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瀧口:フェローとしてアドバイスされているんですね。ここからは「アイドルがなぜ!」と書いてありますけど(笑)。

奥平:(カンペを)読んでますね(笑)。

瀧口:すみません、こんないろいろお聞きしていいのかなってドキドキしているんですけど。まず台本上では芸能界に入られたきっかけということですが、ここまでさかのぼっていんでしょうか(笑)。

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いとう:どなたかの趣味が入ってるんですかね(笑)。芸能界に入るきっかけはスカウトです。スカウトされたんですけどその後デビューする大きなきっかけになったのは少年マガジンのミスマガジンコンテストというのがありまして。

奥平:初代ですか?

いとう:初代です。1982年かな。そこでグランプリを獲ったんです。そうはいっても実はああいうのって裏話ですけど、最初は失敗しちゃいけないからグランプリも準グランプリも最初から決まっていたんです。私じゃない人が。

奥平:それは話しても大丈夫ですか?

いとう:大丈夫です。講談社がすごい英断をされたなって思ったんですが、まず何千人の応募があって、その中から審査員が20人選びます。その20人が東京に来てそれぞれ写真を撮ってそれを雑誌に載せて読者投票をするんです。私が東京へ来て写真を撮って帰り際に、編集者の方から「せっかく名古屋から来てもらったけど、実はもうグランプリは決まっているんだよ、ごめんね」って言われて。「大人の社会は汚い!」って新幹線で泣きながら帰ったんですけど。

瀧口:今だったらTwitterで即投稿しちゃいますよね。

いとう:それから2カ月くらいして編集者の方から連絡が来まして。「『グランプリ決まっている』って言ったんだけど、読者投票でいとうさんが多くて会議の結果いとうさんに変わりました」って言われたんです。

奥平:大人の世界をひっくり返したんですね。

いとう:本当に読者を大事にされてるんだなって思いました。

瀧口:講談社の英断。

いとう:講談社の英断ですね。プロダクションともいろいろあったかもしれないですけど、やっぱり読者を大事にしたいという思いがそうさせたんだと思います。

瀧口:そしてデビューされたのがこちらのレコードですね。(レコードを取り出す)本日2回目の登場です(笑)。

いとう:そうです(笑)。

瀧口:その後は芸能活動をされながら大学にも進学されたんですよね。

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いとう:はい。44歳の時ですね。もう結婚していたんですけど大学に行こうかなと思って。私、長い間世の中のお世話になってきて、というのも、プロダクションは5年で辞めちゃって個人でやっていたんですが、その中でお仕事いただけたのは周りの全ての方のおかげだと思っていて。そこに恩返しできたらいいなと思ったんです。でも、大学も行っていないし知識もないので、少しでも何かのきっかけを掴めたらと思って大学に行きたいと思いました。

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主人にも相談したら「いいよ」って言われて。そして大学に4年間通ったんですけど、そこで分かったのは、「何も掴めていない」と思ったんです。大学は社会に出るための訓練だなって。テーマを与えられて調べてまとめ上げて提出。またテーマを与えられて調べてまとめて提出。社会人になるための練習ということが分かったので、「これじゃだめだ」と。そして修士課程に進んだんですけど、まだ恩返しできるところまでいっていないと思って、博士課程に今いっています

瀧口:探求心ですね。

いとう:そうですね、知りたがりなんです。

瀧口:最初から介護というところに興味があったんですか?

いとう:介護ではなく元々は予防医学です。やっぱり「人は予防することを常に考えておくことが大事なんじゃないかな」と思っていたので予防医学をやりたくて。大学の時もずっと予防医学の講義を取っていたんですが、ゼミを選ぶ時にその先生が退官されることがわかって、残念ながらそのゼミへ行けなかったんです。どうしようと思って20代の同級生に相談したら、「あそこのロボット工学のゼミ人気あるよ」と言われて。「じゃあそこへ行ってみよう」となりました。

奥平:瓢箪から駒みたいな話ですね。

いとう:そうなんです。相談した人も違えばまた違ったと思いますし。

奥平:そもそもその方が退官されなければ普通にそのゼミに入っていましたよね。

いとう:そうですね。そのまま予防医学をやっていてここにはいなかったと思います。ロボットには関わっていなかったと思いますし。

瀧口:今日一緒にいられる奇跡ですね。本当にありがとうございます。

いとう:こちらこそありがとうございます。

瀧口:では後編へ続きます。

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