歴代5位を保持する『ハリー・ポッターと賢者の石』
日韓共同開催となったサッカーW杯に日本中が湧いた平成十四年。5月31日から6月30日まで開催されたアジア初の大会で、フィリップ・トルシエ率いる"トルシエ・ジャパン"はベスト16入りを果たす快挙を成し遂げた。その同じ年の9月。当時の総理大臣・小泉純一郎が、日本の首相として初めて北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を電撃訪問している。金正日総書記長(当時)が日本人拉致問題を公式に認めたことで、それまで「憶測」や「捏造」と拉致問題に対して否定的な見解を示していた一部マスコミも姿勢を変え、国民の関心も高まることに。チャーター機で帰国した5人の拉致被害者たちがタラップから降りてくる姿は、拉致事件が現実だったことに"リアリティ"を与える力強さを伴っていた。家族との涙の再会。その映像は、映画の演出が生み出す"リアリティ"なるものが、筆者にとってなんであるかを考えさせるものでもあった。
W杯のほかにも平成十四年には、アメリカのソルトレイクシティで冬季五輪が開催されている。スポーツによる平和の祭典は、前年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件の傷痕を癒すには至らず、インドネシアで起こったバリ島の爆弾テロでは202人の命が、ロシア・モスクワで起きた武装勢力による劇場占拠事件では129人の命が(犯行側の死者数は含まない)失われた。悲惨な事件が国際的に続く中で、世界の映画興行で快進撃を続けていたのが、前回も御紹介した『ハリー・ポッター』シリーズだった。
【2002年洋画興行収入ベスト10】
1位:『ハリー・ポッターと賢者の石』・・・203億円
2位:『モンスターズ・インク』・・・93億7000万円
3位:『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』・・・93億5000万円
4位:『ロード・オブ・ザ・リング』・・・90億7000万円
5位:『スパイダーマン』・・・75億円
6位:『オーシャンズ11』・・・69億円
7位:『メン・イン・ブラック2』・・・40億円
8位:『I am Sam アイ・アム・サム』・・・34億6000万円
9位:『サイン』・・・34億円
10位:『バニラ・スカイ』・・・33億2000万円
1997年にイギリスで出版されたJ・K・ローリングの小説「ハリー・ポッターと賢者の石」は、1999年(平成十一年)に日本でも出版され、累計発行部数508万部を突破。初版が2.7万部であったことを考慮すると、いかに爆発的な売れ行きであったかを窺わせる。ちなみに日本における全7巻の累計発行部数は2360万部、金額にして651億2300万円になる。このシリーズは73の言語に翻訳されたように、映画版も世界中で大ヒットを記録。興行データが示すように、日本でも『モンスターズ・インク』(01)の倍以上という興行収入を稼ぎ出す記録的なヒットとなっている。ちなみに203億円という数字は、洋画と邦画を合わせた日本の歴代興行収入で現在も第5位という記録を保持している。
『ハリー・ポッターと賢者の石』のヒット要因
『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)のヒットには、複合的な要因がある。勿論のことながら、ひとつは原作小説が世界的なベストセラーであり、映画の公開前から作品の知名度が抜群であった点にある。ふたつ目は、<超拡大公開>という公開規模が後押しをしたという点。ここには、平成五年(1993年)にワーナー・マイカルのシネコンが日本に進出して以来、郊外型のショッピングモール内に併設された映画館が日本国内で急増したという経緯が関係している。シネコンの増加に比例して、上映可能なスクリーン数も増加する。そのため、話題となる映画が上映されるスクリーン数も、自ずと増加傾向を示していた。
中でも、多くの動員を見込める夏休み映画や冬休み映画で、ひとつの作品を通常よりも多くの映画館で上映するという<拡大公開>が、<超拡大公開>と呼ばれるほどの規模になっていたのだ。例えば、それまではヒットを見込めるひとつの話題作を全国300スクリーンで上映していたのだが、<拡大公開>によって全国500スクリーンの規模で上映されるようになっていた。ところが『ハリー・ポッターと賢者の石』の場合は、当時史上最多となる858スクリーンの規模で上映されたのだ。
『ハリー・ポッター』シリーズの5作目にあたる、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(07)が公開された平成十九年。撮影済みフィルムを持ち込むため、いつものように現像所のあるイマジカへ訪れた時の話だ。フィルムの色彩補正を行うタイミング作業の担当者に社内へ通された折、フィルム缶を梱包したコンテナが廊下に積み上げられ、その山が通路の奥まで並んでいるという異様な光景を目撃したことがあった。現像所で働く友人とたまたま再会し、そこで教えてもらったのは、それが全て『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の上映プリントだという話だった。映画のフィルムは、1巻でだいたい10〜15分程度の長さしかない。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の上映時間は138分なので、1巻15分だったと計算するとフィルムが10巻分必要となる。それを全国800スクリーン以上に届けることを想像すれば、目撃した膨大な数のコンテナの状態を推し量ることができるだろう。
話を戻す。作品を上映するスクリーンの数が増えれば、当然、作品に対する市場も増え、収益を増やせるチャンスとなる。つまり『ハリー・ポッターと賢者の石』がメガヒットとなった背景には、観客が作品を目にする機会が単純に増えたという点が大きく働いているのだ。ただし、この<超拡大公開>には欠点もある。全国どの映画館に行っても、複数のスクリーンをひとつの作品が占拠しているため、観客が分散するというリスクがあるからだ。場合によっては、収益の落ちる劇場が現れる可能性も生まれるのだ。また、ひとつのシネコン内で<超拡大公開>作品以外の映画を上映する機会が減るため、映画ファンが観たいと思う映画の選択肢も減ってしまうことになる。話題作が爆発的なヒットとなる可能性がある一方で、当然、割りを食う作品も生まれる。イベント的な要素のない作品は、ひっそりと姿を消してしまうという危惧があるというわけなのだ。
同時多発テロの直後も観客は映画を求めていた
もうひとつの要因は、筆者を含めた様々な評者が、後になって分析したり論じた点にある。それは、前回「平成十三年」の締め括りに記した「観客はリアルな現実を描いた映画よりも、現実とはかけ離れた物語を好むようになったのではないか?」という考え方だ。
平成十四年の年間興行成績で第1位となった『ハリー・ポッターと賢者の石』の日本公開は平成十三年(2001年)の12月1日であるため、興行収入は翌年の平成十四年(2002年)分に計上されている。そして、続編である『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(02)は、平成十四年(2002年)11月23日に早くも公開。この2本と合わせて、第4位にランクインしているのが平成十四年(2002年)3月2日に公開された『ロード・オブ・ザ・リング』。北米では2001年12月19日に公開され、その続編『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』は北米で2002年の12月18日に公開されている(日本は翌平成十五年(2003年)2月22日公開)。
これらの公開データからは、『ハリー・ポッター』シリーズと『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズが、共に短い期間で続編を公開させている点を指摘できる。実際ふたつのシリーズは、異例の製作進行によって続編が撮影されたという経緯があるている。まず『ハリー・ポッターと秘密の部屋』は、『ハリー・ポッターと賢者の石』がアメリカとイギリスで公開された僅か3日後に撮影が開始されている。勿論、『ハリー・ポッター』がヒットすることを予想し、シリーズ化を目論んで何年も前から脚本を開発していたからこそ為せる技だ。そして『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの場合には、別の理由が存在する。莫大な製作費を抑えるため、この映画は三部作を同時に撮影しているのだ。そして世界配給の条件として、三部作全てを上映することを配給会社へ約束させている。つまり、観客が前作のことを忘れてしまったり、観客の作品に対する熱が冷めてしまわないうちに続編を製作・公開させた点も、ヒットの要因だと言えるだろう。
しかし筆者が指摘したいのは、公開日から考察される点にある。『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開されたのは、アメリカ同時多発テロから2ヶ月後のこと。『ロード・オブ・ザ・リング』も、僅か3ヶ月後に公開されている。テロの影響で様々な作品が公開延期になったり、製作が延期になったことについては前回の「平成十三年」で記した通り。ふたつの作品の興行的成功は、まだテロの傷痕が癒えていない状況下でも、人々が映画を求めていたことを窺わせる。"テロとの戦い"という、これまでにない社会の厳しい現実は、シリアスな事象を描いた映画を好んで観に行くようなことを躊躇わせただろう。クリスマスシーズンとはいえ、テロの数ヶ月後という時期なら尚更だ。そんな時に、よく知る原作で、親子揃って楽しめて、現実逃避させるに十分な作品を、観客が求めていたであろうことは想像に難しくない。そこに偶然、或いは、必然的に登場したのが『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』というふたつのファンタジーだったのだ。
勿論、この考察には反論もある。例えば、1960年代に『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)のように、主人公がラストで悲劇的な死を遂げるような<アメリカン・ニューシネマ>群が人気を博した時代。現実のアメリカ社会では、ヴェトナム戦争が泥沼化し、国内では公民権運動や学生運動が盛んになっていた。そんな時、観客はハリウッド映画が好んで描いてきた"ハッピー・エバー・アフター"="めでたしめでたし"な終幕を迎える映画を好まなくなったという経緯があった。つまり、厳しい現実を目の当たりにした時、人々は明るい映画よりも暗い映画を好むようになるのだ。このことは、第二次世界大戦前の時期にギャング映画やモンスターの登場するホラー映画が人気となったこと、或いは、『ジョーカー』(19)や『パラサイト 半地下の家族』(19)のように少し前なら「そんな暗い映画をわざわざお金を払ってまで映画館で見たくない」と言われていたような作品が、格差社会が如実になってきた日本でもヒットしていることと無縁ではない。それゆえ「テロの影響があるなら、暗い映画を好んだはず」との反論があるのだ。
だが、確実なのは、『ハリー・ポッターと賢者の石』が記録的なヒットとなった要因には、複数の理由が混在しているという点だ。この後、『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』の成功によって、人気ファンタジー小説を映画化するという企画が、大手映画会社のもとで乱立した時期があった。その中には『ナルニア国物語』シリーズや『ライラの冒険』シリーズなど、興行的な失敗から、巨費を投じながらも未完のままシリーズが中断した作品群も少なくない。興行的な数字と映画賞の受賞結果から導かれた私見では、『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』を超えるようなファンタジー映画シリーズは、未だ登場していない。このこともまた、平成十四年(2002年)でなければならなかったと見立てる理由のひとつでもある。現実のニュースが報じる"リアリティ"とは対極にあるように思える"ファンタジー"との均衡は、さらに後の評者が別の考察を行うかもしれない。しかし重要なのは、どんな厳しい社会的状況下でも、現実逃避のために「人々が映画を求めていた」ということだ。それは、新型コロナ禍の現状にある我々を鼓舞させはしないだろうか。
(映画評論家・松崎健夫)
【出典】
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2003年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)
・一般社団法人 日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2002.pdf ・興行通信社 歴代興行ランキング http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ ・公益社団法人 全国出版協会 https://www.ajpea.or.jp/column/data/20080808.html ・興行通信社 歴代興行収入 http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ ・『ハリー・ポッターと秘密の部屋』劇場パンフレット
- 1