「わかりやすい」解説者として、世界のさまざまなニュースを紐解いてきた池上彰。NHK入局後は、1994年から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍し、子どもたちにもわかるようにニュースを伝えてきた。その池上が2月に『わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方』(集英社新書)を出版。「わかりやすさ」の開拓者が、わかりやすさの「罠」について論じている。

なぜ、わかりやすさは危ないのか?報道の裏側はどうなっているのか?ネットニュースの危険性とは?池上に「ニュースとの向き合い方」を聞いた。

なお、池上のインタビュー動画は「パラビジネス」で配信している。

20190328_ikegami_03.jpg

「わかりやすかったな」で満足してしまっている人が多い

――なぜ『わかりやすさの罠』を書こうと思われたのでしょうか?

私がこの仕事をしているのは、とにかくわかりやすく皆さんにニュースを解説したいからです。「実はニュースの背景にはこんな歴史があるんです」ということをご覧になった方が「もっと知ろう!」「なんとかしなきゃいけない」と行動するきっかけになって欲しい。その気持ちでこれまでやってきて、それなりの手応えがありました。一方で、私の解説を聞いただけで「なるほど、わかりやすかったな」と満足して終了してしまっている人が、かなりいるのではないかなとも感じます。でも、それでいいのか?と悩みはじめたことから、この本を書きました。

――池上さんの解説だけで満足されているな、と感じたきっかけはあったのですか?

「池上さん、この話はどういうことですか?」という質問ならまだいいのですが、「これについては賛成ですか?反対ですか?」や「私たちはどうすればいいんでしょうか?」と聞かれるんですね。それについては「自分で考えてください」とお答えしています。街でも、よく「いつもわかりやすくありがとうございます」とお声かけていただくんですが、どうやらそこで終わってしまっている方が多いように感じたんです。

――わかりやすいからこそ、わかった気になってそれ以上突き詰めない・・・本のタイトルにもなっている「わかりやすさの罠」という言葉と繋がりますね。池上さんの考える『わかりやすさの罠』とは?

テレビのワイドショーでニュースを解説することがずいぶん増えました。それ自体は悪いことではないのですが、時々「え、この解説だけでいいの・・・?」と思うことがあります。一見わかりやすいように見えるけれど、その背景にはもう少し難しいことがある。その「難しいこと」を易しく解説しているふうを装って終わっている。本当はそれではいけないんじゃないか、という問題意識があります。

20190328_ikegami_05.jpg

本質を伝えない「わかりやすさ」の落とし穴

――「わかりやすさ」を装うとは、どういうことでしょう?

例えば、中東問題では「スンニ派とシーア派が対立している」と説明されることがあります。それは嘘じゃない。「スンニ派とシーア派が憎み合っていますからね」というコメントもあながち間違いではないんだけれど、憎み合っている理由が、必ずしも宗教対立ではないんです。背景には、領土問題や、それぞれの政治家の思惑がある。それを「対立していますから」という言葉だけで終わってしまっていいんでしょうか。実は私も、時間がない時にはそういう言い方をしていることがあるので他人事ではありませんけれど、そんなにあっさり片付けられる問題ではない。

あるいは、アメリカについてのニュースならば「トランプ大統領はずいぶん極端なことしますねえ」で終わっちゃいけないんですよね。そのトランプ大統領を当選させた人たちがいるんです。そして批判の声がありながらも、今もそれなりの支持率を持っている。それはどういうことなんだろうか、と考えなければいけない。「偏った人ですね」で終わってはいけないんです。

――わかりやすいニュースの情報だけでは見落としているものが多くなるんですね。視聴者ひとりひとりが「なぜそうなったか」を考えないといけない。

そうです。「なぜそうなったか」を知っていくことで、歴史や、人間の存在とはどういうものかが見えてくる。トランプ大統領のニュースについても、そこから深めた先にアメリカ社会が抱えている様々な闇が見えてくることが大事なのかな、と思います。

――著書で「報道する側の問題」についても具体的に例をあげられています。メディアの問題はどういうところにあると思いますか?

まず、放送時間が限られています。さらには、放送する時間によって視聴者層も限られています。そのため、やむをえないんだろうなと思う放送の仕方もあります。けれども、そこにとどまらずに殻を破るとか、新しい観点を入れるとか、演出を変えるといったことを、もう少しやってもいいのにと思うこともあるんですね。

あるいはメディアの側が「どうせ視聴者にはわからないから、このくらいの説明で終わらせておけばいいんだ」と、どこかで視聴者を舐めているような印象もあります。でも視聴者は、きちんと順を追って丁寧に説明すればわかる。視聴者への信頼感がもっと必要なんじゃないでしょうか。

――本の中に、番組スタッフに「難しいニュースをやっても誰も見ませんよ」と言われたけれど、放送してみるととても視聴率が高かったというエピソードがありました。

そうなんです。『池上彰の現代史を歩く』(テレビ東京系)も、これまではゴールデンアワーではやらないような話をあえて取り上げ、多くの視聴者に支持されるんだということを示したいという思いでやっています。

――発信する側には「情報と報道は別物」という意識が大切だとも述べられています。

マスコミで報道に携わる人は「こんな情報があります」というレベルでの報道はしてはいけない、ということを叩き込まれます。ある情報があった時に、誰から出たものか、本当に信頼にあたるものか、少なくとも情報源(リソース)が複数あるのかということを確認するのです。

例えば、ある情報があるとします。複数の人が同じことを言っているとしても、よく調べてみると、その複数人の情報源がたったひとつだったりすることがあるんです。それを「複数の情報源から聞いているから間違いないだろう」と報道してしまうと誤報になります。「こういう情報があります」「それは誰が言っているの?」「この人が言っています」「その人はどこからその情報を得たの?」とひとつひとつ遡って確認していき、本当にまったく違うところから同じ話が出たということがわかると、そこでやっと、信頼に足る可能性が高いということになります。