前回のこのコラムは、「"非実力派"と名乗った彼女が、そろそろ自分の"実力"に気づいたのが『ザ・森高』の頃かもしれません」という文章で終わりました。では、『ザ・森高』から『ROCK ALIVE』へは、どんな変化があったのでしょう。ちなみに、前者は1991年で後者は1992年。たった1年間しか経っていません。

しかし、大きな変化です。デジタル指向からアナログ指向へと、大胆に舵を切るのです。具体的には、コンピューターを駆使したダンス・ミュージック(ユーロビート)から、生のバンド演奏が主体のものとなりました。『ROCK ALIVE』の"ROCK"とは、ある意味、そのことを指し示している言葉とも受け取れます。

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出来る限り彼女自身も、演奏に参加しようとしました。これは大きなポイントです。そのことで、ファンは森高千里という存在を、より身近に感じたのですから。ギターを練習し、ステージで初めて披露したのがこのツアーの時。まさにタイトル曲「ROCK ALIVE」が、そんな作品です。しかも、コ-ド進行をそのまま歌詞にしてしまうという、それまで誰も思いつかなかった発想のものだったのでした。今回、2017年10月11日(水)にZepp DiverCity (TOKYO)で行われた再現ライブでも、この場面は大いに盛り上がりました。

さきほど"ROCK"という言葉を出しましたが、さらにジャンルにこだわらないレパートリーとなったのも特色で、「酔わせてよ今夜だけ」は、彼女が作詞作曲した演歌です。コメンタリー収録でも、作曲秘話を伺ってます。一方、ライヴでは続いて歌われた「THE BLUE BLUES」は、ジャジーで大人っぽいナンバーでした。演歌からジャズと、曲調がと変化すれば、ステージ衣装も変化します。そんな見どころもたっぷりあったツアーだったのですが、再現ライブでは、当時の映像もスクリーンに映しつつ、伝わりやすい演出となっていました。

もはや伝説と言えるのが「17才」でしょう。森高千里といえばミニ・スカート。そんな代名詞が生まれたのは、この曲のパフォーマンスからでした。もちろんコメンタリーでは、じっくり話を伺っています。ただ、これは「17才」に限らず全体的に言えるのですが、彼女は何事も、無理に"狙ったりはしてない"のです。自分の気持ちに素直にパフォーマンスしたことが、好結果につながっているのです。そのあたりのことが、今回、改めて確認出来た気がします。

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人気の裾野が一気に広がっていったのもこの時期で、ツアー日程にも表われています。ソロの女性アーティストがひとつのツアーで全都道府県制覇を成し遂げたのは、実は『ROCK ALIVE』の森高千里が初だったのです。私は1992年当時、このツアーの地方公演へも出かけていって取材していますが、白地図を持参して、ひとつ公演が終わるごとに塗りつぶしていた彼女のことを覚えていたので、そんな質問もしてみました。

そしてもちろん『ROCK ALIVE』といえば、一番有名なのは「私がオバさんになっても」なのですが、Zepp DiverCity (TOKYO)でのお客さんたちも、イントロが鳴った瞬間から、すごい熱狂ぶりでした。そしてこの曲が誕生する時も、無理に"狙ったりはしてない"のが彼女なのです。どのようなことを語ってくれたのかは、実際に番組をご覧ください。

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最後に。今回、個人的に嬉しかったのは、私自身が彼女の全作品のなかで大好きな曲のひとつと言える「見つけたサイフ」について聞けたことでした。これぞまさに、唯一無二、無敵の森高ワールド全開の曲なのです。

(C)Paravi

1980年代初頭より音楽に関する執筆を開始し、現在に至る。主なア-ティスト関連書籍に小田和正、Mr.Children、槇原敬之、森高千里、などのものがある。また、J-POPの歌詞を分析した評論集、自らピアノ・レッスンを体験したドキュメンタリ-なども上梓した。現在、歌詞検索サイト「歌ネット」ほかで連載コラムを執筆中。