瀧口:ここに来るまではどういった経緯があったのか伺えますか?
奥平:鈴木さんは田口(一成)さんと一緒に元ミスミの社員で。
鈴木:そうですね。それぞれ自分で会社をやるぞと決めて、資金を貯めるというのもあって、それでミスミにお世話になりました。
奥平:お二人はミスミで知り合いになられたと。お互いに独立起業思考があるということがわかった。これ今伺った話は相当面白いというか、あまり聞くことがないビジネスモデルだと思うんですけど、どういう進化を遂げてここまで来たんですか?
鈴木:最初に僕たちがやっていたのは、いわゆるソーシャルビジネスじゃない、普通のビジネスだったんです。当時は売上の1%をNPOさんやNGOさん、一生懸命頑張っていらっしゃる方々に送るということを世の中のデファクトスタンダードにできたら社会って変わるでしょうって思って。普通のビジネスで売上の1%を還元していたんです。
奥平:不動産関連と聞きましたが、何をやっていらっしゃったんですか?
鈴木:不動産の仲介です。それで「1%を送るぞ」ってやっていたんですけど、かい離があったんです。僕たちは「貧困問題を解決したい」「社会課題を解決するために始めたんだ」ってことがあって、でも一方で普通のビジネスをしているとお金で寄付はできるけど直結しないので、すごく違和感があって。そうした時に寄付だけだとスピードが上がらないし、違和感を解消するためにはどうするんだってなった時に、社会課題の内容と自分たちの事業をダイレクトにつないでしまおう、というところでソーシャルビジネスと言う形になりました。
奥平:もともとお二人は社会課題を解決したくて独立して起業しようとなって、でも最初に始めたのは不動産事業だったんですね。
鈴木:そうです。
奥平:そもそも社会課題というご自身の原点というか、なぜそこにフォーカスしようと思ったのか、何か出来事があったんですか?
鈴木:僕は学生の時に塾の先生のアルバイトをしていて、僕はすごく子どもたちのためにやろうと思っていたんですけど、一方社員の先生の皆さんは特にやる気もなく、アルバイトの皆さんも稼ぐため、という感覚だったんです。働けているのにやる気がない、つまらなそうな状況で。
一方外に目を向けると障害のある方だったり、シングルマザーの方だったり、働きたくても働けない方って報道でもたくさん出てきますよね。働くって良いことだし、それが誰かのためになるっていう素晴らしい行いなのに、それに関してみんなが課題を抱えている。働きたくても働けない、働けてもいろんな問題を抱えている。これを解決しなきゃいけないなというのが僕の思いです。
瀧口:そこが原点なんですね。
奥平:田口さんも同じ思いだったんですか?
鈴木:田口はテレビ番組で飢餓のドキュメンタリーを見た時に、「自分は貧困というものをなくすんだ」とその場で決めて。そこからずっと走り続けていますね。
奥平:ちなみに今田口さんは福岡にいらっしゃるそうですが、なぜ福岡なんですか?
鈴木:震災の時に、僕らはシェアハウスの事業とハーブティーの事業の二つだったんですけど、放射能の影響を考えた時に、これは食品でもあるのでこれを持って福岡に移転する、ということと、もう一つは九州出身の仲間が多くて、地元で働けるなら地元がいいじゃない、ということになって、福岡に拠点を作りました。
奥平:福岡はスタートアップサポートが手厚いですよね。
瀧口:実際福岡は居心地いいですか? スタートアップにとって環境としては。
鈴木:良いと思いますね。
奥平:不動産業から社会課題そのものを解決しようということでシフトされて。まずはどこに行かれたんですか?
鈴木:シェアハウスです。
奥平:不動産ですもんね。シェアハウスというのはどういう人をサポートするんですか?
鈴木:外国人の方が日本に来て勉強する、働くとなった時に、外国人だからという理由で家が借りられない。せっかく彼らが来てくれているのに安心して住める場所というのが必要だよねと。特に日本語学校生にヒアリングした時に、日本に来て1年勉強しても8割の子たちが日本人の友達ができずに帰っていくという話もあって。それもまたおかしな話だということで、日本人と外国人が一緒に住むということが、差別偏見をなくして地球市民を作るよね、というところから始まりました。
奥平:不動産の提供と機会の提供という、二つの問題解決ができると。
瀧口:そこに住む日本人の方は海外の人と交流してみたいというモチベーションなんでしょうか。
鈴木:そうですね。
瀧口:なるほど。素晴らしいですね。
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