平成六年の興行はアニメーションが支えた
「ふたつで充分ですよ」
『ブレードランナー』(82)の冒頭に登場する屋台の親父が、日本語で放つ有名な台詞だ。「いや、4つだ」と突っぱねるハリソン・フォード演じるデッカードと押し問答になった屋台の親父は、それでも「ふたつで充分ですよ」と引き下がらない。不満げなデッカードは「うどんも」と追加で注文、すると店の親父は「わかって下さいよ」と引き下がるのだ。この「4つ」や「ふたつ」が、果たして何を指すものであるのかは、『ブレードランナー』ファンの間で長年の謎となっていた。
ところが後年、『ブレードランナー』のワークプリント版と呼ばれる、映画の公開前に観客の反応を見るために行われた試写のみで上映されたヴァージョンが、DVD-BOXに収録された。そこには、「ふたつで充分」なのが何であるかが、ハッキリと画面の中に映り込んでいたのだ。そして、それを観た多くの『ブレードランナー』ファンはこう思った。「ふたつどころか、ひとつで充分ではないか?」と。その正体が何であるかは、実際に本編をご覧頂くとして・・・今回は、本来ひとつだったものがふたつになり、「ふたつで充分」だったのに、ついには三つになってしまったという映画のお話。
【1994年邦画配給収入ベスト10】
1位:『平成狸合戦ぽんぽこ』・・・26億3000万円
2位:『ゴジラVSメカゴジラ』・・・18億円7000万円
3位:『男はつらいよ 寅次郎の縁談/釣りバカ日誌6』・・・15億7000万円
4位:『94春 東映アニメフェア』・・・14億5000万円
5位:『ドラえもん のび太と夢幻三剣士/他』・・・13億5000万円
6位:『ヒーローインタビュー』・・・13億4000万円
7位:『美少女戦士セーラームーンR/他』・・・13億
8位:『RAMPO <奥山バージョン>』・・・12億円
9位:『94夏 東映アニメフェア』・・・11億2000万円
10位:『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』・・・10億7000万円
(※現在は興行収入として計上されているが、当時は配給収入として算出)
1994年の映画界を総括した「キネマ旬報1995年2月下旬決算特別号」には、日本映画の見出しとして"アニメーションに助けられた一年"と書かれてある。配給収入のベスト10を参照すれば判るように、ヒット作が前年以上にアニメーション作品で占められ、大人を対象とした作品で高成績をあげたものが殆どなかったからだ。当時、大ヒットのラインとなる10億円を稼いだ作品は10本だったが、実にその内の6本がアニメーション作品。前年の4本から増加し、子どもをターゲットにしなければ、映画のヒットは難しいという時代を迎えていた。
その中で異彩を放っていたのが、日本映画年間配給収入の8位にランクインした『RAMPO<奥山バージョン>』(94)。当時のポスターには、<映画誕生百周年記念作品/松竹株式会社創業百周年記念作品/江戸川乱歩生誕百周年記念作品>と記載されていることからも判るように、作家・江戸川乱歩による複数の短編を基にしたこの映画は、松竹にとって記念すべき作品だった。<奥山バージョン>とは、監督の奥山和由のこと。1979年に松竹へ入社した奥山和由は、平成に入ってから『その男、凶暴につき』(89)で北野武、『無能の人』(91)で竹中直人を監督デビューさせるなど、異業種の才能を登用しつつ、映画・テレビ・出版・音楽などを絡めたメディアミックスの興行形態で、先駆的な実績を積んだ人物。35歳の若さで取締役になった彼は、1992年には常務となるスピード出世を果たしていた。その奥山和由の初監督作品が、『RAMPO<奥山バージョン>』だったのだ。
なぜ映画には複数のヴァージョンがあるのか
ある頃からか、映画には複数の"ヴァージョン"が存在することを、映画ファンたちは悟るようになった。例えば、映画を撮影し、編集してみたところ、作品の完成度に対して監督が難色を示し、「作品から名前を外して欲しい」というような騒動になったことから、<アラン・スミシー>なる偽名が使われるようになった、とか。或いは『未来世紀ブラジル』(85)の編集を巡って「テリー・ギリアム監督が映画会社と闘っている」などという噂を耳にする。そんな映画製作上のトラブルを見聞きするうちに、何となくではあるけれど「映画が完成することに対する権限というものは、映画監督にあるのではなく、映画プロデューサーの側にあるのではないか?」と素人ながら悟っていくことになったのだ。
今でこそ、<ディレクターズ・カット>なるヴァージョンがDVDなどで発売され、劇場公開されたヴァージョンとは異なる、監督が意図したヴァージョンの映画が、一般の観客の目にも触れるようになっている。例えば、前述の『ブレードランナー』ワークプリント版もそのひとつに挙げられる。1980年代後半に筆者が初めてアメリカへ渡った際、『ブレードランナー』のビデオを探し回った思い出がある。実は、日本公開版、アメリカ公開版、さらにはビデオで発売されたヴァージョンとでは上映時間に1分の違いがあり、映像を比較することで、その違いを確かめたかったのだ。後に『ブレードランナー』は、1992年に『ディレクターズ・カット/ブレードランナー 最終版』というヴァージョンが日本でも劇場公開された。82年に公開されたヴァージョンにあったはずのデッカードによるモノローグが全て削除され、エンディングのくだりが短縮されるなど、作品の印象がかなり異なるものだった。
<ディレクターズ・カット>とは、撮影された素材を監督の権限の範囲内で編集したヴァージョンのことを指す。この言葉自体は映画業界の専門用語だったため、そもそも一般観客が知るような用語ではなかったという経緯がある。フローとしては、<ディレクターズ・カット>から<最終編集権>を持つプロデューサーの権限で再編集を行なった<ファイナル・カット>というヴァージョンが作られ、これが完成版として劇場で一般公開されるという流れがある。それゆえ、元々は未完成ヴァージョンの名称だった<ディレクターズ・カット>という言葉が、『ブレードランナー』をきっかけに"本来、監督が意図したヴァージョン"という意味に変化したことはとても興味深い。
もうお分かりだろう。『RAMPO』に<奥山バージョン>と記されている理由、それは、複数のヴァージョンが存在するからである。そもそも奥山和由は、黛りんたろうが監督する『RAMPO』のプロデューサーだった。ところが、作品の完成度に不満を持った奥山和由は、自ら監督することで全体の7割を撮り直し、映画を再編集したのだ。<黛バージョン>は93分、<奥山バージョン>は97分、この"ふたつ"のヴァージョンは1994年6月25日に同日公開された。<奥山バージョン>のチラシには、"RAMPOには2つのバージョンがあります。ご覧になった半券の裏に劇場で押印戴き劇場へご提示ください。別バージョンが¥1000でご覧戴けます。"と記載されている。『RAMPO』は騒動の末、ふたりの監督、ふたつのヴァージョンで上映され、さらには映像に"サブリミナル効果"があること、フェロモン入りの香水が上映中に散布されることなどが謳われ、結果的に世間の話題をさらうこととなった。
トラブルの中で生まれた複数のヴァージョンが興行を盛り上げた
劇中、三浦友和演じるプロデューサーが、「いいですか、映画っていうのは、監督に作家権が発生する、俳優には肖像権が発生する」と説明する場面がある。何とも意味ありげなのだが、『RAMPO』は<黛バージョン>と<奥山バージョン>だけでなく、1995年には『RAMPO <インターナショナル・バージョン>』(95)なるものも公開されている。これは、ごく個人的な感想だが、どのヴァージョンが好みなのかと聞かれれば、迷わず『RAMPO<インターナショナル・バージョン>』を推す。<奥山バージョン>に未公開場面を加えて100分に再編集、さらに千住明によるスコアが追加されたこのヴァージョンでは、羽田美智子の妖しい美しさが際立っている。千住明が作曲した、まるでラフマニノフのような旋律は、『ある日どこかで』(80)で女優のエリーズを演じたジェーン・シーモアの登場シーンを想起させるほど優雅で郷愁に満ちているのだ。
平成六年の流行語のひとつは、奇しくも「すったもんだがありました」だった。これは、宮沢りえが缶チューハイのCMで放った台詞。前年に婚約していた貴乃花(当時)とスピード破局したことを自嘲したものだが、政局の混沌という時代の空気は映画興行とも合致していたのだ。さらにもうひとつ、ドラマ『家なき子』で主人公を演じた安達祐実の「同情するなら金をくれ!」も平成六年度の流行語大賞になっている。奥山和由は『RAMPO』の騒動から「映画界を辞めるつもりだった」と後のインタビューで述懐。もちろん、同情からお金が集まった訳ではないが、『RAMPO<奥山バージョン>』は、<一般映画制限付(R指定、現在のR15+指定)>という年齢制限がありながら、配給収入12億円のヒットを記録。作品は世界各国の映画祭に招待され、サミュエル・ゴールドウィン社の配給で全米公開を果たしている。
さらに、平成六年の社会的な話題といえば、日本人初の女性宇宙飛行士の誕生。向井千秋さんがスペースシャトル・コロンビア号に搭乗し、「宇宙から地球を見てみたかった」という夢を叶えただけでなく、日本人女性の国際的な活躍を牽引する意味でも大きな一歩となった。そう言えば、女性宇宙飛行士が活躍する映画の中に、こんな台詞があった。天文学者で作家のカール・セーガンによるSF小説をロバート・ゼメキス監督が映画化した『コンタクト』(97)の後半、テロによって移動装置が施設もろとも爆破される場面がある。ところが、ジョディ・フォスター演じる主人公は失意の中で、北海道で極秘に並行建設されていた施設の存在を知ることになるのだ。その時、彼女のスポンサーだった富豪はこう語る。
「2つ作れるなら、ついでに作れ」
映画の台詞というものは、何とも示唆に富んでいる。
(映画評論家・松崎健夫)
出典:
・ 「キネマ旬報ベスト・テン85回全史1924−2011」(キネマ旬報社)
・ 「キネマ旬報 1995年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・ 「プロデューサーの精神」(実業之日本社)
・ 「平成カルチャー30年史」(三栄書房)
・ 一般社団法人日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/1994.html
・奥山和由と映画vol.3 https://www.nekkyo-sengen-movie.com/notes/420/
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