奥平:ちょっといいですか?見てる方は疑問だらけだと思うので、まずお父さんが何者か聞きましょう(笑)。お父さんは何者なんですか?
中村:親父はレアメタルの専門商社でアドバンストマテリアルジャパンという、日本でレアメタルの取扱量がナンバーワンの会社の社長をやっています。
瀧口:そうなんですか。
奥平:では(中村さんは)ぼんぼんですか?
中村:当時のアドバンストマテリアルは13~14名で始めたベンチャー企業だったので、全然ぼんぼんでも何でもなくて。それこそイギリスに留学するって言ったらNOだし、中国だったらええでと。
奥平:しかもレアメタルは中国から出てくるから関係があったと。
中村:そうなんです。中国に行って、レアメタルの重鎮リ先生の家に留学して、今でも私の北京の父と呼んでいます。リ先生はその後どんどん出世されて偉くなって、今では中国のレアアースのドンみたいな存在になっているんですね。なので今思えば親父は人質交換みたいな形で僕を向こうに送り込んだのかなと。
瀧口:戦国大名みたいな感じですね(笑)。
中村:僕は中国でまだマシで、僕の姉はカザフスタンに送り込まれて。
奥平:基本的に資源が出てくるところに行ってるわけですね(笑)。
中村:カザフスタンはチタンが取れるんです。姉はアメリカに留学するために準備をしていたんですが、残念ながらそのお金じゃ行けないということで、
奥平:同じパターンじゃないですか(笑)。
中村:親父はいつも僕に厳しい試練を与えるんですが、今思えばそれは僕にとって人生の転換期になっていて。僕が高校を辞める時に親父が言った言葉が今でも忘れられなくて。僕が高校1年生の時に高校を辞めたいと言ったら、「辞めたらええがな、お前やりたいことあるんやろ」と。「けどこれだけは覚えとけ。今お前と一緒の年で世界中で必死で勉強してるやつ、必死でスポーツしてるやつ、爪を研いでるやつらがいるんだ。そんな奴らにお前勝てるのか。逃げじゃないのか」と。
中村:僕は逃げじゃないと思って辞めたんですが、あの時の言葉がすごく残っていて。やっぱりあの瞬間に、たくさんの同世代のライバルたちがいて、その中での一人としてお前は何を身に付けるんだということを問うたと思うんですね。あれから25年経っていますが、その言葉は今でも僕の中にあって、それを自分の子供たちに教えていますね。
今この瞬間にお前と一緒の奴らが戦っている。例えば13歳の子がスペインでプロサッカー選手を目指してやっている。お前と同じくらい真剣にやってるやつらがいっぱいいるんだと。その中でお前はどういう存在なんだということを言っています。親父が僕に教えてくれた魂というのは今でも引き継がれていますね。これ今親父が死んでる流れなんですが、ピンピン生きてます(笑)。
全員:(笑)。
瀧口:お父様に言われた言葉や投げかけに対する答えというのは、今中村さんご自身の中ではいかがですか?
奥平:特に会社を作られてから、再生エネルギーの分野ってまさに「余人をもって代えがたし」でいうと、余人がうじゃうじゃ池に飛び込んできているわけじゃないですか。中国でビジネス経験がおありだったけれども、ある意味日本のビジネスという意味でいうと電子材料売ってるような仕事では。
中村:まったくなかったですね。