平成三年は、誰もが愛を歌った
平成から令和へと移行する大型連休の長いトンネルを抜け、ゴールデンウィークの映画興行は『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)や『名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)』(19)が首位を争うなど、例年以上の盛り上がりを見せている。そもそも<ゴールデンウィーク>は、映画業界が生み出した言葉。1951年に公開された『自由学校』がヒットしたことを由来とする。高峰三枝子主演の松竹版、小暮実千代主演の大映版が5月の連休に同時公開され、双方がヒット。大映の専務だった松山英夫が、ラジオの聴取率の高い時間帯を<ゴールデンタイム>と呼んでいるのに倣って<ゴールデンウィーク>と命名したといわれている。獅子文六の小説を映画化した『自由学校』は、しっかり者の妻とぐうたらな夫が主人公。戦後の"自由"という新たな価値観を基に、夫婦の"愛"を描いた作品だった。
平成三年は"愛"に溢れていた。テレビでは『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』といったドラマの最終回が30%を超える高視聴率を記録し、その主題歌である小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」やCHAGE and ASKAの「SAY YES」(※1)はミリオンセラーとなり、「僕は死にましぇ~ん」という武田鉄矢の名台詞は新語・流行語大賞に選出(※2)。また、尾崎豊の「I LOVE YOU」は1983年の楽曲だが、この年のJR東海のCMに使用された。オリコンでは週間ランキングで5位となるリバイバルヒットとなり、この曲が一般的にも知られるきっかけとなったのだ(もともとは、アルバム「十七歳の地図」の収録曲だった)。そして極めつけは、KANの「愛は勝つ」だろう(※3)。"最後に愛は勝つ"と歌ったこの曲は、第33回日本レコード大賞を受賞。巷には"愛"を歌う曲で溢れていたのだ。
忘れてはならないのは、ZARDやSMAPがデビューしたのも平成三年だったということ。さらに、スピッツがメジャーデビューアルバムを発売したのも平成三年、翌年にはMr.Childrenがメジャーデビューを迎えるという時代だった。ミリオンセラーの足音が音楽業界に歩み寄り、やがてシングルCDが初週で100万枚を売り上げるような時代が到来する前夜だったのである。実は「愛は勝つ」は、1990年に発売されたKANの5thアルバム「野球選手が夢だった」に収録された一曲でしかなかったという経緯がある。大阪のFM局であるFM802がヘビーローテーションに選んだことで、急遽シングルカット。街中で繰り返し流れ、曲に対する熱気を感じたことを当時関西在住だった筆者は憶えている。
さらに「ラブ・ストーリーは突然に」もまた、シングル「Oh!Yeah!」のカップリング曲だった(※4)という経緯がある。つまり、これらのヒット曲は、レコード会社の思惑によって生まれたのではなく、一般の音楽リスナーによって育てられた曲なのだと言っても過言ではない。スピッツやMr.Children、ZARDやSMAPも、デビュー曲やファーストアルバムから爆発的に売れていたという訳ではない。まさにこの頃は、音楽の聴き手がアーティストや楽曲を発見し、支持する事でヒット曲が生まれるという時代だったのだ。
必ずしもヒットを期待された訳ではなかった『プリティ・ウーマン』
"愛"に溢れていたのは音楽業界だけではない。それはこの年の興行ランキングの中で、異例とも思えるヒット作の存在から読み取ることが出来る。
【1991年洋画配給収入ベスト10】
1位:『ターミネーター2』・・・57億5000万円
2位:『ホーム・アローン』・・・34億円
3位:『プリティ・ウーマン』・・・31億円
4位:『トータル・リコール』・・・24億円
5位:『ダンス・ウィズ・ウルブズ』・・・15億円
6位:『ゴッドファーザー PATRIII』・・・12億7000万円
7位:『バックドラフト』・・・11億3000万円
8位:『ロッキー5/最後のドラマ』・・・10億5500万円
9位:『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』・・・10億500万円
10位:『ロビン・フッド』・・・9億5000万円
3位の『プリティ・ウーマン』(90)は、実業家のエドワード(リチャード・ギア)と娼婦のヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)の恋のゆくえを描いた作品。クレジット上では、当時からスター俳優だったリチャード・ギアの主演作なのだが、いつの頃からか、この映画は「ジュリア・ロバーツの主演映画」と形容されるようになった感がある。「身分の格差を超えたシンデレラストーリー」という普遍的な"愛"の物語は、世界中の観客を虜にしただけでなく、老若男女がジュリア・ロバーツのキュートな魅力に恋をした映画でもあった。この時、彼女は既に『マグノリアの花たち』(89)でアカデミー助演女優賞の候補になるなど、ハリウッドでは「演技力を兼ね備えた若手女優」として注目を浴びる存在だった。しかし、日本ではまだ一部の映画ファンしか知らないという状況。アメリカでは1990年の3月に公開された『プリティ・ウーマン』は、全米だけで1億7840万ドルの興行収入を上げたメガヒット作品だったが、日本では不安視されていたことが劇場公開日から推し量れる。
『プリティ・ウーマン』が日本で公開されたのは、全米公開から9ヶ月も経過した1990年12月7日。お正月映画の一本として公開されたものの、ここまでのヒット作になるとは予想されていなかったのだ。同時期にお正月映画として公開されたアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『トータル・リコール』(90)やシルヴェスター・スタローン主演の『ロッキー5/最後のドラマ』(90)は、興行力のあるスターの主演作。また『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』(90)は人気作の続編で、それぞれ1991年の配給収入ベストテンにランクインしているヒット作だ。リチャード・ギアの主演作とはいえ、『プリティ・ウーマン』のヒットがいかに異例なことであったのかということは、興行データが物語っている。つまり、ジュリア・ロバーツも"観客が発見し、支持した"スターだったのである。
1991年(平成三年)に入ると、2月に『フラットライナーズ』(90)が、4月には『愛がこわれるとき』(91)が公開されるなど、ジュリア・ロバーツの出演作が相次いで公開。12月のお正月興行でも、白血病を患う富豪の息子との恋愛を描いた主演作『愛の選択』(91)が公開され、1991年は1年間で4本もの"ジュリア・ロバーツ映画"が上映されるという怒濤の状況となった。さらに1992年に公開された『フック』(91)は、「ピーターパン」の後日譚をスティーヴン・スピルバーグ監督が描いた話題作。ジュリアがティンカー・ベルを演じたこの映画は23億円を稼ぎ出し、日本の年間配給収入で1位を記録。当然、レンタルビデオ店にはジュリア・ロバーツの出演作品が一気に並び、一般的な知名度もアップ。彼女は日本でも人気のハリウッドスターの仲間入りをすることとなったのである。
そして、携帯電話が"すれ違い"を困難にさせてゆく
平成三年の興行ランキングを見ると、『シザーハンズ』(90)が18位に、『グリーン・カード』(90)が24位にランクインするなど、現在も人気の高い恋愛映画が公開されていたことを窺わせる。実は、平成二年の4位にランキングされていた『ゴースト/ニューヨークの幻』(90)は、平成三年になってもロングラン上映。前回(※https://plus.paravi.jp/culture/002510.html)記述した配給収入に加えて、平成三年だけで14億5000万円を稼ぎ出している。つまり、"愛"を描いた映画の人気は前年からの潮流であり、人々が心のどこかで求めていたものが、映画やドラマなどの作品となり、そして、歌となったのではないかと思えるのだ。
実は、『ゴースト/ニューヨークの幻』のオーディションをジュリア・ロバーツも受けている。映画ではデミ・ムーアが演じたモリー役には「まだ若い」と判断されたのだが、『ゴースト/ニューヨークの幻』と『プリティ・ウーマン』はどちらも1989年の6月にクランクインしている。つまり、ジュリアが『ゴースト/ニューヨークの幻』に出演していたら、我々の知る『プリティ・ウーマン』は存在しなかったのだ。そもそもヴィヴィアン役には、メグ・ライアンやブルック・シールズ、『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(86)のモリー・リングウォルドや無名時代のサンドラ・ブロックも候補になっていた。デミ・ムーアに至っては、ヴィヴィアンの友人キット役に内定しながらも、『ゴースト/ニューヨークの幻』の主演が決まったことで降板したという経緯があるほど。
『プリティ・ウーマン』は元々『3000$』というタイトルの脚本が基になっている。ヴィヴィアンは麻薬中毒の娼婦という設定で、一度はエドワードに拾われるものの、報酬である"3000ドル"を手渡したエドワードはヴィヴィアンを捨ててニューヨークの恋人の元へ帰ってしまう、というビターな物語だった。その脚本が映画会社を渡り歩き、ディズニー傘下のタッチストーン・ピクチャーズのもとでリライトされて、シンデレラストーリーに変貌したという経緯もあるのだ。奇遇な縁に導かれ、ジュリア・ロバーツの出世作となった『プリティ・ウーマン』だが、当初の脚本のまま映画化されていたとしても、我々の知る『プリティ・ウーマン』は存在しなかったのだ。
平成三年は、カーナビが今ほど一般的ではなかった時代。『プリティ・ウーマン』で、エドワードとヴィヴィアンが出会うことになったのは、道に迷ったエドワードがヴィヴィアンに道案内を頼んだことがきっかけだった(GPSを搭載したカーナビが世界で初めて市販されたのは平成二年の出来事)。映画の中では、エドワードが"移動電話"と呼ばれていた時代の"携帯電話"をホテルの室内で使用したり、ロデオドライブを訪れたヴィヴィアンが、高級オープンカーに乗る親子が共に携帯電話で話している姿を目撃するというショットを印象的に挿入されている。平成三年はNTTが小型の携帯電話機「mova」を発売した年でもある。やがて映画は、カーナビや携帯電話の登場によって"すれ違い"を描くことが難しくなってゆく。恋する相手だけでなく、自分自身もが"どこにいるのかわからない"状態は、現代とは異なる"ある愛の形"を描くのに適した、最後の時代だったのかもしれない。
(映画評論家・松崎健夫)
※1:オリコンによると、「ラブ・ストーリーは突然に」の売り上げは258万8000枚、「SAY YES」は282万2000枚だった。
※2:大衆部門の金賞。
※3:シングルのリリースは1990年9月1日だが、日本レコード大賞では19991年度として扱われ、大賞に輝いている。
※4:シングルの正式表記は「Oh!Yeah!/ラブストーリーは突然に」と併記されている。
【出典】
「キネマ旬報ベスト・テン85回全史1924−2011」(キネマ旬報社)
「キネマ旬報 1992年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
「平成カルチャー30年史」(三栄書房)
「スター発見!ハリウッドNo.1キャスティング・ディレクターが語るトップスターの選び方」(ブルース・インターアクションズ)
「ジュリア・ロバーツ プリティ・ウーマン真実の愛」(近代映画社)
一般社団法人日本映画製作者連盟 日本映画産業統計
http://www.eiren.org/toukei/index.html
ORICON NEWS
https://www.oricon.co.jp/confidence/special/52827/3/#link1
VOGUE 「This was the original ending to Pretty Woman」
https://www.vogue.com.au/culture/features/this-was-the-original-ending-to-pretty-woman-and-you-wont-believe-it/news-story/5f2740a70c561afd8e62e9d34f4ab843
BOX OFFICE MOJO
https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=prettywoman.htm
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