第2回 犬は喜んでいるのか?

前回から引き続き、土岐、新宅、天明で「動物と教育」というテーマで語るテイダンの2回目。今回は犬の話を中心に動物と人間の関係を掘り下げます。犬が一体何を考えているのか?驚きの展開が待ち受けています。

第1回はこちら:【テイダン】土岐麻子×新宅広二×天明晃太郎:テーマ「動物と教育」第1回

笑う犬の秘密

天明:動物が笑うとか音楽を聴いて楽しむということが難しいというお話ありましたけど、犬が雪を見て喜んだりします。あれは何が嬉しくてはしゃいでるんですか?

新宅:単純に、はしゃいんでるんでしょうね(笑)。

天明:あのモチベーションはどこから来るんですかね?

新宅:やっぱり普段と違うので、おふざけしたくなっちゃうんだと思います(笑)。

天明:なるほど(笑)。

新宅:みんながみんな雪見てもあのテンションになるわけじゃないんですけど。猫はテンション下がりますしね(笑)。

天明:犬は「ふざけると楽しかった」という記憶があるんですかね。それとも本能的なものですか?

新宅:教育というテーマにした場合、犬にあるものは圧倒的に本能だと思いますね。ただ本能と学習したものって切り分けるのは難しいんですけどね。本能がスイッチになって学習的に働いて絡み合ったりするので、本能だけでもないし学習だけでもないみたいな。

土岐:犬が口角を上げる「犬のスマイル」って言われているものありますよね。あれは人間が歯を見せて口角を上げて笑っているので、それを真似することで、自分に良いことがまた返って来ると思っているからという説を耳にしたことがありますが、それって本当ですか?

新宅:ちょっと違うかもしれません(笑)。

全員:(笑)!!

土岐:あれは何ですか?

新宅:あれは「劣位の顔の行動」で、自分が強いと思っている人に対して服従する姿勢の顔が人の笑顔にたまたま似ているだけであって、笑っている気持ちよりもどちらかというと卑屈な気持ちになっていると。

天明・土岐:へぇ~。

天明:じゃあ「エサをください、ご主人さま」っていう顔なんだ(笑)。

新宅:「あなた様は最高です」みたいな引きつりながらヨイショした顔、そういう印象ですかね。人間の笑いも実はそういう卑屈なところから来ていて、負けた時に敵意がないということを示す時に口が横に開きます。怒る時は口角が縦に開いて、謝る時は横に開く。それが動物ではデフォルトになっているので、種に関わらずみんな降参する時には口が横に引く形になって、怒る時は縦になる。やられちゃった人が「やめてくださいよー」って言うひきつり笑いみたいな感じから始まって降参しているのを伝えて、それがだんだん独立した笑いとして定着して。

天明:確かに口を縦にして笑うってこと無いですよね。

新宅:犬とかサルは、気持ちとは裏腹に取り繕おうとしたりします。群れている動物なのでそういう場面が必要になってくるんですね。苦手だなと思っている相手でも媚びなくてはいけなかったり。そういう時はわかりやすいように、わざとらしい表情でアピールしたりします。

土岐:それは学習ではなくて本能的なものなんですね。

天明:動物には人間のような「学習する」という能力はないんですか?

新宅:実は私の大学院以降の研究テーマが「動物の学習」とは何かということでした。結論から言うと「動物の学習」とは、自発的に覚えたり獲得したりするものは全部本能がきっかけなんですね。いわゆる人間的な教育とか学習と言われるものと本質的に何が違うかというと「教えること」ができないんです。動物は誰かに教えるということができない。その事例は見つけられませんでした。

天明:よく動物ドキュメンタリーを見ていると「父が息子に自然の厳しさを教えている」とかナレーションで言いますよね。あれは嘘ですか?

新宅:谷に突き落とすだの、何かを突き放すだの、全然しないですよ。むしろ動物の親は過保護で子供を甘やかしますね。子供第一主義もいいところで過保護だろっていうくらいベタベタで。子供に厳しい思いなんて全くさせないですね。

天明:子供を「守る」感じなんですね。でも、狩りは教えたりしませんか?

新宅:教えるのは例えば肉食動物、特にネコ科、イヌ科は狩りを教えるんですけど、褒めて伸ばすコーチングですね。必ず捕りやすいように仕込んでおくんですよ。

天明:それはライオンとかですか?

新宅:ライオンとか犬とかヒョウとか。狩猟系のやつは親が先回りして獲物を噛んで弱らせておいて、「ほら、あそこに何かいるんじゃない?行ってごらん」みたいな感じで。「捕れた、捕れた~」って戻って来ると「よくできたね~」って言って、褒めてあげる感じ(笑)。

天明:教育っていうよりも、むしろサポートする感じ。

新宅:学ぶことの「楽しさ」みたいなものを知ったり、自信をつけさせることは大事。それを親が先回りしてセットアップしてくれるというのは意外と奥が深いし、教育の原点的な気もしますね。

音楽は習うもの?

天明:人間の場合だと教育されて嫌になることもありますよね。土岐さんは音楽を誰かに教わった経験はあるんですか?

土岐:ないですね。ボイストレーニングはデビューしてから受けましたけど、音楽の教育というのは学校の音楽の授業程度ですね。

天明:キャリアの中でちょっと習ってみようかなというのもほとんどない?

土岐:周りを見ていて音楽教育受けている人は多いので、やっぱりいいなと憧れる部分もあるし、逆に無かったからこそ、このスタイルができたのかなと思う部分もあって。教育を受けるタイミングにもよると思うんですけど、周りで10代までに音楽教育を受けてきた人たちを見ていると、体が勝手に動くみたいな強みがあるんですよね。私の場合はクラシックバレエを自分から志願して習っていたんです。2歳半から高校まで。クラシックバレエって足の向きとか姿勢とか首の位置とか模範があって。先生にピシピシ叩かれて、犬にお手を教えるように繰り返し直されながらやるので、その通りにしか動けなくなる。例えばジャンプした後、足はつま先から下ろすんですね。かかとでドンっていう衝撃をなるべく表現しないように、なるべく音を立てないように全部つま先から。だから小学一年生の体育の授業で走り方が変だと指摘されて。つま先で走ってたんです(笑)。

天明:泥棒みたいな感じ(笑)。

土岐:そうそう(笑)。すごい静かなんですよ。先生にそれじゃ速くならないって言われて。クラスで一番遅かったんですよ。もっとかかとで大地を蹴って!って言われてまねしたらみんなに笑われたんです。だから普通なら人間の本能で走れるものが、できなかったんですよ。見よう見まねでやったらありえないフォームになってみんなに笑われるという。

天明:その後は?

土岐:中1になって、学校の部活で創作ダンス部に入ったんですね。創作ダンスっていうのは基本があるようでなくて。新しい動きもどんどん取り入れていくので、伝統的に守らなきゃいけないものはないんですよ。クラシックバレエではありえなかった内またで踊ったり。つま先を意識したそれまでの動きを、ようやく矯正することができるようになったんです。それは自分の人間としての知性が成熟して、動きをコントロールすることが客観的にできるようになったからと思ったんですよね。

天明:すごい進歩!

土岐:経験上、体に染みついているものをはがすのって大変だなと思って。音楽の教育を10代までに受けてきた人たちって、例えばピアノだったら手の形を見たらわかるとか言いますよね。運指、ドレミファのファで親指が来るとか。複雑なものを弾いていても運指を見ればクラシックやった人というのがわかるらしいんです。歌に関しても、声楽家の人たちはビブラートが自然にかかる。私はもともと歌を始めた時は全くビブラートができなかったので、どうやってやるの?って聞いたことがあるんです。

天明:それはその教育を受けた人に。

土岐:そうです、受けてきた人に。そうしたら「かけない方が難しい」って言うんですよ。

天明:え~!

土岐:後からボイストレーニングの先生に聞いたら、声帯に緊張があるとビブラートはかからない。でも声楽をやっていた人で逆に緊張させることが苦手な人もいると。だから面白いなって。どっちも良いところがある。

天明:だから音楽教育の良いところは形を完璧に教えてくれるっていうことですよね。

土岐:そうですよね。

天明:たしかに昔学生の頃に、音大の子と合コンしたことがあって(笑)。普通にみんなでカラオケに行こうって話になったんですよ。そうしたら「行きたくない」っていうわけ。

土岐:面白い(笑)。

天明:「なんで?だって歌を勉強してるんでしょう?」と、僕なんかゆるい三流私立大学の文系ですから、そもそも何もわかってない(笑)。そうしたら「クラシック以外の歌はうまく歌えない」って言うんですよ。それで実際に「じゃあやってみよう」ってなったんですけど、ものすごく、ぎこちなかったんですよね。

土岐:クラシックだったり、日本の長唄などは、小さい時から教育を受けてきた人の方が体になじみがあって、勝手に動くような体になっているので絶対に有利ですけど、ポップスってそれが全然いらない。あってもいいけどなくてもいいっていう世界だから、逆にそうやってビブラートかけたくない時にかけない方法がもうわからないっていう人もいるし。

天明:そう考えると、小学校での音楽教育ってすごく大事ですよね。先生が教えることによって、その後の音楽人生が変わって来るというか。グラミー賞では毎年、全米のナンバーワンの音楽教師に音楽教育賞をあげるんですが、意義があると思います。

新宅:よく選べますね(笑)。

天明:優秀な音楽の先生に賞を与えましょうというのがあるんです。音楽の先生は最初に子供たちが会う生身のミュージシャンなんですよね。実は僕、音楽の授業が苦手で。笛が苦手でした。

土岐:あ~、私もです。天明さんはなんで苦手だったんですか?

天明:指がね、届かないのと、息が続かないんですよ。あとハーモニカも苦手。ハーモニカ吹くときと吸うときと感じがわからなくて。ずっと吸ってばっかりいたんですよ。そうしたら酸欠みたいになっちゃって。そこで音楽が苦手だって思い込んじゃったんです。

土岐:私も笛がだめだったんですよ。あのピーっていう音が美しいと思えなくて、ストレスたまっちゃって。指も難しかったし、半分押えるとかわかんなかったし。高校の笛のテストで再再再再試くらいまでいって、西日の差す夕暮れの準備室で先生と2人で。最後1人なんですけど、「なんでこんな吹けないんだろうね」って先生にも同情されるくらい(笑)。

新宅:お父さんは日本最高峰のミュージシャンなのに(笑)。

土岐:父にも習った事があったんですよ。「ヤシの木」っていう曲を吹きたいから教えてくれって。そうしたら音楽理論にまで及んじゃって(笑)。小3とかで(笑)。だからそれで苦手意識が一気に芽生えちゃって。

天明:学校で教える最初の楽器って笛とハーモニカでいいんですかね?

土岐:ね(笑)。例えばギターって大体中学生くらいでみんな始めたりしますよね。ギター始めて挫折する人はいるけど嫌いにはならない。だって弦を押さえなくても、いい音がするから。ギターとかウクレレは。

天明:笛よりも、ギターの方が最初は上手に弾けてるように感じるかもな。

土岐:あと打楽器とかいいですよね。絶対楽しいですよね。

天明:たまに何の楽器でもできる人いるじゃないですか。あれ何なんでしょうね?

土岐:何ですかね。身体能力じゃないですか(笑)?

天明:本当にちょっとやるだけでなんでもできちゃう。それこそ、さかいゆうさんとか。アメリカに行くまでピアノを弾いてなかったって聞いてびっくりしました。

土岐:そうそうそう。だから今回のテーマをもらった時にゆう君のこと考えたんですよ。あの人、10代までに音楽教育受けた人じゃないんです。全く。

天明:そうなんですね。

土岐:だけど独学で学んできたんですよね。しかもどうやって学んだのかって聞いた時に、真似したって言ってて。自分の中でピアノの演奏をつかんだって思った瞬間は、黒人のジャズピアニストがニューヨークのクラブで弾いている後ろ姿を見ただけで、そのフォームをつかんだって。

天明:えー、すごい!

土岐:そのフォームをつかんだら、あとは自分の中で練習をして。フォームが一番大事みたいなことを言ってたんです。そういう感覚は私には全くないから、やっぱり、ドレミってやらなきゃだめだと思ったから。自分の中の学び方のセンスがすごいんでしょうね。

天明:学び方のセンスね。面白い表現ですね。

新宅:一般的な勉強の習得も要は観察力なんですよね。普通の国語算数理科社会でも、観察力なんです。

天明:捉え方ってことですよね。

新宅:そうですね。数学が得意な人は数学の公式も、考える前に感覚的にパターンを捉えて、ささっと整理しちゃうわけですよ。整理して引き出しにしまっておいて、すぐに出しているだけ。他人が見るとすごく賢そうに見える(笑)。

天明:だからプロフェッショナルの人って、物の捉え方とか考え方を人に説明するの苦手な人いますね。それこそよく言われるのが長嶋監督。「ブーンと振って、スパーン!」みたいな感覚的な説明をついしちゃう。

新宅:そうなんですよ。それは教育じゃないんです。

天明:教育ってそういう意味で言うとそれを理屈で書き換えるというか。感覚だけでは教育ではないですよね。

新宅:すごく教育っていう言葉があちこちに氾濫しているんですけど、大半の者は私が思う教育ではないですね。

新宅先生が思"教育"とは・・・?!3人の「テイダン」はまだまだ続きますよ~!

第1回はこちら:【テイダン】土岐麻子×新宅広二×天明晃太郎:テーマ「動物と教育」第1回

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