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奥平:スマートフォンが出てきて日常生活のいろんなものを吸い込んだじゃないですか。あの中にゲームも入って、本も入って、新聞も入った。スマホ経済圏ができてそこに付随して従来できなかったものが時空を超えて繋がるようになる。スマホが吸い込めるものは全部繋がっていくという感じでしょうか。

赤川:あとはそれが5Gの流れで常時接続化していく流れもあると思います。そもそも少し前まではブログだったものがツイッターになって、毎分・毎十分つぶやくことになって、それがどんどんずっと繋ぎっぱなしになっていく。それもここ10年の変化なので、同じような変化がこれから先の10年も起こっていくと思います。

瀧口:ずっと繋ぎっぱなし、ずっとオンライン状態になっていくということですね。赤川さんは元々ゲームがお好きでこういうことをやりたいと思っていたんですか?

赤川:中学生くらいまではテレビゲームが大好きで、高校からは音楽が好きになりました。

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奥平:どういうジャンルの音楽がお好きですか?

赤川:ロックが好きです。ビートルズから始まってオアシスなど。ずっと聴いていました。

瀧口:バンドもやっていたんですか?

赤川:やっていました。バンドをやるか音楽評論家になるかで大学卒業する時に悩みました。

瀧口:ZOZOの前澤(友作)社長もバンドマンでしたね。

奥平:楽器は何をやっていたんですか?

赤川:ギターとボーカルです。

奥平:でもそこからDeNAに入ったんですよね。そこがわからない(笑)。

赤川:そうですね。きっかけとしては『rockin'on』という音楽雑誌の会社があって。僕は当時の大学生で一番音楽オタクだという自負があったので、さすがに通るだろうと思って履歴書に小さな字でロックへの熱い思いを書いて送ったら、まさかの履歴書で落ちてしまいまして。

奥平・瀧口:あはははは。

赤川:たぶん面倒くさいやつだと思われたんです。

奥平:熱すぎたんでしょうか。米粒みたいな字でびっしり書いたんですか。

赤川:はい。しかも外まではみ出して熱い思いを書きました。そうしたら落ちたんです。「こんなに好きなのに通らないことってあるんだ、社会って厳しいな」と思いました。それから初めて行った会社説明会がたまたまDeNAでした。

奥平:でも2006年のご入社というと、就活当時は2005年ですよね。当時DeNAの規模感ってどれくらいでしたか?

赤川:社員数が150人以下で、まだモバゲータウンはなくて。オークションの会社でした。

瀧口:新入社員説明会で魅力を感じたんですか?

赤川:当時世間知らずで福利厚生の知識もなくて。説明会に行った理由は、リクナビを見ていたら大体どの会社も月収18万円って書いてあったんですが、DeNAは年収300万円と書いてあった。こっちの方が月割りしたら高いなと。

奥平:ボーナスの概念はなかったんですね(笑)。

赤川:なかったです(笑)。とりあえず行ってみようと思って行ったら南場(智子)さんが出てきて、「おもろいおばちゃんがおるな」って(笑)。そのまま流れで入った感じです。今の社長にも面接してもらいましたが、とにかくむちゃくちゃ面白い人がたくさんいたので、面白い人の近くにいようと思って入りました。

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奥平:自分でコードを書かれるわけではなかったんですよね。

赤川:そうですね。初めは広告営業をやったり、テレビCMをやったり。その後自分でYahoo!モバゲーという事業でYahoo!さんと提携しようという話を持って行って成立させて。その後にDeNAが海外展開するタイミングで執行役員になりました。

奥平::それはエヌジーモコ買収の時ですか?

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赤川:そうです。その後です。エヌジーモコを買った後に「あとはよろしく」という感じで任されて(笑)。僕が韓国オフィスを作って、エヌジーモコと韓国と中国と東京を横で繋げるということをやってくれと言われました。全然ネイティブでもないですけど、無茶振り文化なので。

奥平:ちょうどエヌジーモコ買収の時に私も(アメリカの)シリコンバレーに駐在していました。その後いくつか理由があって(買収は)うまくいかなかったわけですが、幕引きまでされたんですか?

赤川:最後の幕引きの時は日本の業績が落ちていたので、日本の建て直しのために日本のゲームの責任者をしていて離れていましたが、クローズの意志決定の経営会議には出席していました。

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奥平:前編で伺った際に日本発で海外で通用するというお話をされていて、海外を強く意識されていたと思うんですけど、(エヌジーモコは)いわば挫折体験ですよね。

赤川:完全に挫折体験ですね。当時SAP(ソーシャルアプリケーションプロバイダー)と呼ばれていたソーシャルアプリを開発している日本の会社さんをたくさん巻き込んで、「一緒に海外に行きましょう!」とやってもらって勝てなかったので本当に悔しくて。今度こそ、というのはミラティブに関してすごく思っているところです。