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奥平:そうは感じないですね。当然ご自身で工場を持っているわけではないですよね。どういったところをご自分でされて、どこを任せるとこういう風なものの作り方ができるんですか?

中澤:主に私がやっているのは、カシオ時代からあまり変わらないんですが、商品の企画、0、1の部分を作り上げて、仕様の策定をして、デザインをしてもらったり、電気設計をしてもらったり、ソフトの仕様設計をしてもらったり。それを一緒にたたいていって、実際工場で作る工程を見て、その後製品に仕上げていくというのを一緒にやっています。プロダクトマネジメントという仕事になるかと思います。

奥平:商品企画と進行管理というところでしょうか。

中澤:そうですね。最後は自分で売りたいので、営業もやります。

瀧口:パートナーの方たちの役割分担というのは、例えば工場は日本の工場ですか?

中澤:今までのものは台湾、中国、韓国の工場で作っているものが多いですね。そういった工場にはまずはフィージビリティスタディ、こういう物を作りあげられますよ、という試作の部分までこちらから投げて、量産設計というのに落としてもらって、フィージビリティの物と量産の物の差分を見ていくということをやるんですね。結局部材調達という意味で、本当は使いたかった部品が使えなかったりということが起きてくるので、そういった中で量産に合わせた設計を一緒に見ていくという形で。

そのまま作ってくれればいいよというのは簡単なんですが、思っている以上に同じ物が出来上がらないので、そこに対してどういう物にしましょうか、という指示を出すというやり方です。ただ部材が変わっても機能としてはこういうもので、こういう演出をしたいんだというのをまず企画として伝える。理解してもらわないと全然違う物になってしまうので、そういうコミュニケーションをまず量産設計に入る時にさせていただいて、おまかせする感じですね。

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瀧口:中澤さん、携帯電話が中高時代に大好きだったというお話を聞いたんですが。

奥平:瀧口さんと中澤さんは同世代ですか?

中澤:私は84年生まれです。

瀧口:3つ違いなので、同世代ですね。

中澤:中学に入った時にみんなが携帯電話を持ち始めたので、四六時中親に邪魔をされずに友達と連絡が取れるという(笑)。

奥平:当時はまだLINEは無かったですもんね。

中澤:無いです。

瀧口:折りたたみの携帯が出た時のドキドキ感とか。

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中澤:絵文字が送れたりですね。Eメールが出た当時ですね。N501が出た頃。

奥平:iモードですね。

瀧口:あと写メが送れるようになった時はうれしくて送りまくったり。

中澤:そういった機能が増えていくので買い替えたりして、携帯をすごく使っていたんです。とにかく携帯電話が好きというか、マニア状態になってましたね。

瀧口:そこから携帯電話を作りたくてカシオに入社されたと。

中澤:そうですね。携帯電話を作っているメーカーさんに入りたいと思ったんですが、中学から大学にかけての時代がiモードからiPhoneが出るまでの期間だったんです。1997年から2007年。

奥平:今年ちょうどiモードが出てから20年ですもんね。

中澤:そうなんです。その10年とそこからの10年はもう少しスピードが遅くなったと思うんですが、私が学生だった10年間に携帯電話って鬼のようなスピードで進化してしまって。ただ、1ユーザーとしてはユーザーが置いていかれたなと思っていたんです。

瀧口:どんなところがですか?

中澤:どんどん小難しい複雑な機械に化していったと思っていて。私が最初に言っていた友達とのコミュニケーションが楽しかったツールというのが置き去りにされて、いろんな機能が詰め込まれて、どんどんごつくなってどんどん(値段も)高くなってというのが、なんかおかしいんじゃないかと1ユーザーとして思っていて。市場とかい離があるなと思ってしまったんです。

なのでもうちょっと市場を見た携帯電話が必要なんじゃないかとずっと言ってまして。カシオの最終面接でもどうしても携帯の部署がいいと言って、携帯電話の部署じゃなければ全然カシオなんて来ません、と言ったんですよ(笑)。

奥平:氷河期だとおっしゃるわりには強気だったんですね(笑)。

中澤:そうですね。それがなければ銀行に行くことになっていたんですが、唯一メーカーさんの中で変なやつって言いながら入れてくださったのがカシオさんです。