「スタートアップ」が未来を創る――。話題のスタートアップや、イノベーティブな起業家をいち早く取り上げる「ビジネスにスグ効く」経済トークショー『日経STARTUP X』。PlusParaviでもテキストコンテンツとしてお届けする。
プラスチックや紙に代わる新素材「LIMEX」を開発したTBMの山﨑敦義CEOの半生は波乱に富む。一念発起して起業した後、大きな転機となったのが「紙の神様」と呼ばれる人物との出会いだった。試行錯誤を経て生み出した新素材は今、環境保全の追い風を受けて国内外から注目される存在に。エコロジーとエコノミーの両立という志を世界に問う、山﨑社長の夢を聞く。
瀧口:さて今回は山﨑社長のヒストリーについてお伺いしたいと思います。山﨑社長はもともと大工さんでいらっしゃったと伺いましたが。
山﨑:はい。大工見習いをしていました。
瀧口:いつ頃からやっていらっしゃったんですか?
山﨑:中学卒業してすぐに、15歳からずっとやっていました。
瀧口:いつ頃までですか?
山﨑:建築関係の仕事にいろいろ関わっていたんですが、20歳までですね。
奥平:なぜ大工さんになろうと思われたんですか?
山﨑:もともと中学校しか出ていなくて、遊んでいた時に友達が大工の工務店に誘ってくれて入りました。格好よく見えたんですよね。
奥平:結構やんちゃな感じでいらっしゃったと(笑)。
山﨑:そうですね(笑)。
瀧口:その後TBMに至るまではどういった経緯だったんでしょうか。
山﨑:20歳の時に地元の仲間たちと中古車屋さんを起業したのが僕の起業のスタートです。何年か車屋さんをさせていただいて、その後は譲ってまた先輩と建築関係の仕事に携わったり、いくつか事業を立ち上げました。
奥平:ここまでは全くLIMEXにつながる話はないんですけど(笑)。
山﨑:30歳の時が起点でした。20歳で起業して10年経った時に先輩にヨーロッパに誘われて行ったんですが、そこで衝撃を受けて。歴史の重みや何百年も前に造られた建物が変わらずあり続ける街を見た時、人間の人生は短いんだなって思って。ちょうど起業して10年でいろいろなことがあった10年だったので、残りの10年を3回4回繰り返したらおじいちゃんと言われる年になるんだなと思った時に、どんなことをやり遂げようかと考えたんですね。
奥平:ちなみにヨーロッパは観光旅行だったんですか?
山﨑:完全に旅行です。
奥平:どちらに行かれたんですか?
山﨑:ロンドンとローマとスペインとパリに行きました。
奥平:そこで歴史ある建物をご覧になって。
山﨑:特にローマのバチカンを見た時に衝撃だったんですよね、こんな所があるのかと。自分は大阪でも岸和田という田舎の方だったので、余計に衝撃で。
瀧口:歴史の重みですね。
山﨑:もっと若い時にこういう所を見てたらもっと違った自分もいたのかなって。僕も仕事をがむしゃらに20年やってきましたけど、グローバルで勝負できる仕事を僕と働く仲間たちにさせてあげたいという思いがありまして。グローバルで勝負できること、あとは自分が起業して10年経って30歳になって、自分が現役でいられる間に超の付くような事業をしたい。
どこかで慢心するのではなく挑戦するにはそれくらい大きなことを目指さなきゃだめだと。あと分かりやすく世の中の役に立ちたい。この3つを考えた時にこのストーンペーパーと出会って。ちょうど日本でもエコがブームになってきたときだったので、知り合いの社長が「こんなんあるけど知っているか?」って言って台湾製のストーンペーパーの名刺を手渡してくれたんです。
奥平:その方がその紙の名刺を持っておられたんですね。
山﨑:これ石灰石っていうので作られているのを聞いて、「面白いじゃないですか、どこで作っているんですか?」と聞いたら台湾だということで。僕はそのつてを通じて台湾の会社に輸入商社をやらせてくれって。
瀧口:名刺だったんですか。
山﨑:そうです。日本で使われていたんですね。
瀧口:最初出会った時はどんな感触だったんですか?
山﨑:そんなに特徴を感じたわけでもなくて、これが石灰石からできてるんだ、「へぇー」って感じでしたね。我々のLIMEXと比べると印刷の適性はまだ良くなかったですね。
奥平:ポテンシャルには気付いたけれどもいくつか課題があって、でも恐らくご自身のキャリアからすると問題解決は難しいですよね。前回伺った日本製紙の角(祐一郎)さんとの出会いというのが非常に興味深いのですが。結構やんちゃな感じで大工さんや中古車販売をされていた方がどうやって角さんに辿り着いて、しかも会長になっていただいたのか。どのようにして口説いたんでしょうか。