20200228_nikkei_09.jpg

瀧口:起業も昔から考えていたというわけではないと。

宮田:全然なかったです。そもそも起業しようと思ったのは27、8歳くらいだったんですが、ちょっと重たい病気にかかったことがあったんです。"ハント症候群"という珍しい病気なんですが、水ぼうそうってあるじゃないですか。皮膚に湿疹ができて痛いもの。あれが耳の三半規管の中に入ってしまう病気です。三半規管って神経の通り道になっていまして、全部切られちゃうんですよね。するとどうなるかというと顔面麻痺で顔が動かなくなって、耳も聞こえなくなって、味覚もなくなって。三半規管自体がやられているので車椅子で生活しなくてはいけないという期間が数ヶ月あったんです。

神経の病気なので薬も効かないらしく、自己治癒に頼るしかなくて。かなり重症なレベルまで行ってしまって、お医者さんに「宮田さんが治る確率は40%くらいしかない」と言われ、目の前が真っ暗になってしまうようなことがあったんです。そんな経験をしたんですが、その時は幸いにも元気になって。今ではもちろん耳も聞こえますし表情も全然分からないと思うんですよね。結果何を思ったかというと、自分はいつ死ぬかわからないし、いつ同じような状況になるかも分からない。

人生について深く考えた結果、ずっとインターネット産業の中で食っていきたいという思いがあって。どうせインターネットの世界で食っていくなら自分たちの代表作となるような良いプロダクトを作りたいよねということで、2013年友人を誘って起業したというのが経緯です。

瀧口:当初は会社の名前がKUFU。何て読むんですか?

20200228_nikkei_11.jpg

宮田:株式会社KUFU(クフ)と読みます。今となっては恥ずかしい名前ですけど(笑)。

瀧口:クフ。かわいい感じのサウンドですね。なぜこの名前にしたんですか?

宮田:僕と共同創業者の内藤(研介)と、当時会社を手伝ってくれた白坂というフリーランスのデザイナーがいて3人で社名を考えていたんですけど、いい社名が全然思いつかなくて。休憩時間に白坂が「社名、KUFUにしようぜ」って言ってきたんです。「KUFUって何、工夫? ださくない?」って言ってたんですけど、ヒップホップアーティストのRHYMESTERが歌っている『K.U.F.U』という曲がありまして、「いいから聴いてみなよ」って聴かされて。その歌詞が結構反骨精神にあふれる歌詞でいいなと思ったんですけど「持ってないやつが持ってるやつに勝つ唯一の秘訣はこれだ」みたいな歌詞だったんです。

瀧口:あ、工夫っていう意味だったんですね。

20200228_nikkei_10.jpg

宮田:僕らはその何も持っていないと言いますか、ただの企業を飛び出して起業したばかリの我々が成し遂げるためにはいろいろ工夫して勝っていくしかないなと。これはいいんじゃないか、ということでそれを社名にしたというのがあります。あと当時はnanapiさんとかメルカリさんとか、昔は違う社名で起業してプロダクトが当たったら社名を変えるというのが流行っていたんですよね。なのですぐ変わるだろうと思って軽い気持ちで付けたら4年間くらいはうまく行かずに株式会社KUFUのままでしたね(笑)。

瀧口:SmartHRができるまではずっとKUFUだったと(笑)。

宮田:そうですね。SmartHRに切り替わって1年後くらいに社名も変えました。

瀧口:2015年にSmartHRがローンチされるまではどういう事業をされていたんですか?

宮田:世の中に出したものは二つありまして、出していないものも含めると12個くらいあるんです。私もともとWEBディレクター、プロダクト側の仕事をしていたんですが、ディレクターとかエンジニアさんの転職サービスみたいなものを作ってみたり、今我々がやっているSaaSサービスの比較サイトを作ったり、本当にいろんなことに手を出しては失敗してというのを繰り返していました。

瀧口:そんな中でSmartHRが誕生したのはどういうタイミングだったんでしょうか。

20200228_nikkei_13.jpg

宮田:2015年にOpen Network Lab(オープンネットワークラボ)というシードアクセラレーターに入ったんです。何かというと我々のような当時はイケてなかったスタートアップを勝てるスタートアップに変えてくれるプログラムで。卒業生にはフリマアプリのフリル(現・ラクマ)や電動車椅子のWHILLさんなど、そうそうたるメンバーが名を連ねているプログラムでした。

そこに入ったのが2015年で。入った早々に当時僕たちがやっていた事業はユーザーの課題を本当につかめていないと思うから、もうちょっとちゃんとヒアリングをしたらということを言われて。実際にヒアリングをしたら確かにニーズに全然刺さってないことがわかった状態でした。そこからいろんな世の中の課題というものを探して、それを起点に事業を作るぞというのを頑張っていたタイミングでSmartHRを思いついたということです。