人間は「節目」にこだわるもの
物事を時期の変わり目で区切る「節目」=「ふしめ」という言葉は、そもそも竹や木材における"節"の部分を指す。また「節目」=「せつもく」と読むことで、人生の岐路や転換期をという意味合いが強調される言葉でもある。暦が導く「節目」なるものは、人間が作り出したものだが、自然の摂理と無関係ではない。特に日本では、四季を基本にしながら暦上の「節目」を日常生活の中に取り入れている。そして、春夏秋冬が三ヶ月にバランスよく振り分けられているのも特徴だ。同様に、竹の"節"には不思議な法則がある。隣り合ったお互いの"節"と"節"同士の間隔が、自律的な規則に従って調節されているのだ。この微妙なバランスが、しなやかで強度を伴った竹の構造を導いているのである。もちろん、人為的なものではなく、自然に形成されたものだ。
前回、世紀末を迎えた1999年という「節目」について書いたが、平成十二年である2000年もまた、新たな年代を迎える「節目」だ。なぜ人間は、「節目」を大切にするのだろうか? 「かもめ」や「桜の園」の劇作家、アントン・チェーホフは「人生の大きな出来事は竹の節であり、"節"と"節"との間にある生活の連続こそが人生だ」と、人生のあり方を竹に例えた。しかし、2000年の年間興行成績を眺めてみても、明確な「節目」らしきものは見当たらないのだ。
【2000年洋画興行収入ベスト10】
1位:『M:I-2』・・・97億円
2位:『グリーンマイル』・・・65億円
3位:『パーフェクト ストーム』・・・36億円
4位:『トイ・ストーリー2』・・・34億5000万円
5位:『エンド・オブ・デイズ』・・・31億4000万円
6位:『ターザン』・・・28億円
7位:『ジャンヌ・ダルク』・・・22億円
8位:『スチュアート・リトル』・・・20億円
9位:『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』・・・19億9000万円
10位:『ファイト・クラブ』・・・19億8000万円
『M:I-2』(00)は、今なお新作が作り続けられているトム・クルーズ主演の『ミッション:インポッシブル』シリーズの第2作目。監督のジョン・ウーは『男たちの挽歌』(86)などの香港ノワール作品で世界中の映画ファンを熱狂させ、ハリウッドに招聘されたのち『ブロークン・アロー』(96)や『フェイス/オフ』(97)をメガヒットに導いていた時期。この頃、ジョン・ウーの他にも、リンゴ・ラム監督が『マキシマム・リスク』(96)で、ツイ・ハーク監督が『ダブルチーム』(97)で、さらにはチョウ・ユンファが『リプレイスメント・キラー』(98)で、香港出身の著名な映画人たちがハリウッドデビューを果たしている。
この背景には1997年7月1日に、香港がイギリスから中国へ返還されたことが関係している。中国の支配下になることに対する社会的な不安から、経済界だけでなく、映画界においても海外へ人材の流出を招いたのだ(ちなみに、ジョン・ウー、リンゴ・ラム、ツイ・ハークのハリウッド監督デビュー作は、全てジャン=クロード・ヴァン・ダム主演だったという共通点がある。彼の功績については、また別の機会に)。また、トム・クルーズは『マグノリア』(99)の演技によって、2000年に開催された第72回アカデミー賞で初となる助演男優賞候補となっている。
上記のベストテン外だが、15位には韓国映画『シュリ』(99)がランクインしている点も見逃せない。ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウ主演のテレビドラマ『冬のソナタ』が日本で社会現象になるのは2003年頃になってから。日本での興行収入18億5000万円、観客動員で約130万人を記録したこの映画は、今となっては韓流ブームがやってくる波を予兆させるヒットだったのだ。そういう意味では、2000年が韓流の起こる「節目」だったと言えるのかも知れない。
配給収入と興行収入の違いとは?
実は前回まで、その年の配給収入ベスト10データの最後には「※ 現在は興行収入として計上されているが、当時は配給収入として算出」という注意書きを毎回記していた。今回のデータを注視すると、<配給収入>ではなく<興行収入>と記述されていることに気付くだろう。つまり、2000年を「節目」に、それまで<配給収入>で算出されていた興行データが、<興行収入>に変わったのである。欧米における興行成績は<興行収入>で発表されていたことから、それに合わせる形になったのだが、このふたつにはどのような違いがあるのだろうか。
<興行収入>とは、簡単に言うと「観客が映画館に支払った入場料の総計」のことである。つまり、ある特定の映画を映画館へ観に行った(全国津々浦々老若男女によって構成される入場料金の異なる)観客が、その映画の入場料として映画館に払ったお金の合計、それがその映画にとっての<興行収入>となるのだ。これは作品毎に「入場料金×有料入場者数」で計算され、映画館での(基本的にはリバイバル上映などを含まない)新規公開期間の総収入が、その映画の興行成績(=興行収入)として公表されることになっている。
このうち、映画館の取り分と上映にかかる経費を差し引いた映画配給会社にとっての取り分を、1999年まで<配給収入>として発表していたのだ。そして<配給収入>には、配給会社の損益と映画製作者の損益が含まれていたことも特徴。そのため、単純には比較できないのだが、現在では<配給収入>の約2倍が<興行収入>になると考えられている。映画を映画館へ供給する配給会社と映画館を経営する興行会社との契約形態にもよるのだが、<興行収入>のおよそ半分が映画館の取り分となる、と言われているのはそのためだ。最初に予算(製作費)を集めて映画を製作する製作者が、映画館や映画配給会社による取り分を差し引いた最後の残りを報酬として手にするという業界の図式が、日本の映画界では成り立っているのだ。そして、<配給収入>から<興行収入>に変わったことで、「興行収入○○億円突破!」などと映画の儲けが数字の上では大きく見えるという効果が生まれている。もちろん、実際には増えているわけではない。
また、時代の「節目」であったのではないかと思わせる事象は、映画興行以外の点においても指摘出来る。そのひとつが、2000年11月1日にAmazonが日本版サイトをオープンさせたこと。当時のAmazonは書籍のみの取り扱いで、「在庫がない本だけでなく、絶版になった本であっても古書として入荷した時にはお知らせが来る」という、当時としては斬新なサービスを目当てに、筆者は割と早い時期に登録したという思い出がある。当時はまだ地方に住んでいたため、古書を手に入れるのは、東京で暮らすようになった現在よりも困難だったからだ。そんな経緯もあり、その頃は、Amazonがまさかこのような規模の企業に成長するとは、思いもよらなかったのだ。
さらに、携帯電話にカメラ機能が備わったのも2000年の出来事(※厳密には1999年に先行してPHSにカメラ機能を搭載させたのが最初だと言われているが、PHS のサービスが2021年に終了予定であることから、がここでは"携帯電話"にカメラ機能が搭載されたことを起点とする)だった。撮影した画像をメールで送信できる「写メール」の登場は、カメラ業界に脅威を与えただけでなく、"一億総カメラマン化"を導く起点にもなった。スマートフォンのアプリと比較すると、その機能には隔世の感がある。携帯電話やスマートフォンのカメラを、パパラッチのように所構わずかざす人々の姿など、当時は想像も出来なかったからだ。そうやって時代を俯瞰すると、2000年というミレニアム・イヤーは「やはり時代の"節目"だったのかも知れない」と思わせるのだった。
(映画評論家・松崎健夫)
【出典】
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2001年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)
・「広辞苑 第7版」(岩波書店)
・一般社団法人 日本映画製作者連盟
http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2000.pdf
・ケータイWATCH 「J-SH04」
https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/504.html
・KDDI 用語集「写メール」
https://www.kddi.com/yogo/モバイル/写メール.html
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