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瀧口:南社長は社会人になられてからもですが、学生時代もいろんな所に住んでいらっしゃって、ちょっと普通の方とは違う経歴をお持ちですよね。

南:本当に両親には感謝していますが、幼稚園の時にカナダのトロントに父親の転勤で行きました。

奥平:お父様は何をされていたんですか?

南:父親はヤマハ発動機の海外営業部という所で、カナダでの駐在の後は南米やアフリカの立ち上げをやっていましたね。

瀧口:いろいろな所に住まれて大変だったんじゃないですか?

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南:6歳でカナダに引っ越した時は、まだ1980年代で日本人の駐在員も少ない時代だったので、現地の学校に月曜日から金曜日まで行っていましたが、アジア人は学年で1人だけでした。

瀧口:1人だけですか。

南:そういう環境で小学校時代を過ごして、中学校の途中で父親が日本に転勤になりました。日本語があまり話せない中で静岡県の公立の中学校にいきなり入って、丸刈りにさせられて。

奥平:それはすごくカルチャーショックじゃないですか?

南:そうですね。地方の公立の教育機関の中で、日本に順応しなきゃいけない、日本人にならなきゃいけなかったので。そして日本の高校を卒業した後に大学でアメリカに戻ったんです。よく帰国子女だから問題ないでしょうってことを言われるんですけど、中1で帰国したので英語力はそこで終わっているわけです。その英語力でアメリカの大学に通用するわけもなく、英語もまた学び直さなくてはいけないし、17歳になると思春期になってくるので小学校の時とはまた事情が違いますよね。

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奥平:留学されて、それこそアメリカの名前を持ってモルガン・スタンレーに入って、そこまではすごくわかりやすい流れなんですけど、28歳で辞めて1社挟んで楽天に行こうと。しかも球団の立ち上げですよね。

南:そうですね。仙台で東北楽天ゴールデンイーグルスの球団立ち上げをやっておりました。

奥平:今ここでスポーツの世界に飛び込まなくてはいけない、というひらめきがあったんですか?

南:もともとスポーツの仕事がしたいというのが、自分の中での夢だったんです。

奥平:サッカーをされていたんですよね。

南:はい。大学までずっと体育会のサッカー部だったんですが、たまたま楽天さんがプロ野球界に新規参入するという記事を見て、これだ!と。自分の人生でやってみたかった仕事はまさにプロスポーツチームをゼロから作る仕事だということで、いろんなつてをたどって三木谷さんに直談判させていただいたのが、ちょうどいまから15年前ですね。自分だったらこういう球団を作りたいというプレゼンテーションの場をいただいて。そこで三木谷さんからいただいた言葉が「明日から来てください」だったんです。

奥平:ほぉー。

瀧口:三木谷社長は南さんのどういうところに感銘を受けられたんでしょうか。

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南:どうでしょうね。自ら聞いたこともあるんですが、やりたいという人はいても、本当に明日から来る人はお前くらいだと。それくらい僕はやると決めていたので。たとえ給料がゼロでも。入社の時、給料の提示はされていなかったんです。1ヶ月経った時に「そういえば給料どうするんだっけ?」と言われて。ようやく思い出してくださいましたかって(笑)。

そのくらいお金がどうこうではなくて、50年ぶりに日本で新規のプロ野球チームを作る、このことに携わるか携わらないかって言ったら、どんな形であろうがどんな給与体系だろうがやると決めていたので。そんなことよりもやらせていただくことの感謝とやりきる覚悟。そういうところが伝わったんじゃないかと感じます。

瀧口:そういえば南社長、南極に行かれていませんでしたか?

南:実は一昨年結婚したんですが、結婚した時に僕の苗字が南なので奥さんに、「南さんになったので新婚旅行は南の島と南の果ての南極、どちらがいいですか?」と聞いたところ、非常に旅行が好きな方なので南極がいいと。新婚旅行が南極だったんです。

瀧口:すごいですね(笑)。

奥平:新婚旅行で南極っていけるんですか(笑)?

南:調べたら行けることがわかりまして(笑)。

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奥平:2年前にご結婚ということは40歳くらいの時ですか。結構遅いですよね。

南:そうですね。僕の中では優先順位がすごく重要であって、会社を作るというのは簡単なんですが、実際にやってみるのはとても大変で。できないこともたくさんある中でできることをやっていく。たくさんの仲間がいろいろなタイミングで来てくれるんですが、みんないろいろなものを犠牲にして頑張ってくれている。

僕は創業者として作った会社ですので、みんなが幸せになるまで、みんなにちゃんとお仕事に見合った給料を払えるまでは自分自身仕事以上に優先順位が高いものを作ってはいけないと、途中で決めたんですね。それを40歳までに実現しようと。同時に40になる少し前に50億円の資金調達をして、会社に何かがあったとしても吹き飛ばない状態を作った。そうして優先順位を再設計して、プライベートでも自分自身が幸せになれる形にしようということで、結婚という大きな決断をさせていただきました。

瀧口:そのように人生をちゃんと決めていらっしゃるんですね。次の節目は50歳になるんでしょうか。

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南:どうでしょうね。今年創業10周年で今42歳ですので、よくこの10周年に際してこの10年はどんな10年だったのかなってたくさん考えますが、同時にこれからの10年どうしていきたいかも考えています。

10年かけてようやく1300人の会社になったわけですが、自分たちが目指している社会へのインパクトだったり社会の課題を解決できているとは到底思えないんですよね。ですから次の10年こそは自分たちが描いていることに向かって、より大きなインパクトを作り出すのみならず、先ほどうちの社員が言っていたように、社会にインパクトを与える事業を作り続けるということをコミットした上で、とことん社会に向けた事業を作り続けることにチャレンジしてみたいと思っております。