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瀧口:今後新規事業として南社長自身が注力していらっしゃるところでは、どういったものを打ち出していきたいというプランはありますか?

南:よく新規事業について聞かれるんですが、実は僕、内閣や経済産業省が出しているレポートを読むのが趣味で。

瀧口:趣味ですか。読みづらかったりしませんか?

南:パワーポイントでよくまとまっている資料なので本を読むのとあまり変わらないです。頭の中でビジュアライズしやすい資料だと僕は思います。同時にアメリカの同じような資料も読むのが大好きで。なぜかというと官僚の方たちが本当に頑張って国の課題を抽出しているわけですよね。大変優秀な方たちが今後この国にどんな問題が起きるのか、どんな構造改革が起こるのか、どんな技術革新が起きるのかということを全部まとめてくださっている。また国をまたいでいろいろな国がいろいろな課題に直面していることがわかる。

どんな課題があるかを知ることが、新規事業を作ることにとって大事なことだと思っているので、社会の課題、国の課題をきっちり解決出来るような事業を新しい時代の技術を使って展開していきたい。これが自分がコミットしているところですね。

奥平:話が戻ってしまうんですけど一つ伺ってもいいですか?楽天で球団を立ち上げられて、お辞めになったのは2007年ですか?

南:はい。

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奥平:そこから2009年にビズリーチができて、人材というのが最初のビジネスになるわけですけど、なぜ人材にフォーカスされたんでしょうか?

南:もともと楽天を辞めたのは別に起業したいから辞めたわけではなくて、次の自分の人生のフェーズにおいて何かテーマを変えたいなと思ったんです。いろいろなテーマがある中で、僕たちの人生において今この瞬間何をするべきだろうか、どういう領域で仕事をするべきなのかと考えた時に、せっかくこの21世紀前半に仕事をするのであれば、インターネットやITの力で世の中がどう変わっているのかを知りたいなと。ですので、インターネットを主とした事業会社で働きたいと思って転職活動をしていたんですね。

そう思って転職活動をしたんですけど、不便だったんです。僕個人の所感ですが。いろいろな方に話を聞きにいかないと情報が集まらない。なんでインターネットが普及して便利な時代なのに、こんなに不便なんだろうと。僕が転職活動していますって手を挙げたら、日本中世界中から僕を欲しい会社が来てほしいと思いまして。

奥平:ご自身のニーズだったんですね。

南:そうですね。野球の場合フリーエージェント宣言すると、その選手を欲しい球団が声をかけてくるじゃないですか。同じようなビジネスモデルができないものなのかなっていう原体験からくるビジネスモデルでした。それを調べたらそういうやり方が日本以外で展開されているというのが見つかって、その効果によって雇用が流動化して個人がキャリアに対して主体的に向き合うことができ、選択肢や可能性が広がったという結果を見て、あ、これは今の日本にとって必要なものだなと思ったんです。

個人が自分のキャリアに責任を持って、自ら選択肢と可能性を広げていく活動をする。そして優秀な企業に優秀な方が集まって来る。これこそが国や経済の生産性を上げる課題解決のキーを握るんじゃないかということを10年前に感じて。じゃあ自分たちでやってみようということで、5,6人の仲間と一緒に立ち上げたのが、今のビズリーチ事業です。

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奥平:ちなみに楽天もインターネットの会社ですけど、それは違ったんですか?

南:楽天で働くことによって特別扱いされるんじゃないかと思ったんですよね。先ほどもお話したように僕すごく恵まれていて、小さい時から海外で育って日本語勉強する前に英語を学んでいるので、日本語も英語も変わらずに話せるわけです。

30歳の時に球団で三木谷社長だけではなくて、球団社長でインテリジェンス(現・パーソルキャリア) 創業者の島田(亨)さんや、最近ではYahoo!ショッピングやPayPayをされている小澤(隆生)さんのもとで働いていたんですが、僕人生で初めてこの人たちにかなわないかもしれないと思ったんです。それまでいろいろな国をまたいでいてもあまり思ったことがなかったんですよね。ビジネスパーソンとして彼らは本当にかっこよかったですし、仕事も早ければ決断も明快。そして外さないんです。

英語を話せると特別扱いされやすいんですが、彼らの仕事をする背中を見て、特別扱いされていたら10年後絶対に彼らと肩を並べて仕事ができないと思ったので、この人たちに追いつくために10年間は英語を使う仕事をするのを一切辞めようと決めたんです。楽天は当時グローバル化も始めていたので、残ったならグローバルの仕事のご指名が入ると思いましたし。

奥平:海外M&Aとかが容易にアサインされそうなキャリアですよね。

南:仕事も日本の会社ばかり探していました。

瀧口:自ら特技の英語を封じるということですよね。

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南:日本で日本人の中で日本の課題を解決することができないのであれば、世界という舞台に出たとしても活躍できないと思っています。これはスポーツでも一緒ですよね。Jリーグで活躍した方が海外でも活躍できる。時にはそうじゃない人もいるのかもしれませんが、やはり大学まで体育会サッカー部でやっていた人間にとっては、何事も基礎から入らなければいけない。

より大きなことをやるには基礎をしっかり学ばなくてはいけないというところが自分自身あったので、まずはインターネットを使う事業会社の現場で働こうと。結果的に自分の会社を持つことになってしまいましたが、最初の数年に関しては1人で営業してましたし、振り返ってみると片腕縛った形で今の会社をやってきたおかげで日本でも事業展開がきちんとできているんじゃないかと思います。

瀧口:まずは国内からということで、海外でもすごくアンテナを張っていらっしゃいますよね。

南:そうですね。数ヶ月に1度は必ず海外に行っています。課題って現場に眠っているものだと思うので。ありがたいことに世界中に大学時代の友達や仕事で出会った友達がいるので、みんなに会ったり、彼らから紹介してもらいながら事前に調べたことを実際自分の耳で聞きに行く。それを通じて世界で挑戦するきっかけを探していきたいなと思います。