太郎一家』に、郷ひろみと樹木希林の絶妙のコンビワークで「林檎殺人事件」なる挿入歌まで出したコメディ全開の『ムー』の続編『ムー一族』等々――。

1970年代前半から半ばにかけ、TBSは石井ふく子Pと久世光彦Dの両輪が回転して、ホームドラマ全盛期を謳歌したのである。

日テレは石立鉄男のシリーズ

一方、TBSほどではないにしても、70年代にスマッシュヒットを飛ばしたホームドラマは他局にもあった。例えば、日本テレビの石立鉄男主演のユニオン映画制作のシリーズもその1つ。『おひかえあそばせ』『気になる嫁さん』『パパと呼ばないで』『雑居時代』――等々である。

メインライターは松木ひろし。同シリーズの構造は、ストーリーは違えども大体同じで、ひょんなことから一家の中に外部から新顔が加わり、諸事情から一つ屋根の下で家族同然に暮らすというもの。そこで巻き起こる騒動をコメディタッチで描いたホームドラマである。

一つ屋根の下に暮らす男女が最初は反発し合いながらも、やがて惹かれ合うプロットは、その後、様々な派生ドラマを生み、近年ではあの『逃げ恥』にも生かされている。その意味でも、同シリーズがドラマ史に果たした役割は大きい。

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ホームドラマに変化の波

しかし――そんな風に70年代に入って全盛期を迎えたホームドラマだが、1973年にオイルショックが起きると、日本経済は高度成長に急ブレーキがかかる。そして以後、低成長時代へとシフトする。それに合わせるかのように、社会を取り巻く様々な歪みも噴出した。

ホームドラマも例外ではなかった。70年代後半、それまで明るく平和な小市民の幸せを描いてきたホームドラマに、変化の波が訪れる。それは家族の在り方を問い直すものだった。鍵はリアリティである。

そう、ホームドラマの時代は終わりを告げ、リアルな家族ドラマの時代が幕開けようとしていた。奇しくもそれは、2人の大物脚本家によってもたらされる。橋田壽賀子脚本の『となりの芝生』(NHK)、そして山田太一脚本の『岸辺のアルバム』(TBS系)である――。

(中編へつづく)

『義母と娘のブルース』 (C)TBS (C)桜沢鈴/ぶんか社
『時間ですよ』『岸辺のアルバム』 (C)TBS