瀧口:開発されたきっかけは今お伺いしましたが、その前はどう過ごされていたんですか?
渋谷:僕は工業高等専門学校、いわゆる高専に通っていまして。5年間工学系の知識を学ぶ学校でプログラミングを主にやっていました。高専生の時に会社を作りたいと思っていたのでその後経営を学びに大学に行き、卒業後はモバイルゲームのGREEに勤めさせていただきました。そんな流れですが、当時から友達とWebサービスやアプリを作ったりしていて。この会社も高専時代の仲間と一緒に起業しました。
瀧口:高専生が起業するということで、過去に奥平さん取材されていたんですよね。
奥平:しばらく前に記事を書かせていただきました。その節はお世話になりました(笑)。
瀧口:『「1%」の高専が担う革新』という記事ですね。
奥平:日本の15歳の内100人に1人くらいが高専に行くという話ですが、なぜ普通高校には行かなかったんですか?
渋谷:どうしてでしょうね(笑)。ちゃんと理由はあって、中学生で進路を決める時に将来何をしようと考えて、ゲームがすごく好きだったんです。僕は親の転勤で転校することが多かったので、友達と一番仲良くなれるツールというのがゲームだったんですね。なので「大人になったらゲームを作りたい」と中学生の時から思っていて、プログラミングを学びたいと思って見つけたのが高専でした。もう一つは寮に入りたかったというのがあって、新潟の長岡に実家があるんですけど、実家から通うのが大変なので寮に入って。それも決め手でした。
瀧口:高専生が起業するというのはそんなに多くないんですよね?
奥平:多くはないけど、実は意外なところの創業者に高専OBがいるんですよね。
渋谷:コロプラの馬場(功淳)さんや、さくらインターネットの田中(邦裕)さん、みんなが知っているような所だとZOZOの大蔵(峰樹)さんという方も高専卒だったり、結構いますね。ポケモン作った田尻智さんも高専出身者です。
瀧口:そうなんですか。高専出身の方同士は仲良かったりするんですか?
渋谷:高専OBの起業家同士でたまに飲んだりします。結構高専トークが面白くて盛り上がります。高専って不思議な事に大体各都道府県の山奥、人里離れたところにあるんですよね。
奥平:取材に行くと結構大変なんですよ(笑)。
渋谷:みんな違う場所で育ったはずなのに5年間でやっていることは似ているので、どこの高専でもシンパシーを感じて盛り上がりますね。
瀧口:兄弟校みたいなイメージですね。
奥平:実際起業される時はクラスメートと起業されたんですよね。
渋谷:そうです。高専の同級生で15歳から一緒の櫻井(裕基)君なんですが、僕は今30歳なので人生の半分を一緒に過ごしていますね。たまたま学科が一緒で、櫻井と渋谷で名簿が前後なので学校の席も近かったですし、入学してすぐのオリエンテーションの合宿も一緒で、寮も一緒で、今に至っています。
奥平:アメリカのハーバードの学生寮からFacebookが生まれたのとちょっと似ていますよね。
渋谷:当時僕が会社を作るときに映画の『ソーシャルネットワーク』が流行っていて、あれに憧れて。Facebookってハーバードなんですが途中でパロアルトの一軒家を借りて皆で住み込んでやるんですけど、どうしてもそれがやりたかったので創業の場所を(茨城の)つくばにして、みんなで一軒家を借りました(笑)。
奥平:あやかったわけですね(笑)。
渋谷:最初の資金調達をする時にそのネタを使って、みんなで一軒家で寝泊まりして作っているので「俺たちは"日本版ネクストFacebook"だ」みたいな(笑)。
瀧口:パロアルトがつくばになったんですね(笑)。
渋谷:海外の投資家にもすごくウケましたね。
瀧口:面白いですね。卒業して最初に就職したのはGREEだったんですよね。なぜGREEだったんですか?
渋谷:僕は本当はソニーがすごく好きだったんです。高専卒の人は家電や車、ゲームの所に行く人が多くて、僕も漏れずに中学生の時はソニーに行くと言っていたんですけど、二十歳で大学に入った時にシリコンバレーがすごく熱いというのを風の噂で聞いたんです。そこでシリコンバレーを見てみたいと思い、アルバイトで貯めたお金を全部使って10日間くらいシリコンバレーにステイしました。その時Googleやまだ小さかったTwitterのオフィスを見せてもらったんです。Googleのオフィスに行ってすごく衝撃を受けましたね。なんだこのキャンパスは、みたいな。すごいなって。
奥平:ビーチバレーとかやってますよね。
渋谷:ビーチバレーもプールもあって。
瀧口:上司と部下でそれをやっているのが素敵ですよね。
渋谷:それを見て、自分がエンジニアとしてどっちで働きたいかなと考えた時に「Googleがいいな」って思ったんです。その時に肝はインターネットの会社だなと思って、これからは絶対インターネット、ITだということで当時日本だとSNSとかモバイルゲームが伸びていたので、GREEもまだ小さかったんですが、インターンシップをさせていただいて。そういう流れです。
瀧口:まだ小さかったGREEに「ITやりたい!」という思いで行かれたんですね。
渋谷:そうですね。当時はまだ新卒なんていなくて。本当に10人くらいしかいなかった時ですね。